女の文学論(二)
曹節たちの部屋に着くと、賓客たちはすでに席について待っていた。曹節が主の席に座り、その横には清河長公主、そして賓客席には王異と辛憲英が座っていた。
挨拶をすませると、司馬徽と書生に化けた劉協のために椅子が用意された。
劉協は、今日会う女性陣については調べていた。
まずは清河長公主。
曹操の長女である。
もともと曹操の旧友の息子である丁儀に嫁ぐはずだった。
それを太子の曹丕が口が異議をとなえた。
丁儀は容姿が醜い。そんな男に嫁がせるのは姉上が可哀相だ、と。そして夏侯楙に嫁がせるように薦めたのである。
曹操は頷き、清河長公主を夏侯楙と結婚させた。
夏侯楙は、夏侯惇の息子である。
が、父に似ず無能で臆病者であった。
おまけにたいへんな女好きで、そのため清河長公主は苦しんでいると聞いている。
夫婦仲は悪い。
尋常ではない。誰もが知っているほどに悪い。
そのせいか、せっかくの妹との再会もあまり喜んでいないように見えた。
年齢は三十路の域に差し掛かっているはず。
だが、それ以上に老けてみえた。
太り気味の身体で二十顎だが、その顔にはところどころ皺が刻み込まれている。
それは、苦悩の証のように思われた。
司馬徽と劉協が挨拶しても、あまり反応がなかった。
日々の生活への倦怠感が、生来は美しかった彼女を蝕んでいるようだった。
(男次第で、女はこうなってしまうのか……)
続いて賓客席の王異をみた。
清河長公主とは違って、精気にあふれていた。
王異は、曹節よりもさらに肌が黒い。
そして、女でありながら男のようにがっしりとした骨格である。
肉感的な厚い唇をしていた。とくに下唇が厚かった。
王異はもともと都の人間ではない。
遠く離れた涼州に住んでいる。
夫の趙昂とともに、馬超との戦いで多大な功績をあげたためにわざわざ都に呼ばれたのである。
この時代きっての猛将である馬超との戦いは、王異の力なしでは撃退することは難しかっただろう。
そもそも王異は烈女として知られていた。
かつて趙昂が羌道県令であったとき、反乱軍が王異の住む西県を攻め落として王異の息子を二人殺した。王異は自害しようとしたが、まだ六歳の娘をみて思いとどまった。そして貞節を守るために汚物を塗りつけた麻をまとい、物を食べずに痩せ細って醜く見せた。
その後、反乱軍と和解して捕虜であった王異たちは解放された。夫の趙昂もとに帰されることになった。
だが、王異は捕虜となっていた我が身を恥じて毒を飲み自害しようとした。しかしちょうど近くに解毒剤があったためにどうにか一命を取り留めた。
王異は貞節な妻として評判になった。
その後、趙昂は冀城に赴任した。妻である王異も同行した。が、ほどなく馬超が冀城を襲撃した。
馬超、字は孟起。のちの蜀の五虎将でもある。遊牧民である羌族との混血である。
曹操が恐れるほどの武勇の持ち主でもある。
その馬超が冀城を襲撃すると、王異は自ら弓籠手をつけて応戦した。三国時代で戦闘に参加した女性は王異ただ一人のみである。また自分の装飾品や高価な衣服を外し兵に褒美として与え、士気を高めた。包囲は8ヵ月つづいた。
その後、刺史の韋康はとうとう降伏した。王異は夫の趙昂を説得して思い留めようとしたが後の祭りだった。それから馬超は約束を破って韋康を殺した。部下である趙昂は息子を人質として差し出すこととなった。が、馬超は趙昂を信用できずにいた。
そこで王異は馬超の楊氏に取り入って親交を深めた。馬超は趙昂を信用した。
その後、趙昂は馬超を追い払う計画をたてた。
しかし、気がかりなのは人質となった息子の趙月であった。
だが王異は、
『忠義を立てて君父の恥辱をそそぐためなら、自分の首を失ったとしても大したことではありません。まして一人の息子がなんだと言うのです?』
と言い、夫に決意を促した。
覚悟を決めた趙昂は決起して、馬超を冀城から閉め出した。
その後馬超はふたたび襲ってきたが、夫婦で力をあわせてこれを撃退した。
まさに女傑であった。
最後は辛憲英。
これまた才如と言われている。
女豹のように鋭い目をしていた。
たしかにその表情にはその才知が如実に出ていた。出すぎているほどに出ていた。
その辛憲英だが、先ほどから劉協のことを見ていた。
なにやら訝しく思っている様子である。
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