百八十三 猪狩り

 祈りの洞を出たティザーベル達は、モーカニールの案内で一度村へと戻った。


 あの板張りの部屋に戻ると、誰もいない。バーフがいたところで話す事もないから、三人とも無言のまま家の外に出た。


「雨、上がったね」

「本当だ」


 まだ明るい時間帯だったらしく、雨上がりの村は最初の印象とは違い静かな普通の村に見える。


 そういえば、ここに来た最初に目的は、巨大猪を狩る事だった。あの猪はどうしただろう。


「猪はどうなったんだろう?」

「猪?」


 前を歩くモーカニールが振り返る。


「この村を、大きな猪が襲撃してくるって聞いたよ? ここに来た最初の目的は、その猪を狩ろうと思ったからなんだよねえ」

「はあ? 村の男達でも倒せない猪を、あなた達が?」


 馬鹿にしたような響きがあるモーカニールの言葉に、ティザーベルもフローネルも何も言わなかった。


 彼女は二人で狩りをすると思っているようだが、実質ティザーベル一人での狩りだ。フローネルも戦う事が出来るけれど、大型の動物相手なら魔法の方が効率的だと思う。


 だが、ここでそれを口にしていいものか。マレジアは、隠れ里やこの村の人達はクリール教ではないと言っていた。


 とはいえ、村人がこちらの味方という訳ではない。どこか他の街に告げ口でもされたら、その後の行動が制限される。


「狩りは、得意なの」


 結局、ぼかしてそう言うだけに留めた。信じていない顔でこちらをちらりと見たモーカニールは、何も言わずに先を急いだ。


 村の中央にさしかかった時、何やら騒いでいるのが聞こえてきた。


「何?」


 何かを言い合っているらしい。モーカニールは、その場にティザーベル達を残し、走り出す。


「……客人を放り出すとは、躾がなっていないな」

「まあ、招かれざる客だからねえ」

「だが、あのマレジアという御仁には招かれたぞ?」

「その前に、この村には黙って押しかけてるじゃない」

「むう……」


 反論出来ないフローネルに、とりあえず騒ぎの元へ行ってみようと促した。


 人の輪が出来ていて、中心部分にはバーフを含む何人かの男性がいるらしい。


 どうやら、バーフ対数人の村人という構図だ。


「許可もなく、何をやっている!」

「だけどよお! あいつら、掟を破ったんだぜ? だったら、罰を与えるのは当然じゃねえか」

「お前達に罰を与える権利はない!」

「へ! マレジア様が決めた村長だからって、いい気になってるんじゃねえぞ」

「何だと!?」


 話の内容から、あの二人を勝手にどうにかしたらしく、それがバーフを怒らせているようだ。掟を破っただの罰を与えただのというワードからは、少々危険な臭いがする。


 どこかに放り込んでいる程度ならばいいが、それならバーフがあそこまで激高するとも思えない。取り返しの付かない事態になっているからこその、怒りではないかと思われた。


「とにかく! すぐに連れ戻してこい!!」

「やなこった。行きたきゃあんただけで行きな」

「お前達……!」


 どうも、バーフによる村の統率はがたついているらしい。輪の外から眺めるモーカニールの、兄を見る目は冷たい。


 輪の周辺辺りは、ざわついている。所々聞こえてくる言葉の切れ端を拾い上げると、どっちもどっちと思っている連中が多そうだ。


 勝手をした連中は当然悪いが、バーフの言い方も問題だというのが多い。


 ――人望ないなあ。


 マレジアが指名して長をやらせているからか。とはいえ、生き神に等しい存在からの指名なのに。


 隠れ里のカモフラージュであるこの村が長く存在しているのであれば、当初の目的は忘れられてきているのかもしれない。


 そうこうしているうちに、バーフの呼びかけに賛同した者達で、森に入るという。


「彼等はまだこの村の民だ! 連れ戻してから、ふさわしい罰を与える!」

「おお!!」


 どうやら、ティザーベル達と出会ったあの二人は、猪を遠ざける為の餌にされたらしい。


 この村を襲う巨大猪は、人間も捕食するそうだ。


「火の用意をしておけ!」

「獲物は持ったな?」


 あれよあれよという間に、森へいく連中の仕度が調っていく。そこに、子を張り上げたのはモーカニールだ。


「待って!」

「何だ? お前まで文句を言う気じゃ――」

「違うわ」


 兄であるバーフの言葉を遮ったモーカニールはちらりとこちらを見た。


「彼女達も、猪を狩りたいそうよ。連れて行ったらどうかしら?」

「何だと? 馬鹿を言うな! 巨大猪だぞ!? 女の細腕でどうにかなる相手ではない!!」

「あら、二人とも、凄腕の狩人だそうよ? 兄さん達の腕だけじゃあ、正直心元ないもの。連れて行きなさいよ。それに、村の外の人間にどんな被害が出ようと、どうでもいいんでしょ?」


 最後の一言はいただけない。それに、下手に彼等と行動を共にするのも問題だ。先程の言い合いの最中に魔力の糸を伸ばして、巨大猪の場所と森に置いてきぼりにされた二人の所在は掴んでいる。


 どちらかというと、一人……いや、フローネルと二人で行動したい。


「それに関しては、お断りするわ」 

「何故!? やっぱり、自信がないのね」


 何故か勝ち誇ったような顔をするモーカニールに苦笑しつつ、ティザーベルは続けた。


「足手まといは必要ないの」


 笑顔で言ったのに、村人達はぽかんとこちらを見るばかりだ。モーカニールはややしてからやっと意味に気づいたのか、顔を真っ赤にして睨み付けてきた。


「大口を叩いて! いいでしょう、なら二人だけで森に入るのね。結果を楽しみに待ってるわ」

「あ、狩れたとしても、この村にはもう戻らないから」

「はあ!?」


 驚くモーカニールが不思議でたまらない。


「今度この村に来る時は、再びマレジアに遭う時だから」

「! 様をつけなさい! 無礼者!!」


 怒るモーカニールを置き去りにして、その場を立ち去った。ティザーベルにとって、マレジアは尊敬する相手ではないし、相手もそれを求めてはいない。モーカニールには、それがわからないようだった。




 村の外に置いていた馬車を移動倉庫に収納し、方角を確かめる。獲物の居場所がわかっているのだから、後は簡単だ。


「さて、ネルはどうする?」

「どうする……とは?」

「ついてくる? それとも、村人に見つからないところに家を出すから、そこで休んでる?」

「ついていくに決まってる。ベル殿一人で行かせるなど、あり得ない話だ」


 そうだろうな、と思いつつ、予想通りの返答をするフローネルに少し笑った。彼女も初期は大分ツンケンしていたけれど、エルフとして同胞を狩る人間が嫌いだっただけだ。


 今は人間といっても色々いるとわかっているし、ティザーベルの事も理解してくれている。


 果たして、モーカニールにそんな気付きの時は来るのだろうか。


「ま、来なくてもいいか」

「今度は何の話だ?

「こっちの話。さて、少し速度を上げるけど、大丈夫?」

「身体強化くらいなら使える」

「了解」


 フローネルにも、習慣のように防御結界を張っている。多少障害物にぶつかったところで怪我はすまい。


 ティザーベルが先導をする形で、二人は森の中を猛スピードで走り抜けた。


 村から全速力で走って約三十分。二人は茂みの中に隠れている。


「あれか……大きいな」

「びっくり」


 ティザーベルの言葉は、フローネルとは違う意味で言っている。彼女達の目の前にいるのは、大きめのコブイノシシだ。普通の個体の五割増しくらいだろうか。


 だが、あれなら狩るのに面倒はない。普段通り、足下を固めてから鼻と口を魔法で塞ぐ。後は獲物が窒息死するのを待つだけだ。


 足下を固めてあるので、獲物が暴れてもこちらに突進してくる事はない。目の前で苦しみもがく獲物を眺めているだけの、簡単な仕事だった。


「ベル殿……」

「簡単だったでしょ?」

「もう少し、手はないのか……?」

「えー? じゃあ全員切り刻んで血だらけにして殺した方が良かった? それとも、ひと思いに首を落とした方が良かった?」

「出来れば、後者の方が……」

「了解。ネルの前で仕留める時には、そっちを使うよ」


 正直、どんな手を使っても最終的に殺すのは変わらないのに、と思う。だが、こういう小さな事が積み重なって人の関係というのは壊れるものだ。


 まだ、彼女との旅を解消する気はない。あまり自覚はなかったけれど、ティザーベルも少し人恋しくなっていたようだった。

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