百四十六 交渉
族長の屋敷は、見た目以上に広かった。先程まで使っていた広間から出て、主である族長を先頭にして廊下を進む。
「客間の方は今仕度をさせているから、まずは夕食を一緒にしようか」
『感謝する』
「客人なんて久しぶりだから、屋敷の者達も喜んでいるよ」
族長のこの言葉には、何も返さずにおいた。最初の広場での周囲の態度を見るに、外からの、しかも彼等がユルダと呼ぶ人間を歓迎するエルフがこの屋敷にいるとは思えない。
――確実に里にとっては厄介者な「ベル」なのに、リップサービスまでする必要、あるのかな……
族長自身は、ユルダで怪しい風体のベルをすんなり受け入れ、何なら興味の視線を向けてくる。排他的なエルフの長とは、思えない行動だ。
通された食堂は、意外にもこぢんまりしている。屋敷の大きさからすると不自然に感じていたら、どうやらここは普段使いの食堂らしい。
「皆で集まる時は、大広間を使うのでね」
一族……というか、直系親族が周囲に固まっているので、何かと理由をつけてはこの屋敷で宴会をするそうだ。
そういえば、先程までいた部屋は床に座るタイプだが、この食堂は椅子とテーブルがある。どことなく、前世のダイニングセットを思い出させる、シンプルな作りだ。
「好きな席にどうぞ」
テーブルは丸形で、椅子は六脚。族長が先に腰を下ろしたので、ティザーベルはその対面から一つだけずらして座った。
族長の対面にカルテアン、族長と一つ席を空けた場所にフローネルが座っている。二人はティザーベルを挟むようにして、席を決めたらしい。
とはいえ、六人用のテーブルでは、どこに座っても族長に近いのだが。
「さて、口に合えばいいのだが」
にこやかにそう言う族長の指示の元、饗された夕食はおいしかった。森の里で暮らすエルフの食べる食事とはどんなものかと思ったが、意外にも前世の日本食のような内容だったのだ。
麦と米の中間のような食感の主食、生け簀で養殖しているという川魚、山菜、野菜類、それに元が何かはわからないが、肉も出る。
パスティカに頼んで、手と仮面の幻影をうまく動かしてもらい、難なく食事する事が出来た。
食後は、話が聞きたいという族長の求めに応じる。これまたこぢんまりしたなんとも居心地の良さそうな部屋に移動し、酒と茶が出てきた。
「こちらはこの里の果実で作った酒でね。少し甘口だがなかなかの味だよ。茶の方は、もう少し時期が遅ければ、新茶を出せたんだけどね」
そう言って族長自ら煎れてくれたのは、味も香りも日本茶だ。なかなかいい茶葉のようで、雑味はなくふわりとした甘みを感じる。
こうなると、族長が言うような新茶を味わいたいところだけど、さすがにそこまで里に滞在する訳にもいかない。
『それで、話を聞きたいとの事だったが?』
「ああ、そうそう。外の話をね、聞きたくて。君も見ていてわかっただろう? 大人でさえ、里の外にはなかなか出ようとしない。まあ、ヤランクスなんて厄介な存在がいるから、仕方ない面もあるんだけど」
確かに、自分の身を守る術を持たないエルフが里の外へ出るのは、自殺行為に等しい。
そう考えると、里からの追放というのはかなり重い罰だ。族長の直系という娘を巻き込んだのが、重罪に当たるという事か。
こんな狭いコミュニティの中でも、特権階級は存在するのかと思うとやるせないが、今ここで口にする事ではない。
なので、本来の目的を果たす事にした。
『何を話せばいいのかな?』
「何でも! そうだな……何故、カルテアン達を助けたのか、聞かせてほしい」
『何故?』
族長の言葉に、ティザーベルは一瞬固まる。あの時、自分は何を考えて彼等を助けたのだったか。
――確か、特に深い意味はなかったんだよね……
通りすがりに、襲われていたから助けた。ただそれだけだったのだ。
『……特に理由はない。目の前で襲われていたので、助けた。それだけ』
「ふうん……彼等の方が不審者だとは、思わなかったの?」
『向こう……ヤランクスの方が数が多かったから。それに……』
「それに?」
『助けた後で悪人だった場合は、その時に対処しようと』
ティザーベルの本音に、隣で聞いてたカルテアンとフローネルが、飲んでいた酒を噴き出す。
「そうだったのか!?」
『あの場では、判断出来なかったから』
「いや、それはそうなんだろうが……」
カルテアンもフローネルも、若干不服そうだ。だが、人は見た目で判断してはいけない。
東の辺境で孤児として生まれ、成人してからは冒険者として生きてきたティザーベルにとって、前世の記憶がなくとも身に染みついた考えだ。
人は、平気で嘘を吐くし、簡単に他人を騙す。
「まあまあ、結局二人とも……あ、アルスハイを入れて三人か、みんなベル殿に助けられたんだから、良しとしておきなさい」
「はい」
族長の言葉に、カルテアンとフローネルは頷いた。
その後も、カルテアン達を助けた時の事を詳しく聞かれたり、馬車をその場で作った事に驚かれたりと、話を続ける。
「その場でねえ……じゃあ、ヤランクスを乗せていた、あの檻のような馬車も?」
『もちろん』
「ぜひ! 目の前で見せてほしい!!」
テーブルに身を乗り出す族長に、ティザーベルだけでなく両脇の二人も引き気味だ。
――族長の威厳、どこ行った? いや、見せるのはいいんだけどさあ……
さすがに見世物になる気はない。どうしたものかと思っていると、反応しない彼女の様子に困っていると思ったのか、両脇から助け船が出た。
「族長、彼は我々の、ひいては里の子の恩人なのですよ。無理を言うのはやめていただきたい」
「確かに凄かったですが、見せびらかすようなものではありません」
二人に言われて、族長は子供のように口をとがらせて不満を現す。そんなに見たかったのかと思うのと同時に、これは交渉するべきではないかと思いつく。
里の奥から向こうへ出るのに、許可はいらないのかもしれないが、念には念を入れておきたい。
『一つ、こちらの願いを叶えてもらえるのなら、見せても構わない』
果たして、こういう場面でこの姿の時は、どう言えば正解なのか段々わからなくなってきたけれど、周りの反応を見る限り、大きくイメージから逸れてはいないらしい。
――早く幻影解きたい……
心中で愚痴りながら、族長の反応を窺う。彼は面白いもの見つけたような目でこちらを見ていた。
「ふうん……とりあえず、その願いとやらを聞こうか。叶えるかどうかは、その後で決めるよ」
確かに、内容を聞かずに叶えるとは言えないだろう。
『……里の奥、その先にある渓谷へ出たい。許可がいるのなら、その許可をいただきたいのだ』
その場は、水を打ったようにしんと静まりかえっている。族長はともかく、両脇の二人は驚いた顔でこちらを見ている。
もしや、これは最悪のケースだったのだろうか。
ややして、族長が低く言った。
「里の、奥。フローネル、それは君が教えたのかな?」
「い、いいえ!」
「カルテアン」
「まさか。我々の誰も、ベル殿に奥の事は話していません」
「そうか……では、ベル殿はどこでそれを知ったのかな?」
三人の視線が、こちらに集中する。正直に話す訳にもいかない。かといって、いい誤魔化し方は……
その時、脳内でパスティカの声が響いた。
『古い文献を読んで、遺跡を調べる為に来たって言えばいいじゃない。私のところに来た時、似たような状況だったんでしょ?』
なるほど。大森林の奥へ向かう事になった理由をそのまま言えばいいのか。
『……さるお方から、依頼されたのだ。何でも、古い文献が残っているそうで、位置的にこの里の奥に古い遺跡があると記されていたそうだ』
遺跡という言葉に、族長だけが反応した。
「そ、その文献とやらは! 今どこに!?」
またしても身を乗り出して聞かれたけれど、半分嘘なので在処を言う訳にもいかない。
『……依頼主の手元だ。訳あって、依頼主の事は話せない』
「そう……」
それ以上の追求はなかったが、族長は明らかに納得していない。どうも、古い文献とやらが気になる様子だ。
――ネーダロス卿タイプなのかな……
だとすると、少し厄介だ。あのタイプは、持った権力を自分の興味を満足させる為に使う。それはもう、全力で。
何故エルフの族長が、ありもしない文献にこうまで興味を引かれるのか。とはいえ、勝手に行っていいのならいいが、どうも先程の三人の様子から察するにダメなのだろう。
ならば、何とか目の前の族長から許可をもらわなくては。
『それで、奥へは行っていいのかな?』
「いや、それは――」
「いいだろう」
カルテアンの言葉を遮り、族長が決断を下した。驚いたのは、両脇の二人だ。
「族長!! 本当によろしいんですか!? あそこは、我々エルフの聖地なのですよ!?」
「おや? 彼は君達の恩人なのだろう? ならば、聖地の神々に彼を引き合わせたところで、神々もお許しくださるさ」
嫌な意味で、予感が当たってしまった。里の奥は、エルフにとっての聖地のようだ。
――強行突破しなくて良かった……
まだエルフの事をよく知らないうちから、敵に回す訳にもいくまい。静かに三人――主にカルテアンと族長のやり取りを見ていた。
「さすがにこれは、族長お一人で決めるべきではないかと。重鎮の方々を呼んで――」
「彼等なら、私の決定に異を唱える事はないよ」
「ですが!」
「無論、ベル殿を一人で行かせる事はしないから、安心しなさい」
「え?」
族長の言葉に、カルテアン達だけでなくティザーベルも驚く。そんな三人を前に、族長は何でもない事のように言った。
「私も同行するよ」
その場は、再び静まりかえった。
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