百三十八 穴の底と、木々の陰

 緊迫した空気の中、ティザーベルはとぼける事にした。


『はて。随分昔にどこかで耳にした言葉だったと思うが……それが君ら独特の言葉とは、知らなかった』


 首を傾げながら言った言葉に、カルテアンは空気がしぼんだ風船のように勢いをなくす。


「そうか……すまない、つい……」

『気にするな』


 これでこの話題は終わりだ。それにしても、気を抜くと普段の言葉使いで出てきそうで困る。


 ――脳内モデルはヤードだな、こりゃ。


 元々口が重い彼をイメージしておけば、失言も減るだろう。がっくりとうなだれるカルテアンに、彼を心配そうに見ているアルスハイ、我関せずのフローネル。何だか三人の力関係が見えてきた気がする。


『そうそう、君らを襲っていたヤランクス……だったか? 近場に穴を掘って放り込んであるんだが、見に行くかね?』

「は?」


 これには三人が声を揃えた。




 雨はいつの間にか上がっていた。空は夕焼けで真っ赤に染まっている。


「なんとまあ……」


 そう呟いたのは、エルフの戦士カルテアンだ。彼の目の前には直径と深さが十メートルはある大穴が空いており、その底には縛り上げられたヤランクス……エルフを狩る者共が転がされている。


 穴は街道から少しそれた林の中に掘った。その近くに家を出し、三人を寝かせておいたのだ。パスティカの見立てでは、特に怪我をしている訳ではなく、周囲の魔力が薄くなった為に起きた、魔力欠如状態だという。


 酸欠に近いもので、酷くなると強制的に魔力を体内に入れる必要があるが、このくらいなら転がしておいても問題はないとの事だった。事実、彼等は数時間で目を覚ましている。


 その辺りは色々と聞きたいのだけれど、今は後回しだ。最優先事項が他にある。


 手始めとして、捕縛済みの犯罪者共から色々と情報を抜き出さなくては。


 ヤランクス達を入れた穴を覗き込んで、カルテアンは呆れたようにこちらを見る。


「なかなか、やる事が派手だな」

『そうかね?』


 ティザーベルは、未だに幻影を解いていない。なんとなく、正体を明かすタイミングを見失っているのだ。


『で? こいつらはどうする? 何なら、このまま埋め――』

「待て待て待て! こいつらの情報を聞き出す前にやるな!」


 埋めると見せかけて脅そうかと思ったのだが、普通に埋めると取られたようだ。別に誤解を解く必要もないので、そのまま流す。


『聞き出した後ならいいんだな?』

「……好きにしろ」


 本来人を殺すのは好きではないが、攫った子供を売り飛ばすような悪党は、人間のくくりに入れる気はない。この世界に基本的人権の考えはまだないが、他者の人権を踏みにじるような連中の人権を尊重する必要はないだろう。


 さて、穴の底の連中からどうやって情報を得るのかと見ていると、カルテアンがアルスハイに何やら言っている。


「出来そうか?」

「やってみる」


 自信なさそうに答えたアルスハイは、杖を掲げて何やらブツブツと呟いた。どうやら、こちらの魔法は詠唱が必要らしく、彼の周囲に魔力が集まり始めている。


 面白い魔法の使い方だ。どうやら、エルフは体内に魔力を貯め込む事がなく、常に周囲の魔力を使うらしい。


 パスティカからもらった古代の方法では、体内の魔力と周囲の魔力とを融合させて使う。帝国では、体内の魔力のみ。


 ――古代の方法が、どこかで分派した感じ?


 本来なら、両方のいいとこ取りのハイブリッドが未来に出るべきだが、それが失われた古代にあるとは。なんとも不思議な感じだ。


 アルスハイは何とか穴の底から一人を浮き上がらせると、穴の縁に下ろす。これだけで、彼は肩で息をする程疲労していた。


「大丈夫か?」

「な……何とか……」


 彼に手を貸して立ち上がらせたのは、フローネルだ。女性である彼女に比べても、アルスハイは華奢に見える。フローネルも決して筋肉質という訳ではないのにだ。


 杖に寄りかかるように立つアルスハイの足下に、カルテアンが先程持ち上げたヤランクスの男を蹴って移動させる。


「アル、頼む」

「う、うん」


 青白い顔のまま、アルスハイは再び杖を掲げて詠唱を開始した。


『神と精霊に感謝を捧げ、助力を請う内容のようね……前の詠唱の時も、似たような言い回しが何回もあったわ』

『あれの意味がわかるの?』

『今詠唱で使っているの、六千年前には普通に使われていた言語の一つよ』


 なるほど、だからパスティカが知っていても不思議はない訳だ。そして六千年も経てば、言語として使用される事もほぼなくなり、詠唱の中にのみ生き残ったのだろう。


 詠唱が終わると、淡い光が男を包む。


『あれは?』

『うーん、やり方としては間違っていないんだけど、ちょっと弱いなあ……』

『そうなの?』

『あの術式、対象者の嘘を見抜くものなんだけど、強制的に自白させる力はないから』

『さらっと怖い事言ってる……』


 強制的な自白とは、一体どんなものなのか。パスティカによると、脳内の記憶やら何やらを外部から抽出する事らしい。抜かれた方は無事なのか気になるが、相手が犯罪者なのでここは不問とする。


 目の前では、カルテアンによる尋問が始まっていた。


「貴様らはヤランクスの手のものか?」

「……」


 男はだんまりを決め込んでいる。拷問が始まるかと思ったが、そうでもなく、カルテアンは淡々と聞くだけだ。


「この近くに、お前達の仲間が潜んでいるか?」

「……」


 男はやはり答えなかったけれど、彼を包む光に変化が現れた。一度強く明滅したのだ。


『……嘘を見抜くものじゃないの?』

『対象者の心の揺らぎみたいなものを測るから、無言でも効果があるんだと思うわ』


 嘘発見器のようなものか。だとすると、男達の仲間が近場に潜んでいるという事になる。


 ティザーベルは、何も言わず魔力の糸を伸ばした。いる。少し離れた木々の間から、こちらを伺う十人以上の男達。


『少しいいか?』

「何だ?」

『先程の、こいつらの仲間が潜んでいるという話だが、向こうの木々の陰にいるぞ』

「何だと!?」


 一気に三人が警戒し始めた。とはいえ、ここからはまだ距離があるし、多分向こうの攻撃もこちらに届かない。


『少し待て。こいつらの仲間なら、捕縛しても構わないな?』

「それは……出来るのか?」

『問題ない』


 一度は言って見たかった台詞を、ここで言う事になるとは。


 ――おじさん達相手だと、言う前にあれこれ片付いているし、セロア相手には言う場面がなかなかないし。あいつなら、きっと笑ってくれるのに。


 この場では、当然笑う者などいない。ティザーベルの発言に、三人が三人とも、期待半分疑い半分の目で見てくる。


 既に彼等には糸を伸ばしてあるので、そちらに電撃を流せばいいだけだ。あっという間に終わる、簡単な仕事である。


『終わった。今こちらに引きずってきている』

「はあ?」


 三人の声がハモったところで、魔力の糸で引きずった連中が見えてきた。全員電撃で意識を刈り取ったが、引きずられた痛みで復活しているらしい。よくは聞こえないが、罵りの声を上げているようだ。


『あれが、そうだ』


 そう言って三人を見ると、目を見開いて男達を見た後、同じタイミングでこちらを見た。その表情に、思わず噴き出しそうになったのは黙っておく。


 引きずってきた後に、あまりにもうるさいのでもう一度電撃を使い寝かしつけた。その様子にも、三人は目を丸くしたままだ。


『さて、彼等の記憶を覗こうかと思うのだが、いいかね?』


 そろそろこの話し方にも慣れてきた。ティザーベルの問いに、三人とも先程の表情のままこちらを向くが、ようやく意味を理解したらしいカルテアンが恐る恐る聞いてくる。


「その、記憶を覗くと聞こえたのだが……それは?」

『魔法の一種だ。相手の記憶を覗いて、必要な情報を抜き出す。命に別状はないと思うから、問題ない』


 別にそれが原因で命を落としたところで、痛くもかゆくもないけれど。この辺りは、帝国人の考え方なのだろう。


 冒険者としても、多くの盗賊達を捕らえてきた。彼等の行く末は過酷な環境下での苦役であり、罪状によっては死ぬまで解放されない。ギルドがセーフティネットになっている以上、食うに困って罪を犯すという言い逃れは通らないのだ。


 目の前に転がっている男達も、穴の底でもがく連中も、おいしい思いが出来るからこそ、ヤランクスなどという仕事に就いているのだろう。


 だったら、大きなメリットに伴うデメリットも、承知のはずだ。


「一つ、いいか?」


 冷たい目で男達を見下ろしていたティザーベルの耳に、カルテアンの声が入る。


『何かね?』

「俺たちのやり方じゃダメなのか?」

『君らの方法で、知りたい情報を正確に得られるというのなら、譲るが?』


 少々煽るような言い方だが、事実だ。その証拠に、アルスハイが悔しそうな顔をして俯いている。魔法を使う当人だけあって、先程の術式の効き目はよく知っているのだろう。


 意外なところから、声がかかった。


「カルテアン、私は彼の提案に賛成だ」

「フローネル?」

「時間が惜しい。こうしている間にも、あの子達は心細い思いをしているんだ。早く助け出したい。頼む」


 フローネルの言葉に、カルテアンも思うところがあるのか、逡巡した後、こちらに向き直った。


「すまないが、頼む……」

『承知した』


 実践するのは初めてだが、やり方はパスティカに直接脳内へたたき込まれたので不安はない。


 それよりも、この格好だと男に思われる事と、いつ本当の姿に戻るかが問題だった。

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