秘められたる真実


「貴様、なんで殺害現場の扉を取り外すなんて真似をしていた!」

 強面刑事の怒声がリビングに響く。

 彼の名は登坂とさかといい、齢は五十前後程。捜査陣を仕切る一番のお偉方の警部補どのらしい。

そして、その怒声が向けられたのは僕。

 招待客らの事情聴取と共に現場検証が始められようとしていた折り、その現場である氏の自室の前で、僕が『探偵ガジェット第七号』の《七人の小人》(栓抜きからネジの開け閉めまでを熟すマルチツールだ。所謂十徳ナイフ)で入り口の観音開きの扉を取り外していたところを発見され、若手の刑事らに取り押さえられて一同が集まるリビングへと連れて来られ、こうしてお叱りを受けているという次第だ。

「なんでって……そこに扉があった、から?」

 僕は不満げに顔をむくれさせながら応えた。

「ふざけてるのか!」

 登坂がこめかみをぴくぴくとさせつつ、さらに声を荒らげる。

「怪しすぎる! 貴様が百夜を殺した犯人だな!」

「なんでそうなるんですか……」

 とがなり声にきんきんとする耳を両手で押さえながら、

「僕はただ、事件の真相を暴くための捜査をしていただけですよ。ミステリィの神に誓って、犯人なんかじゃありません

「なにが捜査だ! 素人風情が、現場を荒らしていいと思っているのか! これは、ミステリィツアーなんていうお遊びとは訳が違う、実際に死人が出ている現実の殺人事件なんだからな!」

「そこら辺までにしてあげたらどうです、刑事さん」

 穗村が宥めるような口調で仲裁に入る。

「事件の真相であれば、もう分かっているんですから。現実の事件であったとしても、推理の内容に変わる点はない。氏は自殺したんであって、彼は犯人ではありませんよ」

「……確かに君の推理は的を得ているが、まだ確実な証拠が見つかったというわけでもないからな」

 登坂が怒りを鎮めつつ苦々しく応える。

 広島県警には、既に昨晩穗村がした推理が伝えられている。

 あれは、謎解きにおいての推理だったわけだが、自殺かどうかは、そこが密室だったかどうかを明らかにすればいいことで、誰も出入りは不可能だったという穂村のその推理が、真相を言い当てているのであれば、実際にそこから百夜が消えたとすれば、自殺でしかあり得ないのだろう、と考えられているようだ。

 殺害現場とされていた百夜の自室に置かれていた氏の携帯も、謎解きのルール上、現場検証の際は調べることができなかったが、こういう事態になってしまったことで、そのルールは無視されて調べられ、昨晩、妻鳥が僕の部屋に駆け込んで来る前に受けたというメールの発信履歴が、その時間帯となっていることが確認されている。

 そして、昨晩現場検証を終えた後に、妻鳥が扉に鍵を掛けていたらしいので、その後は、僕が意識を失っていた妻鳥が持っていたマスターキーをこっそりと拝借して、その鍵を開けるまでは、誰も氏の自室には入れなかったはずなので、メールを送った百夜が、密室から姿を消したとするなら、やはり自殺のために、ベランダから崖下へと身を投げ出した以外にないだろう、とされているわけだ。

 もちろん、『開かずの間』も、百夜が消え、妻鳥がこういう状態である以上、その鍵がどこにあるかは分からないままだが、捜査陣が、持参してきていた特殊工具で扉をこじ開け、室内を検めてはみたものの、撮影に使ったと見られる機材や白い仮面やタキシードなどの衣装が置かれているなどするだけで、やはりそこに氏の姿はなかった。

 こうして百夜は。崖下の海へ投身して自殺した、とされることになったというわけだ。

 だが、遺書が残されているわけでもなかったので、その理由は謎のままとされている。

「彼女が目を覚ましてくれれば、それが事実だと確認できるかもしれないんですけどね」

 と穗村がソファに寝かされて瞼を閉じている妻鳥を見やる。

 それにしても、ミステリィ好きというのに、血を見ただけで昏倒するなどやわなものだ――そう言ってやりたいところだが、昨晩ああいった醜態を晒した手前、自重せざるを得ない。

「刑事さん、ちょっといいですか?」

 円谷が遠慮がちに話し掛けた。

「……なんだ?」

 と登坂がぎょろりとした三白眼で睨む。

「俺も別の推理を考えてみたんですけど――」

 気圧されながらも円谷がおずおずと話し始めたところ、

「黙れ、素人風情が!!」

 再びの怒声が登坂から飛び、彼は話し途中で顔を引きつらせながら、ひっと短く息を飲んだ。

 そんな気色ばむ登坂の元に、最年長に思える初老の刑事が寄り、その肩にぽんと手を置き、にこにこと温厚そうな笑顔を向けながら、諭すように、

「登坂さん、まあいいじゃないか。彼らの方が事情に知悉しているんだ。その推理とやらを聞いてみる価値はあるかもしれないよ」

 階級は下のようだが、人としてのランクは遙かに上だろう。登坂と違い部下にもよく慕われているだろう理解ある人物の登場だ。

笹畑ささはたさん……それはそうかもしれませんが……」

 鬼警部登坂も、この相手には強くでれないらしい。

「円谷さん、君の考えを聞かせてもらおうか」

 初老の刑事笹畑が、優しげな口調で促す。

「はい」

 円谷は顎を引くと、

「やっぱり犯人は新羅さんだと思います。彼はこの島を離れたようにみせていただけで、こっそりと邸の外から、物置にあったスコープつきのボウガンで、ロープを結んだ矢で邸の外から狙い撃って――」

「そこまででいいわ」

 円谷がミリオタらしい推理を披露しようとするのを、それまで話に耳を傾けるだけしていた瀬戸家が遮った。

「なんだと……?」

 と登坂が目を眇めてその瀬戸家を睨む。

「なんでお前が口を挟むんだ……まさかお前が犯人で、自白するつもりででもいるのか?」

「違うわ。謎解きの犯人役が新羅さんで、その新羅さんが実際に氏を殺害したというところまでは間違っていないけど、取られた手法に関する推理が間違っているの。角度的な問題や、遺体を引っ張り上げるのに相当な筋力が必要であること、血痕がどこにも付着していない不自然さとか色々あるけど――第一、そのやり方が可能だったとして、どうやって新羅さんは、妻鳥さんに氏の携帯からメールを送ることができたの?」

「確かに、事件現場を抜け出ることは不可能だったとされているわけですから、新羅さんでなくとも、その携帯からメールを送ることはできなかったという風になりますね」

 と笹畑。

「それもそうか……いい推理だと思ったんだけどな……」

 と円谷ががっくりと肩を落とす。

「それで、君の考えはどうなんだ? その言い方だと、君は別の解法を導き出しているようだが」

 と穗村。ご自慢の推理を否定されもしたわけで、少々苛立たしげなご様子だ。

「新羅さんが持っていた携帯は、氏の携帯と同じ型だということを夕食後の席で聞いたわ。だとすると、こういうやり方も可能になる。氏の自室を訪れて、その隙を突いて襲い掛かり、ベランダから崖下の海へと突き落とした後、氏の携帯と『開かずの間』の鍵を拝借して、代わりに自分の携帯をスリープ状態にしてデスクの上に伏せた状態で置いて部屋を出て、拝借しておいた『開かずの間』の鍵を使って、その部屋に閉じこもっていた。そうしておいて、その時がきてから、拝借していた氏の携帯から、妻鳥さんに自殺を仄めかすメールを送った。謎解きのルール上、殺害現場のどこにも手を触れてはならないとされていたわけだから、それが実は新羅さんの携帯だと明るみになる恐れもなかった。そして私達が状況検分を終えてリビングへと戻った後、『開かずの間』から出て扉に鍵をかけて、こっそりと殺害現場に戻り、置いておいた自分の携帯と氏の携帯とをすり替えて、『開かずの間』の鍵も元に戻してから、再び『開かずの間』に身を潜めて、翌朝一番に起きた妻鳥さんが花に水をやろうと外に出た後、こっそりと外に出てこの邸を離れた」

「なるほど、同じ型の携帯を用いたすり替えトリックというわけですね」

 と笹畑。

「そのやり方だと、どこにいても妻鳥さんに氏の携帯からメールを送ることができるようになり、密室状態から抜け出すのもいつでもいいということになる。つまり殺人は、それが気取られないように、私達がこの邸に来る前に既に行われていたということ」

「だがそうなると、君の犯行であるという可能性が再浮上してきたことにもなるはずだ」

 穂村は反駁するものの、焦りを隠せずにいる。

「そのトリックは、氏と同じ携帯を持っていることが前提となるわ。だけど私の携帯は、この通り氏のものとは全く別の機種」

 と瀬戸家は、黄門様お付きの格さんが印籠を罪人に突き付けるように、懐から自分の携帯を取り出して見せた。

「……だが、君がそれとは別の携帯を隠し持っている可能性もある」

 穗村はしぶとく食い下がる。印籠を前にも怯まない往生際の悪い輩もいるという珍しいパターンだ。

「ちょっと待ってくれ、皆あの事を忘れてないか?」

 と円谷が割って入った。

「謎解き前に俺達が見た氏の映像についてだけど、あの映像が撮影されたのは午後二時頃だったはずだ。氏の背後の黒く塗られた北側の壁の前に落ちていた硝子戸から差し込む日差しの角度から、映像で言われていた通りの午後二時頃だったことが分かった」

「確かに、そうね」

「だけど、あの新羅さんは、正午前にはこの邸を離れていたことになっている。島のどこかに隠れることはできたとしても、昼食の後午後一時頃からは、氏の部屋の前ではずっと妻鳥さんが読書していたんだ。自分の部屋にはその妻鳥さんが鍵を掛けた後なわけだから、自室からベランダ伝いに氏の部屋に行くこともできなかった。つまりあの映像を撮影することは彼にはできなかった」

「違う。そう思えるのは、そうに違いないと錯覚させられているだけ」

 瀬戸家が否定を否定で返す。

「あれは新羅さんが、氏を殺害した後の午前中に撮影したものだったの」

「だがそれだと、辻褄が合わない点が出てくる」

 と危うい状況に立たされて必死の穂村。

「東側で撮影したのを西側でそうしたように見せかけようとしたところで、あの二枚の硝子戸は、どちらも部屋の奥まった方にあるわけだから、背後の白い壁を黒い方の壁に見えるように壁紙を貼るなんかして偽装して、同じ位置に置いた椅子に腰掛け撮影したとしても、そこから差し込む光の筋は躯の前を通ってしまい、その向きも手前側になっていたはずだ」

「その通りね」

 瀬戸家はそれについては認めたものの、

「だけど、こういうやり方もあるわ。撮影する位置はそのままで、その映像を鏡像にしてしまえばいい」

「鏡像か――」

 と円谷はその意見を吟味するようにしばし目を伏せてから、

「うん、できないことじゃない。仮面や首輪、手袋で肌を隠したタキシード姿の上半身しか映していなかった上に、その背後には、模様のない黒一色の壁があるだけで、日差しにしても、あの部屋は東西を結ぶ線上に伸びていて、午後二時頃と反対に同じ角度で日差しが差し込む午前十時頃にそうしたとしたら、その映像が鏡像だってことを判断する材料はなくなる」

「映像を鏡像にするには、氏の自室にあった、あのよく磨かれた大ぶりな全身鏡に映る様をカメラで撮影するか、撮影した動画を鏡像再生するアプリを利用するというやり方があるけど、デジタルデータは証拠として残り易いから、私であれば鏡を使う方を選ぶわね」

「だけど、あの映像が鏡像だってことをどうやって証明するんだ?」

 と円谷。

「普通の自撮り映像だったなら、ちゃんと確かめれば、それが鏡像だって分かるもんだ。人間っていうのは、どれだけ完璧に整っているように見えたとしても、完全な左右対称シンメトリーにはならないはずだからな。だけど、あの映像に映っていたのは、仮面を嵌めた人物で、首輪や手袋なんかで隠されてもいて、皮膚が一切見えない状態だった。だとすると、君が言うように、デジタルデータとして残っていないとしたら無理なんじゃないか?」

「いえ、違うわ。気づかなかった? ほんの一瞬だったけど、あの偽物の氏の片袖から覗いた腕時計の文字盤の数字が鏡像になっていたことを」

「それなら僕も見ました」

 と僕。

「鏡に映したみたいに数字の向きが左右逆になっていました。それでてっきり、氏は逆さ時計を嵌めているんだとばかり思っていたんですけど」

 瀬戸家は肯きを返してから、

「私もその時はそうだと思っていたわ。だけどその後、謎解きとしての殺人が起こった際、人形の死体の腕に嵌められていた時計は、文字盤は普通のものだった。とすると、妻鳥さんが知る限り、氏は常にあの時計を嵌めていると証言したことから、氏が嵌めていたのが逆さ時計だったという可能性はほぼないと考えられ、あの映像が鏡像になっていたことの証左となる。腕時計の針は、その時間帯に合わせておいて、タキシードのボタンの位置も、左右逆に映るのがばれないように、前で両手を重ねて隠していたけど、文字盤の数字がそうなってしまうことにまでは配慮が回らなかったんでしょうね」

「よって、その映像が撮影された午前十時頃には、百夜さんは既に殺されて新羅さんに成り代わられていたことにもなり、正午より三十分程前に邸に到着した瀬戸家さんの犯行ではないという結論が導き出されるというわけですね」

 初老の刑事が代わりに後を継いだ。

「それが真相だとして、その新羅さんが、この島を離れるには友人にクルーザーで迎えに来てもらう以外にないわけだけど、彼が実際にこの島を離れるのは今朝になってからだったわけだから、その友人も共犯者で、後の証言を偽らせるつもりでいたってことか?」

 と円谷。

「いえ、新羅さんと言いはしたけど、正確には彼は新羅さん本人じゃないわ。推理作家新羅黎明の名を騙っていただけの脱獄犯よ」

「脱獄犯?」

 円谷が驚いたようにその言葉を繰り返す。

「《阿弥陀如来事件》については、刑事さん達でなくてもよく知っているわよね。氏のせいでその罪を暴かれて逃亡生活を強いられていると逆恨みしていたその脱獄犯は、今回の催しに新羅氏の名を騙って参加して、氏を殺害してその復讐を遂げたというわけ。昨日の昼間にリビングに顔を出したっていう彼の左手の甲に、大きな痣はなかった?」

「そう言えば……」

 と視線を持ち上げる円谷。

「だとしたら、それは指名手配されているその脱獄犯の特徴と一致する」

「あの脱獄犯……確か、灰塚はいづかという名前だったはずですが、まさか彼の犯行だったとは……」 意外な真相に、笹畑が天井を仰ぎながら難しい顔で呟く。

「脱獄犯が犯人であれば、船でこの島に彼を迎えに来たのも、彼を匿うなどしている犯罪者仲間の内の一人だったということでしょうから、その仲間に真実を証言されるはずもない」

 と瀬戸家。

「どうですか、登坂さん?」

 と笹畑が、登坂へと顔を向ける。

「彼女の推理が正鵠を射ているように私には思えますが」

「え、ええ……」

 向けられた言葉に、登坂は渋面を作りながらも、肯くしかなかった。

「ふふ、穗村さん、あなたの推理も、少々詰めが甘かったようですわね」

 昨晩のお返しとばかりに、加賀美が嘲りを存分に込めた笑みを穗村に向ける。

「穗村さん、あなたは、氏の考案したトリックを利用して彼を殺害した脱獄犯の仕掛けたミスリードに、まんまと引っ掛かってしまっていただけだったのよ」

 瀬戸家が止めを刺すように言い、穗村は返す言葉もなく、くっと唇を噛みしめながら、脱いだ鹿撃帽を両手で握り潰しつつ、恥じらうように顔を俯かせるだけだった。



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