百四十八 里の奥へ

 族長の鶴の一声とは、強力なものだったらしい。里の奥へ行く日程は、すぐに決まった。


「明日、奥の渓谷へ行こう!」


 カルテアンの案内で里を見て回った後、族長の屋敷に戻って最初に言われたのが、この言葉だ。


『……随分早いのだな』

「不服かい?」

『いや、早い分には構わない。だが、奥の渓谷は聖地だと言っていなかったか? どこか、話を通しておかなくてはならないような――』

「ああ、それなら今日の午前中に全部伝えてあるから、大丈夫」


 明るく笑う族長に、ティザーベルの隣にいるカルテアンが固まっている。


 ――無理を押し通したな……


 押し通された側が、あの重鎮達なら同情はしない。あの裁きの場で見せた醜態は、忘れられなかった。


 ともあれ、こんなに早く渓谷へ行けるとは。ここは素直に感謝しておこう。


『族長に感謝する』

「いいよいいよ。私も今から楽しみなんだ」


 裁きの場で見せた穏やかさはどこへやら、族長は踊り出しそうな程浮かれている。カルテアンに視線をやると、固まったまま目線を遠くへやっていた。


「そういえば、用意するものはあるかい? 明日の出発までに用意させるよ?」

『特には』


 大森林の時は換気口兼トラップから入ったが、今回は近くまで行けばパスティカが入り口を見つけられるそうだ。


 どうも、各都市の支援型はお互いに共鳴のようなシステムを持っていて、近づく事でお互いを認識したり、相手の許可が得られれば予備システム程度なら動かせるらしい。融通が利くのか利かないのか、よくわからない仕掛けだ。




 玄関ホールで立ち話も何だからと、昨晩も通された居間に移動する。カルテアンはいつの間にか元に戻っていた。


 フローネルももうじき、こちらに来て泊まっていくらしい。彼女の家は、持ち主がいなくなるので、手放す事になるそうだ。


『妹の持ち物になるのではないのか?』


 ティザーベルの問いに答えたのは、カルテアンである。


「塔では私物を持つ事が禁じられているんだ」

『昨日も言っていたが、塔というのは何だ? 何かの施設なのか?』


 カルテアンは、族長と視線を交わす。族長が軽く頷いた。話して良いという合図だったらしい。


「塔とは、里で神を祀る場所を指す。東の端に建てられたもので、里の始まりからあると言われているんだ。そこに入る者は、終生神への奉仕と祈りに生きる」


 どうやら、前世で言うところの修行僧か、修道院のようなものらしい。そんなところに、まだ若いハリザニールを入れるのかと思うと可哀想にも思うけれど、身一つで里から放り出されるよりはましなのだろう。


 ついでとばかりに、制約の事も聞いてみた。


『制約の事も、聞いてもいいだろうか?』


 断られるかと思ったが、意外にも族長自ら答えてくれるようだ。


「構わないよ。別段隠している事ではないし、この後にフローネルが受けるのを見るだろうしね」


 それもそうか。彼女は制約を受けた後に、里からの永久追放を受けるのだ。渓谷へ出たら、もう二度とこの里に帰る事は許されない。


「制約とは、一種の『呪い』だよ」

『呪い?』

「そう。ある条件を付けて、それに反したら発動するように、体に刻み込む術式を総称して、制約と呼んでいる」

『条件……では、里を出る時に受ける制約とは』

「無論、里の場所や入り方を里の者以外に教えない、また二度と里に入ろうとしない。これらを条件とした術式を、ここに入れる」


 族長が指差したのは、心臓の位置だ。つまり、里に関する情報を他者に漏らしたら死ぬという訳か。


 制約は本人の意思は関係なく、制約の条件によって発動するそうだ。拷問や術式によって情報が抜かれても、フローネルは死ぬ。なかなか厳しい話だ。


 族長が、ぽつりと聞いてきた。


「酷いと思うかい?」

『……いや』

「そうか」


 エルフが置かれている現状を考えると、里を隠すのは大事な事だ。おそらく他の獣人の集落も、ここ同様隠れ里のようなものなのだろう。


 ――人のせいで、か……


 いわれのない差別という点で、親近感を持つ。エルフ側からすれば、迷惑この上ない感情だろうけれど。


 それにしても、制約という術式は初めて聞く。もしかしたら、帝国にもあるのだろうか。その辺りは、機会があったらクイト辺りに聞いてみたい。ネーダロス卿だと、煙に巻かれて終わりそうだ。




 翌日、出発は早朝だった。その為、昨晩は五人とも早めに就寝している。


 フローネルだけでなく、アルスハイも昨晩は族長の屋敷に泊まった。一緒に出るのだから、その方がいいだろうという、族長の言葉による。


「いやあ、いい出立日よりだねえ」


 天を仰いで言う族長に、誰も賛同の声を上げない。この時期、日が長くなっているとはいえ、今は夜明け前だ。


 しかも里には巨木が多いので、一日で一番暗い時間と言われる現在、星すらろくに見えなかった。


 四人はカンテラをかざしティザーベルは魔法の明かりを浮かべて里の中を歩いていく。時折アルスハイが何か言いたげにこちらを見るが、結局何も言わずに前を向いていた。


 おそらく、明かりの魔法について聞きたいのだろうが、ここは察せず無視を決め込んだ。はっきり聞かれれば答えるけれど、何も言われないのに説明する程親切でもない。


 五人が行く下の道には、彼等以外誰もいなかった。


 ――この時間だから、当然か。


 エルフ達の朝は早いとはいえ、活動は日が昇ってからだ。夜明け前のこの時間に起きているエルフはいないらしい。


 フローネルの家の近くを通った際、一瞬だけ彼女が家の方を見た。いくら里から出る事を受け入れたとはいえ、色々思うところもあるだろう。


 フローネルの制約は、夕べのうちに族長が終わらせている。最初に術式の条件内容を口頭で説明して確認し、了承を得てから術式を起動していた。


 床に浮かび上がった光る術式は、回転するように彼女の体を軸に下から上へと向かって、胸の辺りで中央に向かい収束する。


 痛みなどはない様子だ。ただ、本人によると心臓の辺りに花の形の痣のようなものが浮かび上がっているという。それが制約を受けた印だそうだ。


 里も端になると手入れがなされないからか、下草や木々が密集していて進みにくい。渓谷へ抜ける北西の端も、よく見れば獣道のような細い筋が見える程度だ。


 その筋を、カルテアンを先頭に進んでいく。藪をかき分け進むと、少しだけ開けた場所に出た。


「この先に、奥へと抜ける門があるんだ」


 そう言うと、族長はすいと前へ出て、何もない場所に手をかざす。彼の手から、波紋のようなものが広がって、周囲の景色が歪んだ。こちらの感覚器官までおかしくなるようで、耳鳴りのようなものがする。


 ほんの数秒で耳鳴りが治まると、目の前には開けた道が現れた。


「これが、奥へと続く道だ」


 おそらく、正しい手順を踏まなければこの道へは入れないのだ。里のシステムと同種のものが使われているのだろう。


 やはり、族長に話を通して正解だった。一人でここに来ていたら、先に進めず立ち往生した事だろう。


 それにしても、ここまでするという事は、やはり里にとってこの奥は大事な場所という事か。カルテアンも、聖地と言っていた。


 今更ながら、そんな場所に余所者の自分が入ってもいいものかと悩むが、進まなければ都市へ入る事が出来ない。


 それはすなわち、ヤード達を見つける事も帝国へ帰る事も出来ない事になりはしないか。そう思うと、悪いとは思いつつ進む以外の選択が出来ない。


 ティザーベルの葛藤など知らずに、族長は浮かれた様子で話す。


「いやあ、ここに来るのは久しぶりだなあ……前に来たのは……千年以上前だっけ?」


 先月や去年のような口調で、軽く単位の違う年月を語るとは。エルフの寿命の長さには、驚かされる。


 ちらりと周囲を窺うと、カルテアン達も驚いた顔をしていた。彼等にしても、族長の長命さは驚きの対象らしい。


 目の前には渓谷へと続く一本道、両脇には崖、そして空はようやく明け始めたらしく、宵闇の深い青から明るい白になっていた。

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