百七十三 悪魔
一団から伝わったのか、広場の誰もが大聖堂を見上げて驚きの表情をしている。その姿故か、それとも「彼」が立っている場所になのか。
とりあえず、群衆の注目を集めるという当初の目的は果たした。この隙を突いて、既に囚われていたエルフはティーサが移動させている。
『この後は、どうなさいますか?』
『そうだね……無事あのエルフを逃がせたから、もう消していいや』
『了解ー。ちょっとした演出も加えておくわね』
茶目っ気のある返答をしたパスティカは、言葉通り幻影のベルを動かす。大聖堂の裏に下りていったように見せかけて、途中で消したのだ。
ベルが消えた後は、広場ではじわじわと驚きと恐怖が広がっている。
「な、何だったんだ? あれ」
「わからん。大体、鐘楼の上に人が立てるものなのか?」
「え? じゃあ、人じゃない?」
「まさか……」
「悪魔!?」
まるで伝言ゲームのように言葉が広がり、あっという間に先程の異形は悪魔だと広まっていった。
その中で、広場中央辺りから別の声が上がる。
「あ! おい!! 繋いでおいたエルフがいないぞ!?」
「なんだって!?」
「くそ! どこに逃げやがった!!」
主に彼女を引きずってここまで来た男達が騒いでいる。その声を聞きつけた隣の老女が、震えながら漏らした。
「あ、悪魔よ……悪魔の仕業だわ……」
ほんの小さな声だったけれど、これはいいタイミングだ。ティザーベルはわざと大きな声で、老女に確認する。
「え!? 悪魔の仕業ですって!? それは、一体どういう――」
「お! おい! 悪魔の仕業ってなあ、何なんだよ!?」
最後まで言い終える前に、少し離れたところにいた男がこちらに詰め寄ってきた。
「いえ、こちらの方が、悪魔の仕業だと」
「何だってええ!?」
男は大げさな程に驚き、すぐに広場に向けて大声を張り上げる。
「おおい! さっきの男は悪魔だ!! エルフが消えやがったのは、悪魔の仕業だったんだああ!!」
うまい事、拡散してくれたらしい。おかげで広場のあちらこちらで先程のベルが悪魔だと、意識誘導を行う事が出来た。
『よし、上出来上出来』
広場のあちこちで、その場に跪き大聖堂に向かって祈る人々の姿が出てくる。老女もまた、その一人だった。
「神様、お助けください、お助けください!!」
その姿に軽い溜息を吐いたティザーベルは、無言でフローネルを促し、広場を後にした。
「ベル殿、このままでいいのか?」
「ん? 何が?」
「いや、先程の……その……」
通りを歩いているせいか、フローネルは幻影のベルの事をどう表現するべきか悩んでいる。
彼女にとって、あの姿は救世主そのものだ。それが「悪魔」と罵られる事に、思うところがあるのだろう。
「いいんだよ。詳しい事は、戻ってから説明するから」
「……わかった」
広場の騒動は、まだ通りの方まで伝わっていない。だが、そのうちこのアデート中に広まるだろう。
大聖堂の上に現れた悪魔の存在と、姿を消したエルフの事が。
「少し、見て回ろう。下見もかねて」
「ああ」
現在地はパスティカが見せてくれるマップによると、大聖堂広場から少し外れた場所だ。
広場は王都の南よりに位置し、北側にあるのが王城だという。現在地からは少し歩く距離だ。
「一度お城を見て、それからぐるっと回ってみよう」
街中の道は、綺麗に石で舗装されている。裏路地も同様だ。王の住まう都として整備されているという事か。
街全体としては整備が行き届いているように見えるけれど、やはりゴミやその他の問題はある。特に、臭いがきつかった。
「頭が痛くなる……」
フローネルの顔色が悪い。確かに、これだけの悪臭の中にいては、具合も悪くなるだろう。何やら悪い菌まで飛んでいそうで怖い。
「結界を張るから、少しはマシになると思うよ」
「ああ、本当だ」
結界も種類によっては臭気も遮断するものが作れる。もっとも、この辺りは前世の知識が役に立っているのだけれど。
――臭いも物質だからね。
街中に漂う悪臭を可視化したら、もの凄い事になりそうだ。
王城は、思っていたよりもシンプルな作りらしい。
「うーん。宮殿ではなく城なんだね」
「違いがわからん」
「宮殿は居住性と装飾性が高く、城は軍事に使われる事前提って覚えればいいよ」
もっとも、覚えたところで使いどころがある知識ではないのだが。
アデートの王城は、まさしく「城」だ。無骨な石造りの灰色の外観で、どっしりとした印象を持つ。
周囲を囲む深い堀、大きく頑丈そうな門、高い壁の上には、歩哨の姿が見え、所々に銃眼がある。
戦闘の際に要塞となるよう設計された建物である。
――さすがに王家とやり合う事はならないと思うけど……エルフ関連に、王家は絡んでないよね?
この国の法律がどのようなものかはわからないけれど、宗教があれでは期待は出来ない。政教分離には至っていない可能性も高かった。
王城の後は、予定通りエルフが捕らえられている場所の下見に回る。ここでも、割と大きな通りに面した、見た目は綺麗な建物ばかりだ。
だが、あの地下には今なお不当に捕らえられたエルフ達が押し込められている。しかも、王都には離れた場所に数カ所、同じような建物があるのだ。
そのどれも、表向きは店舗として営業しているらしい。
「……店に入ってみようか?」
「え!?」
ティザーベルの大胆な提案に、さすがにフローネルが驚く。これまでの街では、店が開くのは夜のみで、男性客しか入れないタイプの店ばかりだった。
だが、王都では普通に日中も営業しており、客層も幅広い。ティザーベル達が入っても、不審には思われないだろう。
渋るフローネルを連れて、店に入るとすぐに声がかかった。
「いらっしゃいませ」
きちんとした制服を着用した従業員が、慣れた様子でテーブルに案内してくれる。なかなかの高級店らしい。
「この格好で、よく入れたなー」
「何だか、落ち着かない」
二人が案内されたのは、店の奥の席である。棚などで仕切られた場所で、人目を気にせず食事が出来そうだ。
出されたメニューから、適当な料理を注文する。テーブルに届けられた料理は、食欲をそそる香りだった。
「ふうん……香草かな? これ」
「あ、おいしい」
何の肉かはわからないが、香草かスパイスのおかげで臭みもなく、味もいい。焼き加減も絶妙で、柔らかく仕上がっていた。
スープのメイン具材は魚だ。これに数種類の野菜を加えて煮込んだもので、野菜の甘みとスパイスの辛みがいい具合で混ざっている。
「おいしいね」
「ああ」
最初は渋っていたフローネルも、笑顔になった。こんなにいい味の料理を出す店なのに、夜にはまったく違う顔になるなんて。
食事を楽しんでいる間にも、ティーサとパスティカに頼んで店の地下を探ってもらっている。
いた。この店にいるのは、全員で十五人。数は多くないが、これが複数件あると思うと、一体王都だけでどれだけのエルフが理不尽な目に遭っている事やら。
食事にはそれなりの時間をかけたので、ついでに他の地下にいるエルフ達の事も調べてもらった。環境はここと同程度で、やはり皆諦めきっている様子だという。
代金を払って店を出た後、宿屋を探して部屋に入る。これまで同様、結界を張った後に都市へと移動した。
戻ってすぐ、ティーサから報告がある。
「ご報告があります。広場で救出した女性ですが、疲労に加えて複数の怪我や栄養状態の不良、精神不安定などが見られる為、治療が必要と判断しました。現在都市にて治療、経過観察を行っておりますが、このまま続けてよろしいでしょうか?」
「うん、お願い。元気になってから、里の方へ送ってあげて。あ、その事、里の方に知らせておいてほしいんだけど」
「承知いたしました」
どうやら、救出した彼女は虐待を受けていたようで、体だけでなく精神にも治療が必要らしい。
驚いた事に、六千年前の技術では、精神の構造まで判明していたそうだ。詳しい説明を聞いても理解出来ないけれど、魔法技術を使ってすり減った精神を元の健康な状態に戻せるのなら、問題ない。
一度、里の方でも健康診断をした方がいいのではないか。頭に浮かんだアイデアを、早速ティーサに伝えるティザーベルだった。
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