百六十八 地下のエルフ
地下には、よどんだ空気が流れている。ここに押し込められてから、どれくらい経っただろうか。
――無駄な事を……
ユルダ共は、自分達を解放するつもりなどさらさらない。あれこれ言葉を尽くしてエルフは排除すべき存在だと言いながら、ここに来る客から高い金を取る。そして、自分達にその相手をさせるのだ。
エルフは総じて見目が良く、また長寿と言われている。エルフの側から言えば、ユルダは寿命が短く魔力も殆どないくせに、どうしてあれ程偉そうなのか理解に苦しむ存在だ。
だが、そのユルダが仕掛けた道具のせいで、自分達はここから逃げられない。
「あれさえなければ……」
つい、そんな愚痴がこぼれる。
「バカな考えを持つのはよしな」
隣の房にいる女性、名をピッパキアと言ったか。彼女は自分がここに連れてこられた時、既にここにいた。周囲の話から、どうやらここで一番長いらしい。
そのせいか、いつでも無気力に全てを斜めに見ている節がある。そのピッパキアは、こちらを見て嫌みな笑みを浮かべた。
「ユルダ共は、私らを逃がすつもりはないよ。大体、ここを出たところで街のど真ん中から、どうやって逃げるっていうのさ」
返す言葉がない。この街は、それなりに大きい。しかも、この店は街の中央部に建っているのだ。
店から逃げ出しても、街から逃げ出す前に捕まるのが落ちだろう。ピッパキアも、その事を言っているのだ。
「反吐が出る場所だけれど、殺される事だけはない。だが、逃げ出したりしたら、その場で殺されるかもしれないんだ。命は大事にしておきな」
「こんなところに押し込められて、生きているって言えるの!?」
思わず、怒鳴ってしまった。ピッパキアが悪いのではない。これは確実に八つ当たりだった。
だが、彼女は気分を害した様子もみせず、軽く肩をすくめただけだった。
「あんたももうじきわかるよ、ここに来た時点で、私らの未来は閉ざされたんだって事を」
「そんな――」
「大体、ユルダに捕まったエルフを、里が許して受け入れると思うかい?」
これもまた、返す言葉がなかった。各里ごとに掟は違うと聞くけれど、唯一共通しているものがある。
「許可なく里から出たエルフは、永久に里には戻れない」
理由の如何を問わず、里から無断で出た者を、里は二度と受け入れないのだ。
ここにいる者達は、里の近くで攫われた者が殆どだと聞いている。つまり、自分達にはもう、戻るべき場所はない。
それでも、こんな地下で腐りながら生きていくなんて、絶対に嫌だ。唇をかみしめていると、かさりと何か軽い音がする。
見ると、先程までなかったはずのものが、床にあった。手紙だ。こんな場所にいる自分に、手紙を書いて送ってくる者などいない。
何かの罠か。少し考えて、ないなと判断する。捕らえたエルフを騙すなんて、手の込んだ事をするユルダなどいない。
そっと手紙を拾って封を開けると、驚愕した。
「どうして……」
文面よりも先に、使われている文字に驚いたのだ。それはエルフ達が使うもので、ユルダのものとはかなり違う。
という事は、これを書いたのはエルフという事だ。
「……そんな……誰が……」
内容は信じられないものばかりだ。でも、これが本当なら、ここに囚われている仲間は助かる。
希望なんて、ここに連れてこられてから何一つなかった。毎日辛い事ばかりで、諦める方が楽だったから。
手紙の内容を全て信じるのは、まだ早い。全ては、明日の昼。それでも、今からその時が待ち遠しかった。
◆◆◆◆◆
ウーワバンの宿屋に部屋を取り、準備を進める。
「手紙は無事配達してきましたよ」
ティーサが戻ってきた。彼女には、囚われているエルフの元へ、フローネルが書いた手紙を届けに行ってもらったのだ。
内容は、明日の昼、仲間が説明に行く、説明に納得したら、全員を救助する用意がある、というものだった。
「信じてくれるといいのだが……」
「そこはネルの腕にかかってるかなー?」
「う……が、頑張る……」
プレッシャーからか、青い顔をするフローネルの肩を軽く叩き、力を抜くよう言っておく。
「ちゃんと誠実に伝えれば、きっとわかってくれるって。焦る方が不信感を招くから、自信をもって。ね?」
「わかった」
ガチガチのままでは、説得出来るものも出来なくなる。同じエルフがその場まで行って説得するのだ。警戒心の強いエルフでも、何とか頷いてくれると信じたい。
――多分、これが成功すれば、他の場所でもうまく行く。
その時は、説得役に今回救助するエルフを混ぜるつもりだ。同じ境遇にいた者からの言葉なら、素直に聞き入れてくれるだろう。
「それにしても、あの手紙ってどうやって配達したの? やっぱり移動?」
「いいえ、光の屈折をいじって周囲から視認されにくくした状態で、届にいっただけですよ」
どうやら、ティーサは光学迷彩のようなものまで使えるらしい。理屈はわかっていても、実際にやるとなると面倒な事この上ないので、研究すらしようとした事はなかった。
大体、使う場面もない。光学迷彩が利くのは主に人間相手で、人外専門のティザーベルには必要がない術式だ。
何せ人外は、相手を認識するのに嗅覚を使う事が殆どなのだから。
地下への潜入は、店に客がいない昼間に行う。通りの影から店を窺い、入り込むタイミングを見計らっていた。
「今回は移動をなるべく使わないで行くからね。見えづらくするだけで、勘のいい人は気づくっていうから、気をつけて。戦闘は、なるべく回数少なめで」
「了解」
いくつかの指示を出し、ティーサと共に送り出す。ティーサがフローネルとまとめて光学迷彩もどきをかけ、人の隙をついて店内に入っていくのを見送った。
さて、しばらくはここで待機だ。とはいえ、ただ待つだけなのはつまらないので、裏通りに積み上げてある木箱に座り、ティーサからの中継を聞く事にしている。
「……まだ地下まで行っていないようだね」
「そうねえ」
パスティカも姿を現し、一人と一体でまったりと待つ。周囲にはティーサが扱うような光学迷彩とはいかないが、それなり視認されづらくなる結界を張っている。
出来れば向こうの画像も欲しかったけれど、今回は諦めた。出来ないわけではないが、それをやろうとすると道具が必要になり、それが結構な大きさになる為だ。
向こうから送ってくる音声は、物音や男達の怒号や呟き、話し声などである。
しばらくすると、周囲の雑音が少なくなり、人の声も遠くなった。
「そろそろ地下かな?」
ティザーベルの予想は当たったらしく、今度は女性の声が聞こえてくる。
『話がある』
フローネルだ。音声の中には、驚愕の声も混ざっている。いきなり目の前に人が現れたら、大抵の人は驚くだろう。エルフでも、そう変わらないはず。
『落ち着いてくれ。私はクオテセラのフローネル』
『あんた、同胞なのかい!?』
ひときわ大きな声が響いてきた。どうやら、声の主は人が現れた事よりも、エルフが地下に来た事に驚いているらしい。
『ああ。ここには、あなた方を説得しに来た』
フローネルの言葉に、何やらざわついている。その中で、一人りんとした声が通った。
『待ってたよ。あんたが来るのをね』
おそらく、彼女がティーサが手紙を渡した相手だ。配達の際に、出来る限り意思がはっきりしていて諦めていない人を選んでほしいと言ってあった。
ティーサは、こちらの注文にしっかり応えてくれたらしい。
『……まず、確認させてほしい。あなた方は、ここから抜け出したいと思っているか?』
フローネルの、直球勝負な事が出た。先程までざわついていた向こう側が、いきなりしんと静まりかえる。
その静寂を破ったのは、少し低い声のエルフだった。
『くだらない事を! 私らが逃げ出したいって思ったってね! 上のユルダ達が逃がしゃしないよ! あいつらにとっちゃ、私らは金づるだからね!!』
『ピッパキアは黙っていて! 私は、ここから出たい!!』
『出てどうするんだい!? もう、私らには帰る里もない! 行き場所なんざ、どこにもないんだよ!!』
何やら、向こう側で二人のエルフがヒートアップ中だ。元々仲が悪いのか、意見の食い違いなのか、言い合いが止まらない。
これではフローネルも手が出せないかと思いきや、彼女達の声量を超える大声で叫んだ。
『居場所がなければ、作ればいい!!』
「よし」
ここが今回の肝だ。あの地下、店を出ても、仲間と生きていけると知らせる事が柱なのだ。
移動の心配もあるだろうけれど、それ以上にこれから先の不安の方が大きかろう。
――その辺りを解消出来るとわかれば、乗ってくれると思いたい。
ここを足がかりに、他の街で囚われているエルフ達も解放するつもりなのだ。ぜひとも、ここの救出はうまくいってもらわなくては。
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