曹憲と曹節と曹華(三)
最後に曹華である。
劉協が部屋に近づくと歌声がする。
部屋を覗くと、歌を謡っているのは曹華である。
俗謡であった。
しかも驚いたことに、曹華は芸伎の服装をしている。
真紅の服であった。
「あら、陛下」
劉協に気づくと、曹華は快活に笑った。
「陛下から来てくださるとは嬉しいですわ。私に会いに来たのですか」
そう言って椅子を勧めた。
部屋を眺めると、姉の曹憲とは正反対の華やかな部屋である。
若い娘が喜びそうなものばかり置かれている。
座ると、曹華が劉協の腕に抱きついてきた。
うら若き乙女の無防備な肢体が目の前にある。
「陛下は姉のほうに興味があると思っておりました」
「姉?」
「ええ、漢豊お姉さま」
漢豊とは、曹節の字(あざな)のことである。
「もっとも私は謎のお姉さまと呼んでますけど。いつも、どこにいるのかさっぱりわからないのです」
そういって悪戯っぽく微笑んだ。
「妹でもわからないのか?」
「さあ。でも、あたしたちのことを避けているかのようですわ」
「なぜ?」
「わかりませんわ。でも、あのお姉さまは気位が高いですわ」
劉協は首を傾げた。
曹節はたしかに不思議な女であるが、気位の高い女には見えない。
むしろ気さくな性格に思えた。
ついでに曹憲について訊ねてみることにした。
「もう一人の姉はどうだ?」
すると曹華は露骨に嫌な顔をして、
「あんな陰気な人大嫌いですわ。いつも恨めしそうな顔をして……。口を開けば女の勤めはどうあるべきとか、もっと婦人の徳を身につけなさいとか。あんな陰気な姉の言うことを聞いていたら、人生がつまらなくなってしまいますわ」
曹華はすぐに笑顔に戻って、
「陛下は私のことが好きですか?」
と訊ねた。人に甘えるのが上手な娘らしかった。
「好きだとも」
劉協は答えた。これは男としての本心である。
三人のなかで容姿がもっとも優れているのは曹華である。
しかも若い。
「それならばどうして昨夜は漢豊お姉さまのところへ行ったのですか?」
「いや、行ってはおらぬ」
「嘘ですわ。陛下と二人で一緒にいるのを見た者がおりますわ」
そこで劉協は昨夜のことを話した。曹華は首をかしげた。
「あのお姉さまは不思議なことばかりですわ」
曹華は、ふと、思いついたように、
「ひょっとしてそれはお姉さまの策略ではありませんか? 陛下の気を引くためにわざと不思議な行動を取っているのではありませんか?」
「まさか」
劉協は一笑に付した。
もしそうだとしても、悠長すぎると劉協は思った。
戦と恋は神速を尊ぶ。
それならこの曹華のように腕にでも抱きついたほうが話が早い。
「それでは昨夜はお姉さまは何事もなかった、と」
「まあ、そうだ」
劉協は、曹華の率直な物言いに驚きながらもうなずいた。
「それはなおのこと不思議ですわ。妖術をつかうと噂されるほどのお姉さまが何もできなかったと」
たしかに、曹節のような女は妖術くらい使うと噂されるかもしれない。
「で、私ども三姉妹のいずれの部屋にも訪れなかったと」
「うむ」
「陛下は私ども三姉妹のことを避けておいでなのですか」
これには劉協も言葉に詰まった。
当たっているからだ。
三姉妹の背後に、あの忌々しい曹操の影がちらついて見える。
あの曹操の娘だと思うととても己の子を産ませる気にはなれない。
それはこの娘たちの罪ではない。
理屈ではわかっているが、この娘たちに己の子を産ませるとなるとそれはすなわち曹操の孫になるのである。
その事実は受け入れがたいものがあった。
しかし、劉協には一つの疑念が沸きあがった。
この娘は子供を産むということをはたして理解しているのか……。
嫁ぐのだから、当然どういうことが起こるのかは前もって教えているはずである。しかし、曹華の無邪気な顔をみているうちにこの娘は本当は何も知らないのかもしらないと疑った。
「そなたは嫁ぐということの意味をわかっているか?」
「といいますと?」
曹華が、劉協は何を言いたいのか理解していないようだ。
「そなたはまだ若い。あわてる必要はない」
侍女たちが歩み寄って曹華に耳打ちした。
すると曹華はからからと笑って、一冊の巻物を持ってきてそれを見せた。
それは枕絵であった。
仰天する劉協に、曹華はやさしく声をかけた。
「そこまで私も幼くはございません。陛下に嫁ぐと決まったその前から侍女たちに見せてもらっては話の種にしているのです」
劉協は侍女たちに、
「曹操は咎めぬのか?」
と叱責するような声で問うと、侍女たちは笑って、
「こういうことは嫁ぐと決まってからでは間に合わぬものでございますから。それに魏公はこのような小さなことで目くじらをたてるような方ではございませぬ」
劉協はううむ、と唸るばかり。
「ところで、そなたの歌っている歌は何と言う曲かな?」
劉協は話をそらした。
歌を褒めてもらったのだと思った曹華は、嬉々として曲について語りだした。このあたりまだ娘っ気が抜けていなかった。
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