夏のころ

葱間

夏のころ

『夏のころ』


 冷房の効いた電車内から外に出ると、そこには地獄が広がっていた。夏のむせかえるような熱気は、まるで太陽でも落としたかのようである。

 来なければよかった。

 切にそんなことを思う。あのまま、冷房のある我が屋の我が部屋、我が城に閉じこもっているべきであったと、今さらになって後悔した。

 今日の気温を確認したところ、どうも現在の日本は今年に入って最高の気温を記録しているらしく、スマートフォンの画面には、やれ猛暑だ、やれラニーニャだと、うんざりするような言葉ばかりが並んでいる。心の中のやる気だとかそういった喜の感情が、アイスのごとく溶けていくのが分かった。

 私は今、どことも知れぬ田園風景にいた。帰省のためである。

夏の時分になると、父親の方の実家に帰るのが我が家の常であった。といっても、ここ最近はというと、私だけは帰らずに家に残っていることが多かったが。受験があったり、なにより田舎に行っても退屈であったりと、様々な理由が私の足を引き留めていたのだ。両親と妹が帰省する中、私は一人家の中で不健康ライフを送るのが、ここ数年の私の夏であった。

 それが、今年に限っては、何のきまぐれか、受験終わりの解放感からか私も共に帰省にくり出したのだ。きっと何か楽しきこともあろう、田舎には田舎の良さもあろうと思ってのことだったが、そんな私の楽観思考は真夏の暑さを前に、帰省数秒で溶け落ちたわけである。

「お姉ちゃん、早くいくよー」

 妹が私を呼んでいる。不健康な姉とは違って、妹は健康優良児そのものであった。麦わら帽子を浅く被って、すでに炎天下の日差しの下に繰り出している妹。見れば両親も共にいるようで、私だけが一人、ホームの日陰で蹲っていたようだ。早くおいで、と両親も私を呼んでいた。

 嫌だ嫌だなんだって好き好んで炎天下に苛められに行かないといけないのか。

ぶつくさと呟きながらも、おいて行かれたくはないので渋々日差しの中に躍り出る。ゴロゴロと鳴るキャリーバッグの車輪の音すらも鬱陶しく思えて仕方なかった。

ふらふらと歩く私に両親は、大丈夫か、などと尋ねたりしてくるが勿論大丈夫であるはずもない。もう帰りたい、と返答する私に両親は苦笑し、妹なぞは、私を軟弱だと評してくる。まったく気の滅入る話であった。

追い打ちに、ここから、実家までの移動は歩きだと言われて、さらに気が滅入った。

炎天下の中を進む。目深に帽子を被ろうとも、照り返しが私の目を突き刺してきて辛い。中学時代の部活で行った、『真夏の15kmマラソン』が思い出されて、憂鬱も増すばかりだ。途中で自動販売機に出会わなければ、おそらく心が先に干からびて死んでいたはずである。渇いた体と心には丁度いい癒しであった。

清涼飲料水に背中を押されながら三十分ほど歩いた。両親に、バスかなんかは無いのかと訊いたところ、あるにはあるがいつ来るかわからん、とはっきり言われてしまい、以後黙って歩いた次第である。ペットボトルもすっかり軽くなったころ、やっと目的地にたどり着いたのだった。

大きな門が立っていた。奥には瓦屋根の平屋があり、写真やテレビでみたような、THE・農家、とでもいうべき光景があった。都市に住んでいればおおよそ住めないだろう広さの家が、私の父親の実家であった。私が前に来た時とさほど変わった様子はなく、なんとなく懐かしいような気持ちがした。

両親と妹は先に行ってしまったようだ。私は、懐かしいとはいえ久しぶりに訪れた祖父祖母の家を前に、何するでもなく立ち尽くしていた。そのまま気軽に入ってもいいのか。そんな余計な考え事をして、足が止まってしまっていた。ぼぅっと立ち尽くす。

すると、足下から声が聞こえた。

「あんれ、よくきたねぇ」

 声は祖母のものであった。迎える祖母の姿は記憶よりも小さい。それは、祖母が小さくなったからか、私が大きくなったからかわからなったが、どちらにせよ時の流れを感じることに違いはなかった。

「んまぁ、水咲ちゃん、しばらく見んうちにおおきくなったねぇ」

 祖母が私に近づいてきた。しばらく会っていない祖母は、どこか遠い存在のように思えて、心なしか言葉が詰まってしまった。

「う、うん、お久しぶり。おばぁちゃん」

「うん、久しぶり。ばぁちゃん、水咲ちゃんに会えてうれしいよぉ。こっちに来てる間は自分の家だと思ってくつろぐんだよ」

「う、うん。分かった。えと、ありがとう」

 ぎこちない会話を終えると、祖母は私の荷物を手に取り、運ぼうとしてくれた。しかし流石のもやしっ子といえども、祖母に荷物運びをさせるのは申し訳なさ過ぎて、慌てて自分で運ぶ旨を伝えた。そんな私を祖母は、頼もしいねぇ、なんて言うが、そもそも自分の祖母相手にしどろもどろの時点で情けない奴なのではないか。

なんだか、このまま祖母と話していると自分の情けなさが嫌になりそうな気がした。私は、逃げるようにして玄関口に入る。日差しから逃れられた安心感が体と心を包む。日陰者には、明るい陽だまりはやはり合わなかったようだった。

「あ、お姉ちゃん、やっと来たんだね。私たちもう、待ちくたびれてたんだから」

 玄関で一人癒されていると、妹が出迎えてくれた。おぉご苦労、なんて思いながら顔をあげると、そこには妹と、傍らにもう一人、私と同い年くらいの少女が立っていた。私は氷のごとく固まる。

 妹の傍らの、白いワンピースに身を包んだ少女の顔は、驚きの色に染まっていた。まるで幽霊でも見ているかのような。そんな表情で私を見つめている。

「もしかして、水咲ちゃん?」

 少女が口を開いた。

 私はというと、そんな少女をぼぅっと見つめたまま固まっていた。どうやら、彼女の口ぶりから、私と彼女は知り合いであるらしかったが、生来記憶の弱い私には、全く心当たり一つすら浮かばなかった。誰だこいつ。

「う、うん。私は笹木 水咲だけど……? 」

 とりあえず、答えるだけ答えておく。すると少女は表情をパッと明るくする。

「やっぱり! 久しぶり、元気にしてた? 」

少女は私が何者であるかの確認が取れると、途端勢いづいて話し始める。興奮気味に話す彼女の様子は、私の苦手だった、クラスのあの子に似ていた。

果たして、この少女は誰なんだ。数年前の私に問いかけるも、答えは返ってこない。

私はこの夏、どれだけの見知らぬ知人と話さなければならないのだろう。私の対人能力の限界テストはまた今度の機会にしてほしいのだが……。

未だに機関銃のごとく話し続ける少女と、ただただぼぅっと見ているだけの私。妹はそんな私を怪訝な顔で見つめる。少し考え事をすると妹は、なにやら、聞きづらいことを聞くような声で私に聞いた。

「えと、お姉ちゃん? 誰とお話ししているの? 」

「えっ? 」

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夏のころ 葱間 @n4o

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