百七十六 悪魔の独壇場

 真っ昼間の王都中心部、国の重鎮であるヤーデダ侯爵邸の屋根に、それは現れた。


「何だ? あれ」

「え?」


 通りを行く人達が、一人、また一人と上を見上げている。その視線の先には、先日大聖堂に出現した悪魔の姿があった。


 邸の周辺に集まった人達の中に、先日の騒動の現場にいた者がいる。


「あ、あれは、悪魔だ! 大聖堂に出た悪魔だ!! 広場からエルフを連れ去ったんだよ、俺は見たんだ!」


 大声で叫ぶ彼の姿に、周囲の人達は再び上を見た。黒ずくめの姿に、異様な仮面。確かに、悪魔と呼ばれても不思議はない。


 そんな悪魔が、何故貴族邸の屋根にいるのか。


「ええい、散れ散れ! 見世物ではないぞ!!」


 とうとう、人が集まりすぎた事に腹を立てたのか、侯爵の私兵らしき者達が通行人を追い払い始めた。


 その時、屋根の悪魔が口を開く。


『おお、さすがは悪名高いヤーデダ侯爵閣下の私兵だ。罪なき愚かな民達を虐げるとは』


 不思議な事に、悪魔の声は大きくはなかったが、その場にいた全ての者の耳に届いていた。


 雇い主を愚弄されては、私兵達も黙ってはいられない。屋根の悪魔に向かって、威勢良く怒鳴った。


「黙れ! 不審者め。何が悪魔だ。今すぐ、その仮面を剥いでやるわ!」

『怖い怖い。自分より弱い相手なら、どこまでも強気に出る。飼い主によくにた犬どもよ』

「何だと!?」

『吠えるばかりが能ではあるまい? 己の吐いた言葉にくらい、責任を持ったらどうだ?』


 そう言うと、悪魔は挑発するように片手をくいくいと動かした。来られるものなら来てみろと言わんばかりである。


「上等だ……そこを動くなよ!!」


 私兵の一人が邸に向かって走り出したのを見て、悪魔は屋根からふわりと飛び降りた。集まった群衆から悲鳴が上がる。


 悪魔は門の上に下りると、重さを感じさせない様子でその場に立つ。一瞬毒気を抜かれていた兵士達が、はっと気づいて武器を向けた。


『やれやれ、別に私は閣下に仇なす者ではないよ。神の教えに逆らい悪逆非道の限りを尽くす閣下に対し、称賛の言葉を述べに来ただけだというのに』


 悪魔の言葉に、群衆がざわつく。庶民にとっては雲の上の存在の貴族の当主が、神の教えに逆らって悪逆非道を行っているとは。


 兵士達も、群衆のざわめきが気になるようだ。


「よしよし、うまくいってる」


 映し出される映像を見て、ティザーベルは一人ほくそ笑んでいた。




 手紙と説得による根回しは順調に進んだ。エサレナからの口添えも功を奏し、どの店の地下でもうまく事を運ぶ事が出来た。


 全員の意思確認さえ出来れば、あとは楽勝である。救出作戦を行う今日、ティザーベルの役割はベルの吹き替えをして、人々の注目を集める事だった。


 ヤーデダ邸の前に集まっている人々は、あの場にいるベルを本物の悪魔と信じたらしい。


「さーて、じゃあ続きといきますか」


 ティザーベルはパスティカが用意した簡易マイクに向かった。


『いやいやいや、本当に感嘆の極みだよ。我々ですら、あそこまでの事は出来まいて』

「な、何を言っている! 我等がご当主様が、悪魔ごときにそのような言われようをする筋などないわ!」

『おや? 本当に知らないと?』

「くどい!」

『はっはっは。これはまた。閣下も部下を欺くのがうまいものだ。これは私も一杯食わされたかな?』


 映像の中の悪魔、ベルの幻影は、パスティカによって巧妙に操られている。今も笑いの声を入れたところなど、端から見て「笑っている」とわかるように幻影を動かしていた。


 うまいものだ。感心しつつ映像を眺めていると、ようやく屋根に到着した私兵が、ベルの姿がない事に気づいたらしい。


「どこへ行ったあああ! あの悪魔めえ!!」

『おお、やっとご到着かな。私ならばここだよ。さて、彼が戻るのを待つのも惜しい。お集まりの皆様には、閣下の悪辣ぶりをご説明いたそう』


 幻影のベルの言葉に、群衆はざわりとした。私兵からはとうとう矢が呼んできたが、幻影であるベルに突き刺さるはずもない。


 素通りする矢に、私兵のみならず群衆達からも悲鳴が上がった。

『そこまで恐れる事はない。何、ヤーデダ侯爵閣下の所業に比べれば、私の存在など塵芥というものよ』


 両手を広げる動き付きで言うベルに、とうとう群衆の中から声が上がった。


「さっきから閣下が悪辣だのなんだのと、一体何をしたって言うんだ!」

『おお、その事か。その前に、感謝申し上げなくてはな。閣下が捧げた犠牲の子供達を、邪神様は殊の外お気に召しておられた。それ故、本日私をお遣わしになったのだ』


 犠牲の子供達。そのワードに、群衆はおろか、私兵達すら動きが止まった。


『これまでは貧民の子供であったが、そろそろ高貴な血を持つ子の生け贄を、邪神様はお望みである。閣下には、より一層励んでいただきたい』


 私兵達は、目に見えて慌てている。おそらく、子供を狩るのに手を貸していた者がいるのだろう。


 エサレナからの情報提供の中に、王城で同じようにいたぶられた末に殺された人間の子供達の話しがあった。


 周囲の貴族達の話しを聞きかじったところ、貧民街から攫ってきた子供だという。


 哀れな子供達は、風呂で磨かれ食事を与えられ、綺麗な服を着せられて広間へと連れてこられる。


 今まで体験した事がない事ばかりの王城で、有頂天になってはしゃいでいる彼等彼女等を、残酷な大人達はよってたかってなぶり殺しにしていたそうだ。


 それも、複数いる子供達を一人ずつ。残された子供達が、恐怖で顔を歪めて泣き叫ぶ様まで、楽しんでいたらしい。


 話しを聞いただけで、反吐が出る思いだった。それを、ベルの姿を借りて告発するのが、今回の趣旨である。


 もっとも、地位も身分もある侯爵の事だ。ここでの話など簡単に握りつぶしてしまうだろう。


 それでもいい。「ベル」がやるべき事は、注目を集めて救出をやりやすくする事だ。国の改革や腐敗した貴族の粛正など、この国の人間がやればいい。


『そうそう、先日広場でエルフを殺そうとしていたのも、閣下のご命令だとか。あれにはさすがに我々も度肝を抜かれましたぞ。よもや、神の寵愛深い種族をその手にかけようなどと。いやはや、さすがは閣下、恐れを知らぬ方ですなあ』


 再び周囲がざわりとした。さて、彼等が引っかかったのはどの部分やら。エルフの事か、それとも処刑の事か。


「前者かなあ」


 多分、この国でエルフを人前で殺したところで、誰にも何も言われないだろうし、罪にも問われまい。それが十分おかしいという事に、民衆の誰も気づかないのだ。


「ふざけるな!!」


 例の屋根に上った私兵が、ベルに向かって怒鳴る。


「黙って聞いていれば世迷い言を! 侯爵閣下がそのような愚劣極まりない行為をなさるはずがない!!」

『おやあ? おかしいなあ? 君も貧民街から子供を連れてくる仕事に、就いていたはずなのになあ?』


 図星を指された私兵は、すぐに反論出来なかった。それどころか、顔を青ざめさせている。


 誰にも見られないよう、知られないように動いていたのだから、当然だ。だが、それもパスティカ達支援型には通用しなかったらしい。


 ティーサが放った情報収集用の端末に、その様子がしっかりと記録されていたのだ。エサレナから提供された情報と照らし合わせ、全貌が見えたという次第である。


 まさか、エルフだけでなく人間を、しかも子供を虐待して殺していたとは。しかも、国の上層部にいる人間達が、だ。


 映像の方は、群衆の責める視線が私兵達に向かっている。さすがに貧民街でも子供が犠牲になるのは、庶民としても看過出来ないという事だろうか。


 それがどうして、エルフには向けられないのか不思議だ。これも、教会の教えのせいだろうか。


「教育は怖いって事かな」


 とはいえ、上層部の犠牲が自分達と同じ人間に向かっていると知れば、少しは騒動にもなるだろう。今あの場に集まっている群衆がいい例だ。


 彼等の口から噂として広まっていくだろう。さて、王宮の連中はどうするのか。


 私兵達は、矢が効かない辺りからパニック状態になっているらしい。今まで絶対だった力が通用しない相手が現れたらのだから、当然の結果か。


「救出の方は?」

「あともう一カ所だけよ」

「そう……治療が必要な数は?」

「必要ない者がいない状態」

「そう……病室の数は間に合う?」

「そちらは問題ないわ。幸い、治療すれば元に戻せる状態の者ばかりだし」


 不幸中の幸いだ。どうも、エルフに関してはなるべく長く生かすという方針だったらしく、貧民の子供達のような扱いはなかったらしい。


 どのみち、酷い話だけれど。


「じゃあ、そろそろベルの方は引き上げさせようか。兵士の追加が来ても面倒だし」


 映像に向き直れば、いつの間にか群衆の数は最初の二倍近くに膨れ上がっていた。


 これだけの人間の目を引ければ、この先もやりやすかろう。


『さて、残念ながら閣下ご自身にはお目にかかれない様子。今日のところはこれにてお暇するといたしましょう』

「貴様! 逃げる気か!!」


 安い挑発が飛んだが、これ以上幻影を出し続ける意味はない。ベルの幻影をゆっくり薄くなるように消していく。


 その様に、群衆から悲鳴が上がるのが聞こえたが、そこで映像を終えた。


 彼等のうちに、不信感を植えられたのなら上々だ。そうでなくとも、当初の目的は果たせたのだから、何も問題はない。


 さて、この先この王都は……いや、この国はどうなる事やら。

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