現場検証
僕が、この孤島中に響き渡ろうかという叫声を上げた後、それを聞きつけた他の招待客ららも、次々と百夜の自室へと駆けつけることになった。
それにしても、百夜フリーク、そしてミステリィフリークとして、これまで散々惨憺たる殺人現場に触れてきたというのに、まさか人形の遺体を前に叫び声を上げてしまうなんて……まさかの失態……大失態だ……。
言い訳がましいかもしれないが、人形と言っても、白いタキシードや白い仮面、白革の首輪に白い革手袋などで覆われているため肌が露出している部分はほぼなく、その一目には人形だと分からないそれが、薄闇の中、首を吊られた状態で不気味に微笑みを向けているのにいきなり出くわしたのだから、僕でなくとも驚愕せざるを得なかったはずだ。改めて目の前にしても身震いがしてしまう(決して僕がチキンというわけではない)。
ただやはり気恥ずかしさからは逃れられず、身を縮こまらせしまってはいるが、とりあえず殺害現場の状況くらいは伝えておこう。
僕達の部屋の倍以上の広さがある百夜の部屋は、南側の中央に観音開きの扉があり、東と西の両側の壁の奥まった方に、それぞれのベランダへと通じる引き違いの硝子戸がある。
横に長い部屋の四方を囲む壁は、氏の嗜好なのか、東側と西側は灰色、北側と南側はそれぞれ黒と白で塗り分けられ、部屋の中央には、フローリングの床の上に毛の長いベージュの絨毯が敷かれている。
他、家具類についてだが、星座鑑賞が趣味な氏だから天体望遠鏡などが置かれているかと思いきや、扉を塞いでいた背の高い箪笥がある以外には、北側の壁に幅広で大ぶりな全身鏡が立て置かれているだけだ。
調度品類も見当たらず、それら箪笥と全身鏡を除くと、この部屋は、まったくの
がらんとして生活感がまるでないが、もちろん普段からそうというわけではないだろう。
それ以外で気になる点として、絨毯の上に、一本の赤いペンと、物置にあったはずのボウガンの弓が転げているのが見つかっている。
そして、僕に大恥をかかせてくれた、観音開きの扉の前に置かれている背の高い箪笥だが、扉よりも少し丈が高く、室内側から見て、右側に傾く形で扉の右側の取っ手を扉との間に隠すようにしながら、その右側の側板の角をあてている。
斜めになっていることで、もう一方の左側の扉がその分開いていたというわけだ。僕が押し退けた際に、その分少しばかり斜めにずれたことになるだろう。
そうする前にできていた隙間は、人が通れる程の幅はなかったわけで、仮にそれができたとしても、室外に出た後にロープなどを箪笥に括り付けて室外から扉を塞ごうにも、そうするための突き出た取っ手や何かが打ち付けられた形跡もなく、床にはその時ずらされてできたと思われる以外の跡が残っているわけでもなかった。
つまり犯人は、その扉から室外へ出ることはできなかったということになる。
扉を塞いでいた箪笥で死角になっていた部分も調べはしたが、誰が隠れているわけでもなく、残るは両側のベランダへと通じる硝子戸だが、東側のそれは、僕の部屋と同じように開かない状態で、西側のそれは、閉めきられてはいたものの、クレセント錠は外されていた。
最後に、問題の人形に装わせた百夜の遺体だが、一本のロープが、その斜めになっている箪笥にその先端を丸めた状態でその角に引っかからせながら敷かれていて(裁縫でいう玉どめのような形だ)、箪笥から近い天井に埋め込まれている換気口の柵を通して、垂れ下げられたその先を首に巻かれて宙吊りになっている。
傍に、あの映像で氏が腰掛けていた木製の椅子が倒れているのを見ると、氏は、その椅子の上に立ち、垂らしたロープの先端の輪っかに首を入れた後、椅子を蹴り倒して首を吊った――ということを訴えていることになるのだろうが――
*
「妻鳥さん、この腕時計は氏がいつも嵌めていたものなの?」
人形の遺体の傍らに立つ瀬戸家が尋ねた。
その人形の死体が右腕に嵌めている腕時計だが、リビングで映像を通して見た氏が嵌めていたのものと同じ型ではあるものの、その針が指す文字盤の数字の向きは、普通のものと変わらない。同じ型の逆さ時計が他にあるということだろうか。
「ええ、そうです」
と妻鳥は肯くと、
「一番愛用されていたものらしく、私が知る限り、常にそれを身につけておられました」
そう説明するよう言付けられているんだろう
「二階のそれぞれの方々の部屋ととこの氏の自室は、ベランダで繋がっているんですのよね?」
今度は、加賀美が妻鳥に問い掛けた。
「ええ。ですが、そちらの東側の硝子戸は鍵が壊れていて開かないようになっています」
その妻鳥によると、地震の影響でこの邸はあちこちと立て付けが悪くなっているとのことだ。それが謎解きにおける建前上のことであったとしても、実際に、僕の部屋の硝子戸同様に、クレセント錠が下ろされたまま開かないように処置されている。
「スラックスの失禁痕(本物の尿を使うのは憚られたのか、オレンジジュース等で代用したらしく柑橘系の匂いを仄かに発している)以外に、首筋に吉川線と呼ばれる引っ掻き傷があるな。あと、吊しているロープのものとは別に、もう一ヶ所ロープで絞められたと思われる痕もある」
人形の遺体を前にそう検分を述べたのは円谷だ。
この円谷というミリオタは、かなりのミステリィ通でもあるらしい。中々の観察眼だ。
「遺体の後頭部の白髪に、毛糸が挟まっているようですわね」
とは加賀美。
「おそらくそれは、この床に敷かれている絨毯の毛に違いありませんわ」
負けじと自分の見解を述べる。
「つまり氏は、こうして首を吊らされる前、絨毯の上に寝かされていたと窺えますわよね」
「そうだな」
円谷は肯くと、
「それらの事実から、その死が首吊り自殺に見せ掛けられた他殺だという結論を導くことができる。つまり偽装縊死ってわけだ。一旦ロープで首を絞めて意識を失わせるなどして動きを封じてから、同じロープで首を吊らせた」
「扉を塞いでいた箪笥が斜めになっていたのは、首を吊らされた氏にまだ意識があって、自殺ではないと示そうと、必死に足で蹴るなどしてどかそうとしたということかしら」
「いや、そうじゃないだろう」
穗村がそれを否定した。
「実際に首を吊らされた場合、すぐに意識が遠のいてしまうわけだから、そうする余裕はなかったはずだ」
「だとしたら、なぜ箪笥は斜めになっていたんですの?」
自説を否定されて、不愉快そうに加賀美が問いを向ける。
「天井の換気口の柵の間にロープを通すためにその箪笥の天板に上がる際、その箪笥で扉を塞ぎながらそうするのに、その形で置くのが最も適当だったというだけだろう」
「なるほどな」
円谷は納得しつつ、
「だけど他にも不可解な点は残っているぞ。犯人はどうやって氏の遺体を吊り上げたんだ?」
「そうですわね。氏がいくら痩身だとは言っても、体重は五十キロ程はあるように見えましたし、それだけの重さのものを吊り上げるには、か弱い私のような女性にはもちろん無理ですし、オリンピックのダンベル選手でも呼んで来ないことには無理なのではなくて?」
「オリンピック選手は大袈裟だろうけど、確かに女性にはちょっと難しそうだな」
と穗村。
「こういうやり方がありますよ」
いつまでも落ち込んでばかりではと、僕も負けじと意見する。
「ロープを二重に掛けて遺体を吊るせば、四本のロープでぶら下がる事になって、一本のロープには四分の一の重さしか掛からなくなる。つまり氏の体重を仮に六十キロとすれば、その四分の一――十五キロの力さえ出せればその遺体を持ち上げるっことが可能になる。換気口の丸い柵を定滑車、ロープの輪を動滑車とした吊り上げ方式というわけです」
「ふむ」
と穗村は顎先を片手で摘まんで唸りながら、
「君は大学生ということだったが、何を学んでいるんだ?」
「一応、物理学生ですけど」
憎っくき穗村に素気なく返した。
「なるほど、物理学的視点というわけか。君は中々に慧眼の持ち主らしい」
穗村が上から目線で言う。その余裕も今の内だけだ。優勝をかっさらうのはこの僕なんだからな。
「氏の携帯が、デスクの上に伏せた状態で置かれているけど、それを調べることはできないの?」
瀬戸家が妻鳥に尋ねた。
「申し訳ありませんが、それについては許可できません」
と妻鳥。
「そう。だったら――」
と瀬戸家は今度は遺体の傍に寄ると、
「ジャケットの胸ポケットに収められているポケットチーフに何か記されているみたいなんだけど、それを取り出して調べることは?」
「それについては許可できます。どうぞそうされてください」
了承を得た瀬戸家は、人形の遺体の胸ポケットから、その綺麗に折り畳まれたままの白いポケットチーフを摘まみ取り、その角を摘まんで広げて見せた。
『rain』――ポケットチーフには、赤いアルファベットの文字で、そう記されていた。
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