二百六十八 思い煩う
クイトの言葉は本当で、あの後彼と顔を合わせる機会はぐっと減った。
これまで通りに、とは言われても、気まずくなるのが目に見えているので、これはこれで助かるのだが。
――問題はこっちだわ……
目の前にいる人物を見て、ティザーベルは内心溜息を吐いた。彼女の前には、ヤードが座っている。
今日は久々に地下都市に来たレモとフローネルと共に、お互いの近況などを話していた。場所はいつもの宿泊施設内にあるティールームだ。
「じゃあ、帽子かぶれば隠居所の外に出ても、問題はなかったんだ?」
「ああ、格好から何か言われるかと思ったんだが、特に何も言われなくて、ちょっと驚いた」
「よくも悪くも、帝都は他人の事には無関心だからな」
確かに、都市部にありがちな冷たさは、この場合いい方向に働いたようだ。
「ラザトークスなら、こうはならないだろうからねー」
「嬢ちゃん、そんなに故郷が嫌いか?」
「うん、大っ嫌い」
逆に、あの街のどこを好きになれというのか。レモもただの確認だったらしく、それ以上何かを言ってくる事はなかった。
フローネルはこちらの様子から、触れてはならない話題だと悟ったらしく、こちらも黙っている。
その場に沈黙が下りた。
「そういやあ」
しばしの沈黙の後、レモが再び口を開く。
「クイトの若旦那の顔、隠居所でも見かけねえんだが、何か知らねえか?」
びくり、とティザーベルの肩が揺れる。まさかここで、彼の名が出てくるとは。三人の視線がこちらに向いているのがわかる。
「えーと、向こうの大陸との交易のあれこれで、動き回ってるとは聞いたな」
「そいつぁ、あの片眼鏡の旦那が担ってるんじゃねえのか?」
「丸投げするなって言われたらしいよ」
実際にインテリヤクザ様に言われたのか、それとも別の誰かに言われたのかまでは知らないが。
「若旦那、ここに来たのかい?」
「……帝都に戻ってからは、一度も来てないと思うよ?」
「そうかい……それはそうと、ご隠居の容態は?」
「体は治療が終わったんだけどね……」
ネーダロス卿は、年齢が年齢だからか内臓にいくつか病巣が見つかっていた。鬱の治療に併せてそちらも治療が施され、完治しているのだが、肝心な鬱その他の治療がうまく進んでいない。
「気力が萎えちゃってる状態が、ずっと続いているらしいの。それが原因で、治療がうまく進んでいない部分もあるって」
「なるほどな……ご隠居にとっちゃあ、『にほん』とやらに帰るというのが、最大の希望だった訳か」
日本語での国名の発音に少し違和感を憶えるけれど、彼の言葉は正しい。ネーダロス卿にとっては、日本に帰る手段がなかった事が、自身の体を損ねる程ショックだったという事だ。
「何か、新しい希望でも持てればいいんだけど……」
今の段階では難しそうだ。入院中、日に一度は車椅子で中庭に出るそうだが、周囲の何にも感心を示さないらしい。
クイトがいた時は、彼が何かと話しかけていたそうだが、こちらもあまり反応しなかったという。
「俺も後で、ちっと様子見てくるわ」
「お願い」
ティザーベルにとって、ネーダロス卿は転生者仲間という以上の繋がりを感じられない。身分も育ちも違うのだから、当然か。おかげでどうにも、近寄りがたさが先に来て、見舞いに行っても無言で帰るしかない。
――ネーダロス卿に関しては、私は完全に役立たずだもんな。おじさんの方が、話題もあるでしょ。
レモがネーダロス卿のところへ行けば、フローネルも一緒に行くだろう。そうなると、また残されるのは自分とヤードだ。
クイトの言葉が、脳裏から離れない。おかげで、どうしても態度がぎこちなくなっている。
あの後、見舞いに行く二人と一緒にヤードも宿泊施設を後にした。多分、入り浸っている訓練所に行くのだろう。様々な戦闘パターンを組めるのが面白いらしく、地下都市にいる間は連日通っているそうだ。
一人で、広いテーブルを前にぼんやりと窓からの景色を眺めた。景色と言っても、窓に映るのは六千年前の映像データだ。
「とんでもない置き土産をしてくれたわよねえ……」
内容が内容だけに、セロアにも相談出来ない。何より、自分の感情に名前が付けられずにいた。
これは、本当に恋情なのだろうか。ただの安心感や憧れが強くなっただけではないのか。
でも、本当は自分でもわかっている。感情なんてものは、名前を付ける必要はないのだ。特に恋だの愛だのというものは。
これが他人の話なら、勘違いでもいいじゃないと背中を押すところなのだけれど。我が事になると、どうしてこうも臆病になるのか。
わかっている。傷つきたくないし、今の関係性を壊すのが怖いのだ。
「ユッヒの時は楽だったなあ……」
何せ子供の頃からの付き合いだし、彼ならいっそ関係が壊れても惜しくはなかった。だからこそ、他の女と結婚すると聞いて、即行動に移せたのだ。
彼に対して持っていたのは、恋でも愛でもなく情だ。あのラザトークスでずっと生活するなら、その情こそが重要だと思っていた。だからこそ、いつかは結婚するのだと思っていたのだと思う。今となっては笑い話だけれど。
でも、ヤード相手ではそうはいかない。最悪、パーティー解散になるだろう。そうなると、これまでのような収入は期待できないし、何より帝都にいられる気がしない。
「……あれ? でも待てよ」
ティザーベルには、現状ここ五番都市以外にも七つの地下都市がある。生産性が高いので、どの都市でも死ぬまで楽に暮らせるだろう。老後の心配がいらないのは、ありがたい事だ。
今まで稼ぎに目を向けていたのは、いざという時の保険的な意味合いが強い。何せ頼れる親族など一人もいないのだから。
帝国は小国群やあちらの大陸の国に比べても住みやすいところだと思っているけれど、前世のような社会保障はない。年を取って働けなくなったら、子や孫の世話になるのが当たり前の国なのだ。
それもあって、動けるうちに稼いでおこうとがむしゃらだったのだが。ここに来て、その前提が崩れている。いい事なのだが、気づいてしまったらちょっと気が抜けた。
◆◆◆◆
医療施設の中庭に、ネーダロス卿が車椅子で出ている。その傍らにいるのは、フローネルだ。
「それで、妹が勝手に里の外に出てしまったんだ。しかも、長の親族の娘を連れて! 知った時には肝が冷える思いだったよ」
彼女が口にしてるのは、自分がどういう経緯でここに来る事に至ったのか、というものだった。
聖国を舞台にした大がかりな「内乱」、何故そこに参加する事になったのか。ティザーベルとの出会いなど、最新の情報から遡る形でつらつらと話している。
特に里や妹に関する話題では、感情的になりやすいようだ。今も離れた妹を怒りつつ、心配しつつ身振り手振りを交えて話している。
そんな光景を少し離れた場所から眺めているレモは、隣に立つヤードに声をかけた。
「で? 嬢ちゃんと何かあったのか?」
「いや」
「お前、また何かやらかしたんじゃないだろうなあ?」
「覚えがない」
「そうか……まあ、問題は嬢ちゃんの方にありそうだしなあ」
五番都市に到着してすぐ、ティザーベルとヤードの間に流れる微妙な空気に気づいていたレモは、この機会を逃すまいと甥にたたみかける。
「お前の方はわかるとして、嬢ちゃんも憎からず想ってるはずなんだから、絶対に逃がすなよ?」
「どうすりゃいいのかわからん」
甥からの返答に、レモは頭を抱えた。幼い頃の体験や、その後の生育過程において、ヤードは少なからず女性不信を抱えている。
不思議とティザーベルにだけは最初から出なかったから、これはもしや行けるか? と期待したものだ。先程も言った通り、相手の反応も好感触、ならば短時間でまとまるのでは、と思っていたのに。
「その辺りに関しちゃあ、俺にも責任はあるのか……」
「レモ、ブツブツうるさい」
「やかましい。澄ました顔してねえで、嬢ちゃんに愛の告白の一つでもしてきやがれ!」
「だから、どうすればいいのかわからんって言ってる」
レモは大きな溜息を吐く事になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます