二百四十三 異端管理局長

 新人の訓練は順調そうだ。報告で聞く限り、問題なく聖魔法具を使いこなしているという。


 彼女達の名前は、三十七号と呼ばれていた少女をゼア、四十五号と呼ばれていた少女をヨニア、六十八号と呼ばれていた少女をルクニとした。まだ自分達の名前になれておらず、名を呼ばれてもきょとんとしている事が多い。


 そんな彼女達だが、一つ問題があった。本人達の元々の性格か、それとも経験からなのか、指示をされなければ動けないという。現場での臨機応変が求められる仕事は、任せられそうにない。


 とはいえ、管理局の仕事は多岐にわたる訳じゃない。その根幹は「異端者の摘発と捕縛」だ。昨今では、それに「場合により処分」が加わっている。


 ――その「場合により」がかなり増えてきてるけどな……


 机に向かって報告書を読みつつ、ベノーダは心の中で愚痴った。


 管理局に、人影はない。元々人手不足気味のこの部署なのに、殉職者を二人出し、戦力の要であるカタリナも負傷中だ。


 ベノーダ一人で現場に出る訳にもいかず、こうしてたまった書類の整理に追われている状態だった。




 祭りの後の聖都は、いつもより少し寂しく感じる。本来異端管理局の仕事ではない街の警邏も、この時期には大事な仕事だった。


「で、こっちが聖なる泉教会、向こうが鋼の祭壇教会だ。外観が似ていると言われがちだから、間違えないように」

「はい」


 今日は警邏にかこつけた、新人への聖都の案内だ。異端管理局が聖都を駆け回る事はほぼないけれど、地理を知っておかないと困る場面も多い。


 三人の新人は、相変わらず感情らしい感情を見せずにベノーダの後ろをついてくる。


 彼女達は、全員ヨファザス枢機卿の下で「養育」されていたという。あの無気力感は、枢機卿から受け続けた虐待の結果か。


 半分気を抜きながら歩いていたからか、それに気づいたのはベノーダが最後だった。


「くたばれ! 異端管理局共め!!」


 大ぶりの刃物を振りかざして、襲撃者が襲ってきた。対応が遅れたベノーダは、慌てて聖魔法具を起動させる。新人を気にしている余裕はない。


 本来、彼の聖魔法具は遠距離からの攻撃に優れている。とはいえ、近接戦闘に使えないという事ではなかった。


 起動した聖魔法具を襲撃者に向け、攻撃を放つ。先端から力の塊が襲撃者へ向けて放出され、無事に敵を処分する事が出来た。


 街中でのいきなりの戦闘に、住民達が悲鳴を上げている。あっという間に終わったとはいえ、近場で異端管理局が闘う場所など見る機会などそうない。恐れから恐慌状態になるのは、当然だろう。


 誰かが呼んだのか、街の治安を維持する衛兵がやってきた。


「何事だ!? この男は……お前がやったのか?」


 あっという間に衛兵達に囲まれたベノーダは、持っているペンダント状の身分証を服の下から取り出した。


「異端管理局員、ベノーダだ。異端者と思われる襲撃者に出くわしたので、対処した」

「し、失礼しました!!」


 異端管理局員とわかった途端、衛兵達の態度が変わった。嫌われ者とはいえ、教会内部での異端管理局の地位はそれなりに高い。何せ、教皇直属なのだ。組織の中では下っ端の衛兵達にとっては、それこそ雲の上の存在である。


 衛兵に後を任せてその場を離れようとしたベノーダの耳に、襲撃者の声が突き刺さる。


「何が……異端だ……何が、神の教えだ……幼子を夜な夜な己の欲に……さらす獣を……枢機卿などと……」

「おい! 黙らんか!」

「人殺しが神の教えか! 貴様らが焼いた街には、幼子が何人いたと思っているのだ! ひ……ひひ……貴様らが行くのは天の国ではない、地獄だ……そこで、待っていて……や……」


 最後の力を振り絞り、ベノーダに悪態を吐いたらしい。だが、その言葉は彼の中に深く突き刺さった。




 大聖堂に戻っても、ベノーダの気は晴れない。彼の後ろをついてくる三人は、一言も発しなかった。


「……何故、動かなかった?」

「何の事でしょう?」


 三人を代表するのは、いつもゼアだった。彼女達の中で、そういう役割が出来上がっているのかもしれない。


 ベノーダは気にせず続けた。


「街中での事だ。襲撃者に襲われたにもかかわらず、何故聖魔法具を起動させなかった」


 戦闘に参加しろとまでは言わない。それでも、せめていつでも法具を使えるように起動させておくべきだろうに。


 だが、ゼアから帰ってきた答えは、ベノーダを疲れさせるだけだった。


「命令を受けておりません」


 ある意味、予想通りの返答だ。


「……命令を受けていなくとも、襲撃者がいた場合には、せめて法具を起動させるように」

「襲撃者と判断するには、どうすればいいのですか?」


 そこからか、とベノーダは天を仰ぐ。だが、続く言葉に目を剥いた。


「私達は、何をされても逆らうなと言われてきました」

「おい……」

「なので、襲撃者とそうでない者との見分けがつきません」


 先程の、死にゆく襲撃者の言葉が思い出される。枢機卿を、獣と称したあの言葉だ。


 それは、今まで直視しないようにしてきた事でもあった。ベノーダの立場上、ヨファザス枢機卿に逆らう事は許されない。


 それでも、彼がやっている事は表沙汰に出来ないような事だ。目の前にいる三人は、その表沙汰に出来ない地獄から生還した者達でもある。


 ――いや、生還した訳じゃないのか。


 たまたま生き残り、違う地獄に放り込まれただけだ。異端管理局が人手不足なのは、適性者が少ないという事に加え、殉職者が多いという理由もある。


 つい先程も、二人亡くなった。彼等は敵との戦いの中で散っていったが、聖魔法具に振り回されて命を落とす者や、仲間同士での喧嘩でお互い力の制御が出来ずに殺し合った例もある。


 あの男が言うように、天の国などない。これから行く先が地獄なだけでなく、今いるこの場も、十分地獄なのだ。


「……武器を持ち、敵意を向けてくる者はとりあえず敵と認識して法具を起動させるように」

「では、あの衛兵達も敵ですか? 武器を構え、敵意を向けてきました」

「あの場で起動するもよし。ただし、攻撃は俺の指示を待て」

「わかりました」


 聖魔法具は、起動しただけなら害はない。衛兵相手なら、こちらが身分を明かすだけで、今回のように武器を下ろすから問題ないだろう。


 この先を思うと気が滅入るが、それでもこの三人の新人を使えるように鍛えなくてはならなかった。




 新人が来て約半月。ようやく三人だけで聖都の見回りに出せるようになった。まだまだ危なっかしいが、物陰から局員に見張らせているので、もしもの時は何とかなるだろう。


 そろそろ、彼女達にも見回り以上の仕事を経験させなくてはならない。上の方からも、異端の徒を排除せよという矢の催促が来ている。


 今回の標的は、聖国の西側ではなく、壊れかけているとはいえ同盟を結んでいる東側の国々だ。


 どうやら、シーリザニアの残党達が地下に潜って動いているらしい。厄介なのは、生き残った第一王女が旗印に掲げられているところだ。


 まだ若く美しい王女は、担ぎ出すには格好の存在である。


 そういえば、シーリザニアではカタリナが単独で街をいくつか焼いている。あの襲撃者は、シーリザニアの残党なのかもしれない。


 あの時の事を思い出す度、ベノーダは気持ちが沈む。襲撃者が突きつけた現実は、彼が長年目をそらし続けたものだからだろう。


 ――考えたところで、意味はない。どのみち、ここから逃れる事など出来ないのだから。


 ベノーダ自身、他の道を探しようがない程教皇庁にどっぷり漬かっている自覚がある。それに、彼はカタリナの帰りを待たなくてはならないのだ。


 そんなベノーダに、呼び出しがあった。大聖堂奥の院。本来なら彼が頻繁に入れる場所ではないはずなのに、ここのところよく来ている。


 相変わらずだだっ広い謁見の間にて、ベノーダは静に跪いた。


「異端管理局所属、管理官ベノーダ。本日付をもって、管理局副局長に任ずる」

「……は!」

「新たに管理局長となるカタリナと共に、粉骨砕身せよ」

「猊下! カタリナが、戻るのですか!?」


 ヨファザス枢機卿の言葉を聞き、ここがどこかも忘れてベノーダは枢機卿に問いただした。


「控えよ! 聖下の御前である!!」

「よい」


 ヨファザス枢機卿を押さえたのは、紗幕の向こうからかすかに聞こえた声。あの場にいるのは、教皇聖下ただ一人のはず。


 混乱するベノーダの前で、ヨファザス枢機卿が紗幕に向かって跪いた。


「聖下、お見苦しい姿をお見せいたしました事、このヨファザス、痛恨の極みにございます」

「よい。そこな者が、カタリナを思う心に免じて、不問とする」

「はは! ありがたき幸せ……ベノーダ。聖下の慈愛により、そなたの罪は許された。これ以上いらぬ罪を重ねぬよう、精進せよ」

「は!」


 この奥の院で失態を犯したにもかかわらず、命があるだけ儲けものというものだ。ベノーダはヨファザス枢機卿の言葉に従い、とっとと奥の院を後にした。


 局に戻ると、内部がざわついている。普段はここにいない聖魔法具を持たない下位局員の姿もある。


「どうした?」

「あ! ベノーダ様!」


 声をかけたのは、先日三人を陰から見守る役を与えた下位局員だ。彼はベノーダの腕を引っ張って、中へと促した。


「おい、一体どうい――」


 人垣の中に押し出されて、ベノーダは最後まで言葉を紡げなかった。そこには、以前と変わらない姿のカタリナがいたのだ。


「遅かったな、ベノーダ」

「カタリナ……お前……」


 相も変わらぬその態度に、何故かベノーダの目から涙があふれそうになる。慌てて目線を逸らした先には、カタリナの腕があった。


 切り飛ばされたはずの、腕が。


「カタリナ……腕……」

「ベノーダ、仕度が調い次第、敵を討ちに行くぞ」

「敵? 敵って……」


 誰だよ、と聞こうとした彼は、途中で言葉をなくした。カタリナの目が、今までにない暗さで光ったのだ。


「もちろん、お父様の敵、神の敵、神敵を討ちに、だ」


 そう言って暗く笑う彼女の顔には、以前までの少女めいたカタリナの面影は見つからなかった。

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