二百六十四 引きこもり生活

 隠居所での生活は楽だけれど、退屈するのも早い。


「飽きたー」


 最初に音を上げたのは、セロアだ。幸い、この隠居所には本が山程あったので、最初のうちこそ書庫に籠もっていた彼女だが、読める本がなくなってしまい、退屈の虫が騒ぎ出したらしい。


「まだ書庫には本があるじゃない」

「魔法の専門書ばっかりじゃない。理解出来ないっての」

「んじゃ、フローネルと一緒に勉強する?」

「彼女、こっちの文字を習ってる最中なんでしょ? それに参加してもなあ……」


 フローネルに関して、会話に困るのがわかりきっていたので、都市の機能を使い帝国言語を直接頭にたたき込んでいる。


 それでも、文字まではうまく習得出来なかったらしく、現在帝国で発行されている子供向けの本を使って文字の練習中だ。


「ギルドでの、刺激に満ちた生活が懐かしい……」

「まだここに籠もって半月程度じゃない」

「それでも退屈退屈退屈ー」


 駄々をこね始めた。面倒臭くなったので、ティザーベルも放っておく事にする。


 隠居所に籠もり始めて半月、外の状況は一応進んではいるらしい。ただ、やはり海の向こうにも大陸と国があるという事を理解出来ないでいる人が多いらしく、クイトがかなり困っていた。


 その彼は、二日とおかずにここに来ている。今日もそろそろ来る頃だ。そう考えていたら、表の方が騒がしくなった。


「噂をすれば……かな」


 口に出してはいないけど。駄々っ子モードのセロアを放って、ティザーベルは読みかけの専門書にしおりを挟んで椅子から立ち上がった。




 出迎えたクイトは、ここしばらくのうちで一番疲れているように見える。


「お疲れ」

「いやあ、本当に疲れたよ……どうしてああも人の話しが聞けないかなあ!?」


 来るなり愚痴だ。相当ストレスが溜まっているらしい。


「まあまあ、まずは上がって一息吐きなよ」

「うん、そうするわ。爺さんの容態は?」

「変わらないみたい」

「そっか……」


 クイトがこの隠居所にまめに顔を見せるのは、進捗状況を伝える為もあるけれど、それ以上にネーダロス卿の容態を心配しているからだった。


 ネーダロス卿は、すっかり老け込んでしまい、最近では誰ともまともに話そうともしないらしい。


 普段使いしている八畳程の和室もどきで、お茶を飲んで一服する。玄関先で聞いたネーダロス卿の様子から、クイトはある疑念を持ったらしい。


「爺さんの様子ってさ、鬱状態ってやつじゃない?」

「どうだろう……地下都市で、一度診察受けさせてみる? 精神系の病気も治療可能だっていうから」

「うーん……でも、あの状態でラザトークスまで連れて行くのはなあ……」

「あ、今なら直接移動させられるって」

「マジで!? ううーん……その辺りは、ゼノと相談して決めるよ。悪い」

「いいよ。向こうに行かせるって決まったら、教えて」

「了解。で、今日までの進捗なんだけど」


 八畳には、クイトとティザーベルしかいない。セロアは退屈だと言いながら大広間でゴロゴロしているし、ヤードは剣の稽古、レモはフローネルの文字練習に付き合っている。


「やっぱり、何か国にとってのうま味がないと、エルフの存在を受け入れるってのは、難しいみたい」

「国のうま味……たとえばだけど、向こうの大陸との交易とかは?」

「目玉商品があればいいけどさ……言っちゃなんだけど、帝国って割と自前で何でも用意出来るでしょ?」


 金属製品、ガラス製品、砂糖や塩、香辛料類。魔法だって、禁じられていた向こうの大陸よりも発展している。


 六千年前の技術と比べると子供の遊びくらいではあるけれど、それでも生活に根付いた、なくてはならない技術だ。


「うーん……宝石類とか? それもあまり情報がないしなあ。あとは、帝国では珍しい果物とか、農産物……あ、魔物素材とかは?」

「その場合、こっちの技術者を向こうの大陸に送って、狩った魔物をその場で解体する必要があるじゃん。農産物とかにしても、どうやって長い船旅に耐えるように運ぶのさ」

「その辺りは、魔法士達に頑張ってもらって、魔法鞄の大量生産を……」

「魔法鞄だって、万能じゃないんだよ? 中に入れたものは、普通に腐るし」

「え? そうなの?」

「え? 君が作ったのは、違うの?」


 ヤバい。これでは肯定したも同然ではないか。クイトはよだれを垂らしそうな顔で、こちらを見ている。


「そ、そのレシピをぜひ!」

「タダでなんて、教える訳ないでしょ! それに、作るのに希少素材を惜しみなくつぎ込む事になるけど?」

「うう……でも、時間停止の魔法鞄は有益……」


 さすがのクイトでも、コストがバカ高いと言われては、簡単に首を縦に振る事は出来ないらしい。しかも、それにレシピの購入代金までついてくる。


「……ちょっと、即答は出来ないかも」

「だよねー。まあ、とりあえず、そんな手もあるよって事でよろしく」

「了解」


 クイトとは、最初から地下都市の能力を交渉に使わない事で合意している。現状、ティザーベルが死ねば使えなくなる機能だ。


 彼女以上に魔力を持った者が跡を継げばまた話は違うのだろうけれど、マレジアによればティザーベルの魔力量は桁外れだそうだから、まず無理だと思われる。


 ――国としては、珍しい品を仕入れられる場所として他大陸の認知を進められればってとこか。それに併せて、エルフや獣人の存在も広めていけば、偏見にさらされる事はない……と思いたい。


 帝国人は、良くも悪くも帝国一国だけしか知らない。同じ大陸の東側に小国郡があるけれど、細々としたやり取りしかない為、その存在は広く知られていないのだ。


 クイトも言っていたが、何でも帝国内で揃う為、他国から何かを取り入れるという考えそのものがあまりない。


 そんな国に、海の向こうに大陸があり、たくさんの国がありますと言ったところで、喜ぶのは冒険者くらいではないだろうか。


 彼等は一攫千金を夢見る生き物だ。それに、行った事のない場所には見た事もない素材があるかもしれない。その夢だけで生きていける生き物でもある為、まず最初に向こうの大陸に行きたがるのは商人ではなく冒険者だろう。


 だが、向こうの大陸にはギルドはない。あちらの国と国交が結べれば、その辺りも整備していく事になるだろうが、先の長い話だ。




 数日後、インテリヤクザ様とクイトが相談した結果、ネーダロス卿を地下都市の病院で診てもらおうという事になった。


「俺は引き続きこっちで交渉が残ってるから、爺さんにはゼノが同行するよ」

「了解。こっちは――」

「はいはい! 私が行く!」


 喜色満面のセロアが立候補してくる。そういえば、以前眼鏡キャラが好きだと言っていた。


「……あんた、まだインテリヤクザ様を狙ってたの?」

「えー? 狙うなんてそんなー。でも、チャンスは見逃せないよね?」


 駄々っ子モードになられるよりは、アクティブに動いてもらった方が面倒が少なくていいかもしれない。


 ヤード達に声をかけると、意外な事にレモとフローネルはこの隠居所に残るという。


「耳を隠せば、街中に出てもいいと許可が下りたしな」


 いつの間にか、クイトがもぎ取ってきた許可だそうだ。嬉しそうなフローネルに、隣に立つレモも若干頬が緩んでいる。


「じゃあ、ヤードもこっちに残る?」

「行く」


 即答だ。彼も隠居所に籠もっている生活に、嫌気が差していたのだろう。


 地下都市へは、出発が決まってから三日後に向かった。ネーダロス卿はインテリヤクザ様に連れられて、パスティカ先導で医療施設へ。セロアはちゃっかりそれに付いていった。


 残されたのは、ティザーベルとヤードだけである。


「……どうしようか?」

「向こうの大陸の連中は、今どうしてるんだ?」

「あー……そういえば、マレジアとも連絡取ってなかったわ」


 まだ混乱が続いている最中で、皆忙しいだろう。そう言い訳しつつ、連絡していなかったのだが。


 向こうを出てからそろそろ一月近く。少しは進展があったかもしれない。


「中央塔から、連絡してみるよ」

「付き合う」


 結局、二人で五番都市の中央塔へ向かう事になった。

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