二百六十五 診察

『随分とご無沙汰だったねえ?』


 画面の向こうの老女は、にこやかだが目だけが冷ややかだ。彼女の言う通り、一月以上も連絡をしていなかったのはティザーベルなので、何も言えない。


「……元気そうで何よりだよ、マレジア」

『あたしゃ見ての通り、ピンシャンしてるよ。そっちはどうだい? 久しぶりの故郷は』

「うーん……本当の故郷は懐かしいって場所じゃないし、帝都の方はまだろくに知り合いにも顔見せに行ってないからなあ……」

『あの、エルフのお嬢ちゃんの事かい?』

「それもあるけど……」


 どうにも、ネーダロス卿の事は言いにくい。とはいえ、彼女以外に六千年前の事を知っている人間はもういないのだ。


「マレジア、確認したい事があるんだけど」

『何だい? 改まって』

「……地球の日本には、行く事って出来るの?」


 一瞬、間が空いた。画面のマレジアは、虚を突かれたような顔をしている。だが、それもすぐに消えた。


『……あんたが、それを望んでいるのかい?』

「違う」

『そうかい……答えはノーだ』


 予想通りの答えに、ティザーベルは心のどこかで奇妙なきしみを感じた。それは、二度と日本に帰れない事に対する諦めか、魔法は決して万能ではないと突きつけられた事に対する恐れか、それとも。


『少なくとも、六千年前の技術じゃあ、不可能だったね』

「向こうから来た子はいても?」

『転移や転生に関しちゃ、いくら研究しても解明の糸口すら見つけられなかったよ』


 研究はされたそうだが、地下都市凍結までに明確な答えを出せた者はいなかったそうだ。それだけ、研究が困難なテーマなのだろう。


 出来れば、菜々美の為にも解明したいところだけれど、六千年前の研究者にすら解き明かせなかった謎を、自分にどうこう出来るとは思えない。


 ――ごめん、菜々美ちゃん。この世界で、強く生きて行ってね。


 ティザーベルが願うまでもなく、彼女は実にたくましく帝国で生き抜いている。このまま行けば、デロル商会で高い地位に昇れるのではという噂もある程だ。


 周囲との交流も生まれ、セロアからの話ではザミ達とも仲良く過ごしているという。


「ああ、そうだ。その後、そっちの様子はどう?」

『とって付けたような聞き方だねえ。まあいいや。こっちはフォーバルやヒベクス、それにスンザーナ嬢ちゃんが頑張ってるよ』


 教会の教えそのものや、亜人迫害に関する意識の変化はすぐには出来ないけれど、上から順に下へと変革を伝えていくよう動いているという。


 スンザーナは、新生シーリザニアの復興に力を注ぐ一方で、周囲の国との連携を強めるべく、精力的に動いているそうだ。


 その一環として、聖都の復興にも助力しているという。


「シーリザニアの女王が、聖都の復興に?」

『そうする事で、亜人との共生を選んだ国の評判を上げる方向なんだろうよ。今のところ、うまくいってるってさ』


 聖都の民には、フォーバル達がシーリザニアの事を広めているそうだ。


 化け物と化した先代教皇により国を焼かれたシーリザニアの女王が、同じく教皇の手により一部とはいえ街を破壊された聖都の復興に助力する。


 綺麗なおとぎ話に聞こえるけれど、庶民とはそういう話が好きなものだ。おかげで、聖都に限ってはシーリザニアの評判が上がり、同時に亜人への迫害意識が薄れてきているという。


『それと、ヨファザスやサフーの非道な行いが表沙汰になったのも、大きいよ』

「ああ、あの二人。遺体は見つかったんだっけ?」

『瓦礫の下から、潰れた姿で見つかったってよ。特にサフーはずんぐりむっくりだったから、潰されてえらい事になってたってさ』


 笑い混じりに言うマレジアに、ちょっとだけグロい映像を思い浮かべてしまったティザーベルだった。




 マレジアとの通信も終了し、これからは最低でも一月に一回は連絡をよこせて怒られて、中央塔を出る。


 手元の通信機を確認すると、セロアから連絡が入っていた。


「何だって?」

「向こうの診察は終わって、結果待ちみたい。やる事ないから、宿泊施設に戻ってるってさ」


 退屈しきっていたセロアにとって、地下都市は興味を引かれるものが多いらしい。早く戻ってきて、付き合ってくれともメールにあった。


「私は宿泊施設に行くけど、ヤードは他に行きたいところ、ある?」

「いや、特にない」

「そ? じゃあ一緒に戻ろっか」


 中央塔からは、車での移動だ。再起動している都市は、天候を地上に会わせるらしく、現在は昼間の明るい日差しが降り注いでいる。整然と並ぶ建物は綺麗だが、少し面白みに欠ける気がした。


 地下都市はどこも機能性を優先している。研究実験都市として造られたからか。


 そんな街並みを眺めていたら、不意にヤードから声がかかった。


「これから、どうするんだ?」

「ん? どうって?」

「このまま、帝国に戻るのか、それとも、向こうの大陸に行くのか」


 意外な質問だった。てっきり、これからの直近の予定を聞かれているのかと思ったのに。


 驚きのあまり、返答までに少しの間があったが、答えは決まっている。


「これまで通り、帝都で暮らす事を願ってるよ。まあ、状況的に無理だってなっても、帰る場所は帝都だと思ってる」


 帝都で過ごした時間は、そう長くない。それでも、今ではあの街こそ自分の「故郷」だと思える。


「そうか」


 短く答えたヤードの声には、どこか満足そうな色があった。




 そのままネーダロス卿の診察結果が出るまで、地下都市に滞在している。診察から三日後の今日、結果がわかるそうだ。


「意外に時間がかかったね」

「間違いがないかどうか、入念に調べた結果よ」


 パスティカからの返答に、なるほどと思う。機械をチェックするのとは訳が違うのだから、慎重にもなるのだろう。


 てっきり医療施設まで聞きに行くのかと思っていたら、こちらに送ってくれるそうだ。詳細な内容も書類という形で出してくれる為、説明を聞く必要はないらしい。


 もっとも、診察した側が機械なのだから、説明の聞きようがないのだけれど。


「で、これがその結果、と」

「鬱状態だって」


 宿泊施設一階にあるティールームで、届いた結果を見る。そこにはしっかり「鬱」と書いてあった。


「やっぱりかあ……インテリヤクザ様は、まだネーダロス卿の部屋?」

「みたい。この結果、持っていく?」

「よろしく」


 少しでも、インテリヤクザ様ことメラック子爵の側に行けるなら、セロアも文句は言わないだろう。今も嬉々として書類片手に立ち上がっている。


 そんな彼女の背中を見送りながら、どうしたものかと考え込んだ。


 ――帝国の魔法治療に、精神系のものはあったっけかな……


 なければ、このまま地下都市である程度の治療を試みた方がいいだろう。地上では出来ない治療も、ここなら出来る。


 その辺りも含めて、一度クイト達と相談しなくてはならない。


「問題は、どうやって帝都と連絡するか、なんだけど」


 その日の昼食時に、ティザーベルがこぼした。今回はインテリヤクザ様も同席している。


 ネーダロス卿は、薬で眠っているそうだ。治療が始まれば医療施設に移動するし、その間は完全看護になる為付き添いはいらなくなる。


 そこまで見届けてから、彼は帝都に戻るそうだ。


 ちゃっかりインテリヤクザ様の隣の席を確保したセロアは、昼食のメニューであるホワイトシチューを前に、ティザーベルを見た。


「あんたが行って、皇子様を連れてくればいいんじゃない?」

「それしかないかー」


 通信機器でもあれば話は別だが。その前に、クイトも大分ネーダロス卿の事を心配してたので、自分の目で診察結果を見たいだろう。


「では、彼と入れ替わりに私が帝都に戻ろう」

「え!?」


 インテリヤクザ様の申し出に、驚いたのはセロアだ。だが、彼は構わずに続ける。


「彼がやっている根回しは、途絶えさせない方がいい。将来的に、帝国の利益にも繋がると確信している。クイトがこちらにいる間は、私が彼に変わって動こうと思うのだが」

「ぜひ!」


 話しに乗ったのはティザーベルだ。彼等の根回しが、フローネルの生活の安定に繋がるのなら、願ってもない事である。


 不満そうなセロアは、この際見ないでおこう。

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