百三十七 エルフ

 外は冷たい雨が降る中、暖炉には赤々とした火が灯っている。それを眺めていたティザーベルの耳に、うめき声が響いた。


「う……ん……」


 どうやら、三人組の誰かが目を覚ましたらしい。彼等は居間にある急ごしらえの簡易寝台に転がしている。


 彼等を助けたのが昼前、現在は三時を越えようかという頃だ。雨のせいで外はこの時間とは思えない程暗い。


「ここ……は……」


 言語そのものはわからなくとも、意味が通じるようになった。彼等を保護した時、パスティカからの提案に乗り、魔力の糸で彼等の脳内をほんの少し探査し、言語情報を獲得しておいたのだ。


『目が覚めたか?』


 目覚めたのは、エルフの中でも唯一の女性だ。ティザーベルは、先程のローブ姿のままで目覚めたエルフの前に立つ。声も若干いじっているので、怪しい事この上ない。


 彼女はこちらを確認すると、はっとした顔で寝台から下りて腰に手をやる。


『悪いが、武装は解除している』


 全員剣やナイフ、弓を持っていたが、寝かせるのに邪魔そうだったので、まとめてソファの陰に置いてある。


 エルフ女性は、丸腰とわかっても警戒を解かずに声を張り上げた。


「貴様! 何者だ!?」

『人に名を尋ねる時は、自分から名乗れと教わらなかったのか? 礼儀知らずな事だ』

「く!」


 わざと煽るような言い方をすると、相手は悔しそうに歯ぎしりする。別にいじめたい訳ではないのだけれど、多分下手に出ても警戒はされるだろう。


 だったら、最初から対等もしくは上からの態度で出た方がいい、というのがパスティカからの助言だ。


 まだ、彼等がこちらにとって敵対する存在なのかどうかがわからない。いくらか情報を引き出してから、追い出すなり事情を説明するなりした方がいいという。


 さて、相手はどう出るかとみていると、悔しそうにしながらもこちらの言い分を飲んだらしい。


「私はクオテセラの戦士フローネル。貴様は何者だ?」

『……ベル。流れの者だ』


 クオテセラというのは、エルフの国名なのか街の名なのか。それにしても、エルフで戦士とは驚いた。確かに、彼女の武器は剣だったが。


 それも、細身の剣ではなくしっかりしたブロードソードタイプで、柄の部分に手を保護する凝った意匠が施されている。


 おそらく使い込まれているだろうその武器に、フローネルの外見は似合わない。


 エルフの外見といえば、華奢で優美と相場は決まってそうなものだが、目の前のフローネルはやや筋肉質な体型ではあるが、女性的な曲線の持ち主だ。とてもあの剣を振り回すようには見えない。


 ――というか、エルフといえば、魔法と弓じゃないのかね?


 色々とイメージを壊される存在だ。そんなフローネルは、こちらをにらみつけたままだった。


『……君のお仲間なら、そこで寝ている』

「見ればわかる。貴様、氏族でもないのに我らの言葉を使うとは、一体何者だ!? ユルダなのか!?」

『氏族? ユルダ? 何の事やら……』


 さっぱりわからない。この辺り特有の言葉使いなのだろうか。言語情報は獲得しているはずなのに、わからない単語が出てくるとは……


『その部族特有の言葉なんだと思うわ。だから、翻訳出来ずにそのままになるんだと思う』


 脳内で、パスティカの補足説明が入る。なるほど、ユルダというのは、エルフにとっての敵対勢力の事のようだ。氏族は、そのままだと考えていい。


「う……」

「ここ……は……?」


 残り二人は、男性のようだ。一人は筋肉質で大柄、もう一人は華奢で中性的なイメージだった。これぞエルフといったところだ。


「テアン! アル! 目が覚めたのか!?」

「フローネル? ……これは、一体」

「わ、わああああ! た、助けてええええ」

「落ち着けアル。とりあえず、危害を加えられる事はないようだ」


 意外にも、大柄な男性は起きてすぐに状況を把握したらしい。三人の中では、リーダー格なのだろうか。


 それにしても、目覚めてすぐ判断したにしては、こちらを無害としたのは何故だろう。少し興味がわいた。


『何故、危害を加えないと思う?』

「拘束されていないし、先に目覚めたフローネルにも怪我らしきものは見当たらない。もし我々に危害を加えるつもりなら、意識のないうちに拘束なりなんなりするだろうよ」


 なるほど。起きてすぐにそこまで判断出来るというのも、たいしたものだ。フローネルのように警戒心ばかりという訳でもない。


『実際、君らに危害を加えるつもりはない。あの場にも、偶然行き会っただけなのでね』

「とりあえず、あの場から助けてくれた事には感謝する。俺はクオテセラの戦士カルテアン、こちらは同じくクオテセラの魔導師アルスハイ。あのユルダ達は、どこに?」

『その、ユルダというのは、何の事だ?』


 ティザーベルの問いに、三人は顔を見合わせた。これは、この辺りでは当たり前の単語だったのだろうか。


 ――その割には言語獲得で翻訳されていないんだけど。


 三人を代表する形で、カルテアンが教えてくれた。


「ユルダというのは、我々が人間を呼ぶ時に使う言葉だ。ユルダが我々をエルフと呼ぶようなものだな」


 つまり、エルフにとっての人間種が全てユルダという事か。


 不意に、カルテアンが笑った。


『……何だ?』

「いや、そんな事も知らないという事は、ここらのユルダではないな。どこから来た?」

『……何故、そんな事を聞く?』

「アルスハイの事を聞いて、何の動揺も見せなかったからな。ここらのユルダなら、魔導師と聞いただけで逃げ出す」


 そういえば、魔法は禁じられているのだったか。その割には、あの男達は平気で魔法道具を使っていたのだが。


『……先程の男達は、逃げなかったようだが?』

「あれは……ヤランクスだ」


 脳内で、「狩る者」と翻訳されたヤランクスとは、一体……


 ――いや、あの状況を考えれば、「狩る」対象はわかりきってる。


 エルフを狩る者。それに特化した連中という事か。ならば、あの魔法道具を持っていた事もうなずけるし、エルフの魔導師を恐れないのも理解出来る。


 考え込むティザーベルを余所に、カルテアンは憤りのままに続ける。


「ヤランクスは、我々の子を攫った。だからここまで追ってきたのだ。だというのに……あのおかしな珠のせいで、まったく歯が立たなかった。こんな事は初めてだ」

『子供を攫って、ヤランクスとやらはどうするんだ?』

「売るんだよ。ユルダの奴隷としてな!」


 吐き捨てるように答えたのは、フローネルだ。ヤランクスという連中は、奴隷狩りでもあるという訳か。


 しばし、その場が静まりかえったが、すぐにカルテアンが口を開いた。


「そういう訳だ。助けてくれた礼が出来ないのは残念だが、我々は先を急ぐ。攫われた子供を取り返したいんだ」

『なるほど……いいだろう。これも乗りかかった船だ。手を貸す』


 ティザーベルの申し出に、三人はお互いに顔を見合わせている。こちらを疑っているのが見え見えのフローネル、びくつくばかりのアルスハイ、そして何やら考え込んでいるカルテアン。三者三様だ。


 ややして、カルテアンが口を開いた。


「何故、と聞いてもいいか?」

『ただの気まぐれ……と言っても信じないか。ならば、乗りかかった船とでも言っておこう』


 関わりを持ってしまった以上、このまま見捨てるのも忍びない。攫われているのが子供で、もたもたしていたら奴隷として売られてしまうと聞いては、放っておく事も出来なかった。


 軽い気持ちで口にした言葉だったが、カルテアン達の様子がおかしい。どうしたのかと問おうとした時、カルテアンが先に聞いてきた。


「……今、なんと?」

『ただの気まぐれ、と』

「その後だ!」

『乗りかかった船、か? それがどうし――』

「何故! ユルダがクオテセラの言葉を知っている!?」


 エルフの言語という意味なら、先程から使っているはずだ。カルテアンが何を言っているのかわからず首を傾げていると、彼が呟いた。


「その言葉は、クオテセラでしか使わないものだ。族長ウルーリンザー様が使い始めたと言われているのに……」


 なんと、こんな別の大陸に来てまで、前世日本人の候補が見つかってしまったようだ。

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