二百六十六 交代
「はー……本当に鬱だったんだ……」
ネーダロス卿の隠居所に戻ってきたクイトは、深い溜息を吐いた。
三人がいるのは、小ダイニングだ。人数が少ない時に使われる部屋で、ティザーベルも何度か使った事がある。
「とりあえず、治療は出来るんだけど、そうなるとしばらくあっちに居続けなきゃならないからさ。それで、一度あんたと相談しておこうと思って」
本当は、クイトを向こうに連れて行って相談するはずだったのだが、インテリヤクザ様から今この場で終わらせた方がいいのではないか、と提案された為、ここでの話し合いになったのだ。
「なるほどねー。で、ゼノが戻ってきたのは?」
「お前と交代する為だ」
「え!? マジで!? やったー!! これでこの面倒臭い仕事から離れられるー!!」
諸手を挙げて喜ぶ姿に、ティザーベルは知らずにしらけた目を向けてしまった。クイトは確か、皇族だったはずだが。
「あ、何その冷たい目!」
「別にー?」
「言いたい事あるなら、言えばいいじゃん」
「別にー」
「何かムカつくー」
クイトとのやり取りを、インテリヤクザ様は冷めた目で見ている。
「じゃれ合いはいいから、引き継ぎをするぞ」
「あ! ゼノまで俺に冷たい」
クイトは泣き真似をするけれど、インテリヤクザ様には通用しないようだ。冷静に話を進められている。
「それで? どこまで話が進んだ?」
「……とりあえず、誰も見た事がない大陸があるって事を、信じてもらえたくらい?」
「交易の利点までは、いかなかったか」
「そりゃしょうがないんじゃね? これまでの常識が覆された訳だからね。まさかここ以外にも、大陸があるなんてさ」
しかも、向こうの大陸の方が大きいのだ。そんな大陸との交易は、きっと帝国の利益に繋がる。
とはいえ、利益になる品を見つけるまでが大変そうだ。
――魔物素材に関しては、探すにしろ狩るにしろ手伝えるけど、他はなあ……いっそ、デロル商会のゴーゼさん辺りが出張ってくれれば、何とかなる?
見知らぬ国に行くのは戸惑いもあるだろうけれど、あの人ならば喜んで行きそうな気もする。
ラザトークスにいた頃も、護衛を連れて自分で大森林まで入った人だ。あの時は、ギルドだけでなく街中がざわついたものだ。
帝国でも名の通った大店の支店長に、もしもの事があったら街がどうなるか。あの時の空気感は異様だった。
結局、腕のいい帝都の冒険者を護衛にしていたからか、ゴーゼは無事に帰ってきたけれど。
自分の考えに耽っていたせいか、二人の視線がこちらに向いているのに気づいていなかった。
「……何?」
「いや、黙り込んでいたから、何か考えがあるのかなーって思って」
「考えって、交易の利点ってやつ?」
「そう」
「そういうのは、素人よりも腕のいい商人に聞くのがいいんじゃない? デロル商会のゴーゼさんとか」
「そういや、あの人と知り合いなんだっけ。でも、商人が未知の国に行ったりするか?」
「あの人、護衛付きだけどラザトークスの大森林にも入ってるよ」
「マジか。フットワーク軽いんだな、あのおっちゃん」
確かにフットワークは軽い。自分の目で見て確かめるのが信条らしく、他の成功した商人とは違い、常に店先にも出ていた。
「ゴーゼさんなら、まだ出回っていない品があるかも、って言えば喜んで行きそうな気がする」
「うーん……どうする? ゼノ」
クイトに話を振られたインテリヤクザ様は、考える素振りすら見せずに即答する。
「悪くない案だ。少々遠回りな気もするが、この手の事に近道はない。堅実にいった方がいいだろう」
「急がば回れ、か」
腕を組んで天井を仰いだクイトは、少しして結論を出したらしい。
「よし! ここはいっちょデロル商会も巻き込もう! って事で、話しを通しておいて」
「こちらに丸投げか?」
眉間に皺を寄せるインテリヤクザ様に、クイトは悪びれた様子もなく告げる。
「いやあ、だってほら、交代だって言うから」
「まあいい。お前では、まとまるものもまとまらないだろうからな」
「あ、ひでえ!」
その後も何やら軽い言い合いをしていたが、クイトではインテリヤクザ様には敵わないらしい。結局言い負かされて盛大にぶすくれていた。
小ダイニングでの話し合いの後、すぐに地下都市へと戻る。
「じゃあこれ、渡しておきますね」
ネーダロス卿の治療にかかる期間を考えて、今回用意してきたものをインテリヤクザ様に渡した。
「スマホ? 使えるのか?」
「使えますよ。ただし、送受信出来る相手が限定されますけど。ちなみに、それで連絡が取れるのは、クイトが持っているスマホだけです」
マレジアが持っている通信機を見て、どうせならこのタイプに出来ないかと支援型達に頼んで作ってもらったのだ。
ちなみに、マレジアの持つ通信機は昔のトランシーバータイプだが、あれは操作を単純化させる為にあの形になったらしい。
元日本人なら、生きていた年代的な問題はあれど、少し習えばスマホくらいなら扱えるだろう。搭載している機能も通話とメールの限定的なものだけだし。
狙い通り、クイト達は普通に使えるようだ。
「場所は、帝国内ならどこでも使えるらしいので、問題ないと思います」
「なるほど。では、使わせてもらおう」
これで帝都との連絡手段が出来た。もっとはやく作っておけば良かったと思ったが、まさかネーダロス卿があんな事になるとは、誰も思っていなかったのだ。
そのまま隠居所でインテリヤクザ様と別れ、クイトを連れて五番都市へと戻る。
「何回来ても、すげえよな、ここ」
クイトは移動中の車窓から街を眺めつつ、そんな言葉を漏らした。これから宿泊施設へと向かい、ネーダロス卿を連れて医療施設へと入る。
ネーダロス卿は、完治までそちらへ入院する事が決まっていた。
街の入り口から宿泊施設まで、車で約三十分。シートに体を預けた状態で、窓の外を眺めていたクイトが呟く。
「俺が来たからって、爺さんの容態がよくなる訳じゃないけどさ……」
「うん」
「一応、ガキの頃から面倒見てくれてた人なんだ」
「そっか」
今回の関係者の中で、ネーダロス卿と一番長い付き合いなのはクイトだという。てっきりインテリヤクザ様かと思いきや、彼とは十年未満の仲なのだとか。
もちろん、貴族としての付き合いはあったそうだが、転生者としての付き合いは案外浅いらしい。
「前世の記憶を思い出したのは、俺の方が遅いんだけどさ。俺の場合、それまでとの自分と今がごっちゃになってるから」
ティザーベルやセロアは、物心つく頃には自分が転生者である事がわかっていた。前世の記憶も、その頃からある。
クイトの場合、前世を思い出したのがかなり遅いと聞いていた。それこそ、いきなり自分の中に見知らぬ自分がいたようなものだろう。
でも、彼の中でその二つは完全に溶け合っているという。だから、前世を思い出した後も、思い出す前から付き合いのある人とは普通に接していられたそうだ。
それでも、前世の記憶に振り回されそうになる時があったという。
「爺さんにも当たってさ。でもあの人、軽くいなすんだよねえ。それがどうしたって感じで」
「ああ、何かわかる」
「だろ?」
薄く笑うクイトに、脳天気に見える彼にも、やはり苦悩もあるのだなと失礼な事を考えた。
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