二百十 悪魔再び

 シーリザニア王都ズーラーン。シーリザニアでも南に位置し、ヴァリカーン聖国との距離が近いこの城塞都市は、現在閉鎖されている。


「ほら! さっさと歩け!!」


 兵士の怒鳴り声が響いた。彼の前には、まだ十代半ばくらいの少年が、彼よりも年下の子供をかばうようにして歩いている。


 兄弟だろうか。


「あんな子供まで……」

「おい、よせよ。下手な事を口にすると、どこで管理局の耳が聞いてるか、わからないぞ」


 同僚の言葉に、呟いた男性が口を閉ざす。ここシーリザニアは、現在ヴァリカーン聖国が制圧している国だ。理由は「異端の国」だから。


 その為、彼等聖堂騎士団に先行して、異端管理局が王都ズーラーンを急襲した。


 昔の名残がある高く堅固な壁に囲まれた王都も、管理局が使用する聖魔法具の前にはひとたまりもない。大きな門は崩れ、壁もあちらこちら壊されている。


 中はもっと酷い有様だそうだ。外の担当で良かったと、男は胸をなで下ろしている。


 彼の持ち場は、ズーラーン周辺の警戒だ。ズーラーンの周辺にも森林が多く、そういった場所には獣人の居住地があるのだとか。


 王都周辺の獣人達は既に捕獲済みだが、逃げた連中が仲間を連れてこちらを襲ってくるかもしれない。その為の警戒だと説明を受けている。


 だが、もし獣人がここを襲撃するとしたら、それは捕まった仲間を助け出す為ではなかろうか。彼の前で、今も一人首に首輪をはめられて、馬車型の檻に放り込まれた獣人がいる。


 あの首輪は異端管理局から供給された品で、獣人の腕力を抑える働きがあるそうだ。


 色違いで、人間用も用意されている。こちらは命令に逆らうと身体に痛みが走るように出来ているらしい。それらをはめられて馬車型の檻に入れられているのは、ズーラーンの住人だった。


 生き残った者達は首輪をつけられ、馬車型の檻に入れられてこのままヴァリカーンまで送られる。ヴァリカーンで待っているのは、見せしめの為の公開処刑だ。


 男は陰鬱になりがちな思いを振り払うように、頭を振った。騎士団に入った時は、とても誇らしかったのに、最近では思い煩うような事が増えた。


 神の教えを守る為、神への理想の国を捧げる為、己の全てを使おうと志したはずなのに。


 彼には、目の前で乱暴に檻に放り込まれる住人が悪だとは思えない。確かに聖典には獣人を人と認める記述はない。


 だが、逆に「人ではない」とする記述もないのだ。彼は神学校で聖典を学んだから、それだけは胸を張って言える。


 なのに、教皇も異端管理局も、獣人やエルフは人にあらずと説く。そして、人ではない獣人と交流したから、シーリザニアは国丸ごと異端であると断じた。


 おかしくはないだろうか。聖典に記されていないのに、エルフや獣人が人ではないなどと、誰が言い出したのか。


 そして人ではないものと交流する事が、異端だなどと誰が決めたのか。聖典には神の言葉が記されているけれど、そのどれにも「異端を虐げよ」とは記されていない。


「おい、見ろよ」


 自分の考えに耽っていた彼は、同僚の言葉に顔を上げる。視線の先には、幼い女児達が集められた檻があった。


「あれは……?」

「ヨファザス枢機卿に送られる檻さ。あそこで檻に入れる者を選別しているのは、枢機卿の側近の一人だ。知ってるだろ? あの人の性癖」

「え?」

「……知らないのか? 有名じゃないか」

「どういう、意味だ?」


 同僚が何を言っているのか、彼には理解出来ない。ヨファザス枢機卿といえば、教皇の側近として名高い人物で、ヴァリカーン聖国でも絶大な権力を誇る。


 そのヨファザス枢機卿の性癖と、目の前の女児が詰め込まれた檻とどう関係があるのか。そもそも、聖職者に色事は禁じられているはずだ。


 怪訝な表情の彼に、同僚は声を潜めた。


「あんまり大きな声で言えないが、枢機卿は大人の女には興味を示さないんだよ。枢機卿のお好みは、子供なんだとさ」


 彼の全身が総毛立った。教皇に一番近いとされる枢機卿が、何という事だ。


 青い顔の彼を見て、同僚は苦笑いをしている。


「おいおい、気をつけろよ。誰もが見て見ぬふりをしているんだ。権力者に逆らうのはよくないぜ」

「そんな……そんな事……」

「騎士団なんて言っても、俺らはちょっと剣の腕が立つ庶民の寄せ集めだ。王族ですら頭を垂れる枢機卿猊下に対し、物言う事など許されちゃいないんだよ」


 吐き捨てるように言った同僚は、その場に彼を置いて別の同僚のところに歩いて行った。


 彼は自分の足下に視線を落とす。自分が剣を捧げたのは、一体何だったのか。教会とは、民を苦しみから救う場ではないのか。


 あんな年端もいかない子供に、苦しみを与える存在が教会の上層部にいていいのか。


 だが、騎士団とはいえ下っ端の自分に何が出来るのか。先ほどの同僚が言った通り、ここで声を上げたところで、ひねり潰されるだけだ。


 では、どうしたら……


「あ、あれは何だ!?」


 誰かの驚愕の声に、彼はのろのろと顔を上げた。誰もが一点に視線を向けている。


 視線の先をたどると、あり得ないものがそこにあった。空中に浮かんだ、人だ。


 黒いマントを羽織り、不可思議な仮面を被った人だった。空中に浮かぶ彼は、その場で手を叩いた。


 誰もがその姿に釘付けになっている。そんな中、その人物が手を叩いたまま口を開いた。


「素晴らしい……いや、実に素晴らしい! 神の名を騙り、これほどまで醜悪な事を成し遂げるなど、なかなか出来る事ではありません! いやはや、我が輩など、これを成し遂げた人物に比べれば、何ほどの事もありますまい」


 一体、彼は何を言っているのか。ぽかんと見上げる彼の近くで、先程まで女児を檻に入れていた者が叫ぶ。


「何を言うか! 神の名を騙るだと? 我々は正真正銘、神の代理人たる教皇聖下のご命令で、異端の国シーリザニアを制圧したのだ!!」

「はっはっは、冗談がうまいな貴君」

「な、何だと!? 貴様ごときと同列扱いにするな!!」


 どうやら、得体の知れない相手から貴君呼ばわりされた事が許せないらしい。


「同列ではないか……なるほど、これほど手際よく人を苦しめる事が出来るのは、確かにこの悪魔よりも余程悪魔らしいと呼ぶべきか」

「な!」


 空中にいる怪しい人物の言葉に、その場にいる全てのものが言葉を亡くした。


 悪魔。それは聖典にも出てくる神の敵。元は神の側近くに侍る天使だったという説があるそうだが、どの聖典にも「神の敵」として記されている。


 その悪魔が、今、自分達の目の前にいるというのか。


「おお、神よ……我らをお救いください……」

 そんな声が、彼の側で聞こえた。彼も、体が動けばその場に跪いて神に救いを求めた事だろう。だが、彼の体は何一つ動かす事が出来ない。空中に浮かぶ悪魔から、目をそらす事すら出来ないでいる。


 その悪魔は、両手を勢いよく広げた。


「この場にいるのは、神の羊と羊を食い荒らそうとする悪魔のみ! いや、まことに素晴らしい!! 神の羊を苦しめるのは悪魔のなすべき事! それをなすのは、これすなわち悪魔なり!!」

「ふ、ふざけた事を!! 騎士団! あの異端をすぐに引きずり下ろせ!!」


 側近の言葉に、従う騎士は一人もいない。それはそうだ。彼等の誰一人、空中の悪魔に手が届く者はいないのだから。


「ふむふむ、獣人をサフー主教に、女児をヨファザス枢機卿に送る訳か。あの二人は特に醜い悪魔ですからなあ」

「き、きさ、きさま――」

「その悪魔に仕える子悪党が、お前かな?」

「ひぎ!」


 空中に浮いていた悪魔は、一瞬で側近の目の前に移動していた。奇妙な仮面が、側近の目と鼻の先にある。


 気圧されるように、側近がその場で尻餅をついた。それを見て、悪魔が周囲を見回す。


「さて、羊は悪魔への供物として、我が輩が受け取ろう」


 そう言って手を振ると、先程まであった馬車型の檻と一緒に、シーリザニアの住人が一瞬で姿を消した。彼の背中に、冷たい汗が流れる。


「さて、いくら悪魔より悪魔らしいとはいえ、醜いものは我が輩嫌いでな」


 悪魔がそう言うと、雲も出ていないのにいくつかの雷が落ちた。その一つは彼の側にも落ちている。落雷の衝撃音は凄くて、耳がおかしくなっている。


 それでも、周囲が騒いでいるのが見て取れた。落雷は、枢機卿の側近を直撃したらしく、黒焦げになっている。


 ぞっとした。あの悪魔は、望んだ相手に雷を落とせる程の力があるのだ。再び空中を見ると、先程の変わらぬ様子で悪魔は浮かんでいる。


「そろそろ次の場所へ行かなくては。ああ、君達はこのまま国に帰るといい。そこらに転がっている黒焦げは、持って帰りたまえ」


 そう言い残すと、悪魔は姿を消した。まるで最初からいなかったかのように。


 残された彼等は、しばらく誰も動けなかった。

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