謎解きバトル
三十分程掛けて、殺害現場の状況検分を終えた僕達は、階下のリビングへと降りた。
「自殺に偽装された殺人と、ダイイングメッセージか」
長テーブルに座って、妻鳥が振る舞う珈琲を味わいながら円谷は言うと、満足げに、
「中々に歯ごたえのある殺人事件だ」
「そうですわね」
加賀美は意見を同じくしてから、
「ですけど私には、もう誰が犯人かとその手口までも分かってしまいましたわ」
「え、もう分かっちゃったんですか?」
と思わず声を裏返らせながら、僕。想定外だ。まさかこうも早く先んじられてしまうなんて……。
「ええ」
と余裕たっぷりに加賀美は微笑みを返すと、残念そうに、
「もうちょっと難解なトリックだと思っていたんですけど……ちょっと拍子抜けでしたわ」
「実は俺もだ」
と穗村。
「氏が考案したにしては、ちょっと安直すぎる嫌いもあるが」
まさか、穗村までが……。
だが、まだ二人の推理が真相を言い当てていると分かったわけではない。それを判断するには、これから彼らが披露するだろう推理を聞いてみてからだ。
「それでは、皆さんこうしてリビングに集まられているわけですし、それぞれご自分の推理を披露されてみてはいかがですか?」
と妻鳥。
「ですが、二人一緒にというわけにはいきませんので、先に順番を決めてからにされてください」
「俺は後でいい」
と穗村。
「先に言い出したのは加賀美君だし、レディファーストだ」
相変わらずの気障っぷりに虫酸が走る。お前なんか、頓珍漢な推理で大恥を掻いてしまえ。
「それではお言葉に甘えさせてもらいますわね」
加賀美はご機嫌な様子で返すと、
「まずは、あのダイイングメッセージが意味するところを教えてさしあげましょうか」
「『rain』だから、やっぱり今も外で降ってる雨に関係してるのか?」
と円谷。
「いえ」
と加賀美は物知り顔で首を横に振ると、
「その『rain』を『雨』という意味で捉えているばかりでは、どうあがいても真実には辿り着けませんわ。考えを変えて、その四文字をアナグラムとして並べ替えてみることです。するとどうなると思われます?」
「r、a、i、n……」
円谷は思案げに一語ずつゆっくりと呟いてから、
「そうか、n、i、r、aの順に並べ替えると、『にら』と読む事ができるな!」
と声を大きくすると、感心したように、
「あんたただの高飛車なだけの嬢ちゃんじゃなかったんだな」
「……一言余計ですわよ」
と加賀美がきっと睨む。
円谷は、加賀美から向けられる鋭い視線からそそくさと目を逸らし、とりなすように、「犯人に見つかって隠滅されてしまうことを恐れて、わざと遠回しな表現をしたってわけか。推理作家の氏ならではのダイイングメッセージだな」
「新羅さんか」
と穗村が顎先を片手で摘まむ。
「ええ、そうですわ。実は彼は、今回の催しにおいて犯人役を任されていた人物でしたの。あの風邪で辛そうにしていたのも全部演技だったことになりますわね」
「だが新羅さんは、あの後病院に行くためにこの島を離れたと聞いていたぞ」
と円谷。
「そういうことでしたわね。ですけど、それはただのフェイク。実は密かに物置部屋にでも身を隠していたんですの。そうやって彼は自分のアリバイを成立させようとしたんですわ」
「ふむ。では、その新羅さんはどういう犯行に及んだんだ?」
穗村が先を促す。
「邸の中に潜んでいた新羅さんは、私達がリビングで夕食を摂っていた頃に氏の自室を訪れ、氏の隙を窺って背後から襲い掛かり、隠し持っていたロープで首を絞めましたの」
まるでその現場を直に目にしたかのように自信たっぷりな加賀美。
「そして、自殺に見せ掛けるための色々な偽装工作を施しました」
「問題は、その後どうやってその場を離れたかだな」
と円谷。
「ベランダは崖の先に突き出してるんだから、そこから下に飛び降りるなんてのは当然なしだぞ? ロープをどこかに特殊な結び方で結びつけて、それを伝って降りて回収したってのもだめだ。ベランダにそれを結びつけられるような部分はどこにもなかったし、硝子戸は閉め切られていたから室内に結びつけることもできなかった。あと梯子を使おうとしても――」
「違いますわよ」
と加賀美は敬遠するように言葉を遮り、
「新羅さんはこうやったんですの。入り口の扉を塞いだ後、氏の携帯を使って妻鳥さんに自殺を仄めかすメールを送って、その携帯をデスクの上に置いた後は、すぐにベランダに出て硝子戸を閉めて、晴原さんが妻鳥さんに呼ばれて部屋を出て行き、その彼が上げた悲鳴を聞きつけて瀬戸家さんが現場に駆けつける間に彼女の部屋に入って、全員が氏の自室に駆けつけた後、頃合いを見計らって部屋を出て、もう一度邸内に隠れるか、邸を離れるかしたんですわ」
「なるほどな。中々に論理的な推理だ」
穗村が相変わらずの上から目線で評した。
「ええ。皆さんには悪いですけど、優勝は私がいただいてしまうことになりそうですわね」 とお嬢様然として、口許に手を添えながら、さも愉快そうにほほと笑いを零す加賀美。
「だが惜しいな、その推理には穴がある」
「……穴、ですって?」
優越感に浸っていた加賀美が、心外だというように問い返す。
「確かに、そのやり方で自殺に見せ掛けた殺人が完成するようにも思える。だがそれには、瀬戸家君の部屋の硝子戸の鍵が開けられた状態であった必要がある」
「!?」
加賀美が、ぴきっとその厚く化粧が塗られた顔を強張らせた。
「瀬戸家君、どうなんだ?」
「硝子戸の鍵なら、夕方に晴原君が出入りした後に錠を下ろしたままよ」
と瀬戸家。
「なんだ、なら加賀美さんの推理は的外れってことか」
拍子抜けしたように円谷。
「瀬戸家君と晴原君の部屋の硝子戸はどちらも外側からは開かない状態だった。つまりベランダという唯一の抜け道も塞がれていたわけで、実質あの殺害現場は密室だったんだ」
「だったら、新羅さんがいた部屋が――」
加賀美は必死に食い下がろうとするも、何かに思い当たったようにして言葉を切り、悔しげに口を噤んだ。
穂村はその意味を汲むように、
「新羅さんの部屋が、彼が邸を出て行った後に施錠されていたのも、俺は確認している。妻鳥さん、君がそうしたんだよな?」
「はい。ベランダへと通じる硝子戸も施錠されている状態のはずです」
妻鳥が応えた。僕もその事は情報収集の際に確認済みだ。
「う……」
万策尽きたらしく、加賀美は言葉を失うばかりだ。
「着眼点は良かった。だが惜しむらくは、少々詰めが甘かったことかな。君はダイイングメッセージの謎が解けたと喜ぶあまり、それが示す新羅さんの犯行に違いないとばかり考えて、結論を急ぎすぎたんだよ」
講師が生徒に間違いを指摘するように穗村が言うのに対し、加賀美は取り出したレースのハンカチを噛み締めながら、きーっと悔しがっている。面白い女性だ。こんな仕草、安っぽい昼ドラでも中々お目にかかれない。
「それじゃああんたの推理はどんななのよ!」
と良家のお嬢様の品格はどこへやら、鬼のような形相で加賀美が睨めつける。
「それじゃあ、俺の推理を披露させてもらおうか」
穂村は、加賀美から向けられる敵意を意に介さず、襟を正しながらすっくと立ち上がると、
「なに加賀美君の推理とほとんど同じさ。ただ現場を抜け出るにはベランダを伝ってしかないわけで、そうなると晴原君の部屋の硝子戸が開かない状態だった以上、瀬戸家君にしか犯行は無理だったってことになる」
「え、私?」
と瀬戸屋が目を丸くしながら、自分の顔を指し示す。
「俺はあの現場は密室だったと言いはしたが、それは新羅さんを犯人に置いた場合のことで、それが彼女であれば、自室の硝子戸を開けておけばそこを抜け道とすることができた」
「そうだとすると、今の彼女の証言は、用意された嘘ってことになるわけか」
と円谷。
「いや、そうじゃない」
と穗村が首を横に振る。
「犯行が可能なのが瀬戸家君一人というだったというだけで、彼女が犯人だとは言っていない。その無実は、今外で降りしきっているあの雨が説明してくれている。晴原君――」
と穂村は一旦僕に顔を向けたものの、
「――は悲鳴を上げたりと狼狽しきりだったようでそれどころじゃなかったろうから、妻鳥さんに尋ねてみようか」
余計なお世話だ。蒸し返すなこのエセ探偵め。
「彼女が殺害現場に駆けつけた際、彼女の髪や服は濡れていたかな?」
「いえ、その様子はございませんでした」
「ありがとう」
穗村は満足そうに返してから、
「あのどしゃぶりの中ベランダを通ろうとしたら、僅かな間だったとしても、髪も服も少しも濡れないなんてことはあり得ない。雨合羽なんかを着ても多少は濡れるだろうし、晴原君の悲鳴を聞いてすぐに駆けつけた彼女には、その証拠を隠滅する余裕はなかったろうな」
「なるほどな」
と円谷は一旦納得しかけたものの、
「だけど、ちょっと待ってくれ。だったら、犯人は誰でもないってことにならないか?」
「そう、この事件における犯人はいない」
「そんなのおかしいですわ!」
加賀美が耳に痛い声金切り声で必死に抗議する。
「殺人事件で犯人がいないなんて事はあり得ません!」
「いや、この事件は殺人事件じゃなかったんだよ」
と至って冷静な穗村。
「事前に氏はこう告げられいた。もうじきこの邸内で『ある事件が』起こる、と。だが『殺人事件が』とは一言も言われていない」
「そ、そんな……」
と加賀美ががっくりと項垂れる。
「だけどそうなると、あのダイイングメッセージは?」
と円谷。
「それは氏自らの手による偽装だ。氏は新羅さんに憎しみを懐いていて、その新羅死に自分を殺した罪を着せようとしたということなんだろう。そのため遺体や現場の状況からも他殺だと考えられるように自ら偽装した――いずれにしろ誰にも犯行は不可能だったわけだから、自殺という事実は揺らぎようがない」
穂村は応えると、おもむろに懐からキャラバッシュのパイプを取り出し、煙草を詰めてライターで火を点すと、一息吸い込んでふーと煙を吐き出してから、
「以上が俺の推理だ」
どうだと言わんばかりに一同を見渡した。
「俺はそれが事件の真相だと確信しているが、そうでない可能性ももちろん残っている。明日の正午までに、俺のこの推理を覆す新たな推理が披露されるのを愉しみに待っているよ」
僕はただ、勝ち誇る穗村を前に、悔しさに歯噛みするしかできないでいた。
*
結局その後、別の推理が挙げられることもなく、柱時計が午後十時の鐘を鳴らし、僕達はそれぞれの自室へと戻ることになった。
その際、横を歩く瀬戸家が苦笑まじりに、「……ヤッケ・ヴィー・ホーゼ」そう呟くのを聞いた。言葉の意味はよく分からなかったが(おそらくドイツ語だろう)、その横顔は少し残念そうにしているようにも見えた。
*
自室に戻った僕は、悔しさで一杯だった。よりによって、あの穗村に先を越されてしまうとは……。
だが、あいつの推理が正しいとは限らない。今のところ落ち度はないようにも思えるけれど、それはまだ知られざる要素がどこかに隠されているだけに違いないのだ。
よし、今夜は徹夜だ!
そう意気込み、夜を徹して真相の解明に取り組んだ――そうするつもりだったのだが、昼間の島を探索した時などの疲労が澱のように溜まっていたこともあり、日付が変わらない内に、僕はふかふかのベッドの中で安らかな眠りに就いていた。
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