二百十九 救出
サフー主教の屋敷から一旦路地へでて、急ぎ移動する。誰も何も言わないのは、先程地下で見た光景がショックだからか。
サフー主教の屋敷の異変が周囲に知れ渡る前に、ヨファザス枢機卿の屋敷も何とかしないといけない。こちらがあれなら、向こうもなにがしかの虐待を行っている可能性があるのだ。
――そういえば、ヨファザス枢機卿と会ったと話した時、フォーバル司祭が言っていたっけ……
枢機卿の下へ行った子供が帰ってこない。それはつまり、先程見た地下室の光景が、子供で行われているという事ではないのか。
幸い、と言っていいのか、サフー主教の屋敷からヨファザス枢機卿の屋敷は目と鼻の先だ。移動にもそこまで時間はかからない。
ほんの数分で到着した枢機卿の屋敷は、サフー主教のそれよりさらに大きかった。
「本当に、何やってんだ聖職者」
思わずそんな悪態も出てこようというものだ。
こちらの屋敷も壁が高く、敷地の周囲をぐるりと囲っている。よく考えたら、ここまで高い壁で囲う屋敷など、周囲にそうはない。やましい心がこんなところに形として出てきたのではないか。
とはいえ、忍び込む方としてもこの高い壁はありがたい。周囲からこちらの姿を隠してくれるのだから。
サフー主教の屋敷同様、路地側から壁の向こうを確認し、屋敷内にスキャニングをかける。もう屋敷に入る気にすらならない。
屋敷内には、使用人とおぼしき者も含めてかなりの人数がいる。そのうち、地下室と屋敷の奥には反応が多かった。どこもやる事は似ているようだ。
詳細に調べていくと、地下と奥に状態の悪い人間が全部で五十人程。栄養不良や睡眠不足、精神面の不調も多く見られる。
「どうだ?」
「こっちも相当酷い」
ヤードからの問いに短く答えると、ティザーベルは調査に専念した。あともう少しで移動させるべき対象が絞れる。
ちょうどその時だった。
「お前達、そこで何をしている?」
はっとして声の方を見ると、武装した柄の悪そうな男が三人立っている。
「ここはヨファザス枢機卿のお屋敷だぜえ?」
「知っててうろついてんのか?」
「黙ってるって事は、そういう事だよなあ?」
下卑た顔でこちらを見るのは、彼等が傭兵だからだろうか。四人とも腕輪の能力で見た目が大分変えてある。田舎から出てきた四人家族に見えるよう設定しているので、金を持っているようには見えないはずなのだが。
――単に仕事熱心ってだけ? いやあ、あの顔じゃあ違うなあ。
何が狙いかはしらないが、こちらの弱みにつけ込む気満々だ。どうするか。一瞬だけ迷ったけれど、すぐに解決した。
「おい! お前達! そんなところで何をしている!! 早く持ち場に戻れ!」
男達の背後から、こちらはきちんとした身なりの兵士が声を上げる。サフー主教の門番も似たような格好をしていたから、同じ組織に属しているのだろう。
傭兵達はあからさまにやべえという顔をし、そそくさと兵士の方へ向かう。兵士は傭兵達を見送った後、こちらに向かってきた。
「このようなところでどうした? 道にでも迷ったのか?」
「へ、へえ。田舎から出てきたばかりで、どうにも……」
レモの言葉に、兵士は仕方ないと言わんばかりの様子を見せる。
「この辺りはお偉方の屋敷ばかりだ。迷い込んだりしたら、厳罰を食らうぞ」
「そ、そんな……」
「早く立ち去るといい。いいな?」
「ありがとうございます」
兵士は言い残すと、すぐさまその場から立ち去った。
「嬢ちゃん、そっちは?」
「大丈夫。もうちょっとで特定完了。ここから動いても平気」
既に誰を移動させるかは目星がついた。歩いている最中に選択を完了させ、一気に地下都市へと移動させる。これで、あの子供達の命は守られたはずだ。
「やる事は終わったから、一度帰ろう」
後がどうなるかは知らない。もっとも、公にしようにも、後ろ暗い事があるから出来ないだろう。さて、屋敷の持ち主達はどう行動するのか。
去り際、小さな球を壁に向けて飛ばす。監視の目だ。音声と粗い画像のみを記録する代物で、後で回収に来る手間があるけれど、見つかりにくいという利点がある。
これをサフー主教の屋敷にも放り込んでおこう。悪い予感がするから、もしもの時は未然に防ぎたい。
今回聖都から救出した者達は、十二番都市ではなく五番都市へと移動させている。五番都市にもいくつかの医療設備があるので、サフー主教の屋敷で救出した組と、ヨファザス枢機卿の屋敷で救出した組は分けておいた。
ヨファザス枢機卿の屋敷に捕らわれていたのは、やはり人間の子供だった。一番年長で十二歳。下は五歳だという。
「吐き気がする……」
どの子も身体的、精神的な虐待を加えられていて、救出されても震えて縮こまる事しか出来ない子供ばかりだった。
全員女子。その辺りは、サフー主教から救った組とは違う。あちらは全員が男性だった。エルフを中心に、ガソカトの獣人もいる。人間がいなかったのは、主教の趣味故か。
あちらの虐待跡も酷く、治療に時間を要するようだ。不幸中の幸いで、身体的な傷や怪我は時間をかけずに再生治療が可能だったが、精神の方はそうはいかない。
そちらも、施設での治療が可能だというので、しばらく彼等彼女等はここで静養する事が決定した。
「とりあえず、子供達の事だけでもフォーバル司祭に伝えておかないと」
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
「大丈夫……とは言い切れないけど、そんな事言ってる場合じゃないしね」
レモの心配そうな様子に、苦笑いで返す。フォーバル司祭なら、枢機卿の下へ送られた子供の数を知っているかもしれない。
おそらく、五十など軽く超える数ではないか。あの屋敷から出された「子供達」がどこへ運ばれたのか、知りたいところだけれど、追跡は難しいだろう。
五番都市の中央塔最上階に四人で移動し、マレジアとの通信を行う。
『……その顔は、色々見たんだね』
「知ってて行かせたくせに、白々しい」
『確かにね。だが、あんたもこれまで見聞きした情報から、ある程度はわかっていたんじゃないのかい?』
「……あれ程とは、思ってなかった」
マレジアの指摘に、反論出来ない。フォーバル司祭達の言動や、行方不明の攫われたエルフの男性達の行方などから、ある程度は覚悟していた。マレジアにも、濁してだが伝えられていた事でもある。
それでも、目の当たりにした現実には押しつぶされそうだ。人があそこまで残虐になれるなんて。
盗賊に攫われた女性が酷い目に遭わされた現場には、何度か立ち会った事がある。あの時も、結局慣れた連中が肝心なところは請け負ってくれていた。
「……ともかく、子供達の事だけでも、フォーバル司祭に伝えておこうかと思って」
『そうだね。都市を出たら、子供達はあいつのところに預けるのが一番だろう。一挙に人数が増えて悲鳴が上がるかもしれないがね』
嬉しい悲鳴なら、いいのではないか。何はともあれ、エルフや獣人ならこちらが用意する里で生活する事が可能だが、子供とはいえ人間は里に入れる訳にもいかないだろう。
その時、ふとシーリザニアの事を思い出した。
「……子供達の行き先だけど、いっそシーリザニアに行かせるのはどうかな?」
『シーリザニア? あっちはまだゴタゴタが続いているんだろう? 民の生活も安定していないし』
「だからこそだよ。子供をなくした親もいるだろうし、逆に親を亡くした子供もいるでしょ。治療が終わって普通に生活出来る目処が立ったら、仲間がいる場所の方が生きていけるんじゃないかな」
フォーバル司祭が関わる孤児院もいいだろうが、さすがに一気に五十人から増えるとなると、パンクしかねない。
でも、シーリザニアなら、これから色々と作り直していく国だ。しばらくは七番都市の郊外区域で面倒を見る事になっているし、行き場をなくした物同士、何とかやっていけるのではないか。
「何より、シーリザニアは亜人と人間とが共存している国だからさ」
『……この先もそれが保てるかどうかは、わからないよ?』
「その辺りは、スンザーナに頑張ってもらいましょう」
『あのおひいさんも、大変な奴に貸しを作っちまったもんだ』
映像のマレジアはからからと笑う。果たして、スンザーナが素直に借りだと思っているかどうか。
――いやあ、向こうの思惑なんぞ、知った事か。
借りだと思っていなくとも、こちらは貸しにしているのだ。七番都市にいる国民が、いい証拠だ。彼等を救い、あの場で生活していけるようお膳立てしたのは他ならぬティザーベルである。
この貸しは、せいぜい高くつけてやる。それに比べれば、たかだか五十人の女児くらい、簡単なものだ。
本人不在のままスンザーナに対する貸しの一部返済として、枢機卿宅から救出された五十人の少女達の行き場が決まった。
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