女の文学論(三)

「そちらにいる方は水鏡先生の弟子と聞いているが、何という名前ですか?」

 突然訊ねられたので、劉協はたじろいだ。

 まさか一介の書生に化けていた自分が、質問される立場に立つとは想定していなかったのである。

「関飛と申します」

 劉備の義兄弟に関羽と張飛という人物がいるが、その二人の名前をかけあわせて咄嗟に名乗った。

「関飛……。かつて臥龍鳳雛といった俊傑が学んだときいてますが、その二人にくらべてどれほどの才能を持っているのですか?」

「いや、あの二人は天下の奇才。それにくらべれば私のごときは枡ではかるほどおりましょう」

「水鏡先生のもとでは何を学んでいるのですか?」

「公羊学に力を入れて学んでおります」

 すると辛憲英は目を細めた。

「公羊学とはまた古風ですこと」

 その口ぶりに劉協は不穏なものを感じ取った。

「何かおかしなことでも……?」

「いや、公羊学は理想が勝ち過ぎて実用に欠けるような気がしてならないと思ったものですから。女の戯言だと思って聞き流してくださいませ」

「それなら貴殿はいかなる学問が実用的だと申されるのか」

「春秋なら左氏伝かと。たしかな事実に裏打ちされています」

「左氏伝はあまり好きではありません」

 劉協は言った。

「左氏伝が隆盛したのは新の時代。漢から帝位を簒奪した王莽の時代です。王莽の息のかかった学者たちが、簒奪を正当化するために左氏伝を偽造したのではないかと私は疑っておりますが」

「なんと。いまは左氏伝が公羊を圧倒しているのというのに、それを偽作と言うのですか?」

「乱れた世の中だから乱れた学問がはびこっているという見方もできます。儒学を国学とした董仲舒も公羊春秋にもとづいて経学を教授しました。公羊学こそ学問の本道」

「あら? 何を難しいことをお話しているの?」

 真紅の芸伎の服装をした少女が部屋に入り口に立っていた。

 曹華だった。

「晴玉! あなたなんて格好をしているのですか……」

 清河長公主が、呻くようにつぶやいた。

「お姉さま。お久しぶりですわ」

「嫁いだらすこしはしっかりした大人の女になると思ったのですが……。しかも、あなたが嫁いだ先は漢の皇帝なのですよ!!」

「一番上のお姉さまは相変わらず神経質ですわ。そんなご様子だと操成お姉さまのように暗い女になってしまいますわ」

「晴玉。慎みなさい」

 見かねた曹節がたしなめた。曹華は唇を尖らせていたが、書生に変装した劉協に気がついた。

「陛下……? どうしてそのような格好を?」

 すると曹節は慌ててそれを否定した。

「いや……。そちらは水鏡先生の弟子で関飛という人物です」

 劉協は立ち上がって挨拶した。

「初めまして、関飛と申します」

「えっ? その声はどう考えても陛下……」

 劉協は首を横に振った。

 話を合わせるように、と目で合図を送った。

 やっと事情を察した曹華は、

「ああ」

 と、にんまり笑った。

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