百三十四 やるべき事

 壁の向こうからは、波の音が響いている。ここが海辺なのだと、実感する音だ。

 パスティカが姿を消し、ティザーベルの中に潜ってからすぐ、結界は解除している。


 潮の匂い。遠くから聞こえる人の声。こんな状況でなければ、もう少し優雅な気分に浸れそうなものだ。


 ぼんやりとしていると、入り口にかけられた布の向こうから、声がかかる。


「食事の仕度が出来た。起きておいで」

「はい」


 ジンストだ。言葉の通じないこの村で、唯一帝国語が通用する相手。彼の境遇には驚かされたが、おかげで今、自分が助かっている。


 部屋の外に出ると、食卓には湯気の立つ料理が並んでいる。この村では、床にじかに座るらしい。


 既に彼の家族は座っている。奥さんらしき女性、自分を見つけてくれた恩人である息子、そしてジンスト。この家は三人家族らしい。


 女性がにこやかに何かを言ってくるが、やはり言葉がわからない。困ってジンストを見ると、すぐに訳してくれる。


「あんたを歓迎するって。口に合うかわからないが、女房の飯はうまいぞ」


 そう言って笑うジンストに、息子が何やら聞いている。見た感じ、十歳前後くらいだろうか。


 開いてる場所に座り、出された料理を前に、しばし固まる。カトラリーの類いが一切ないのだ。


 ――これはまさかの手づかみか?


 そう思っていると、やはり家族は手づかみで料理を食べ始めた。郷に入っては郷に従え。ジンストや彼の家族のやり方を見よう見まねで食べる。


 味は悪くないが、少し単調に感じるのは、帝国での多彩な味を知っているからか。


 前世日本と遜色ないくらいの数の調味料、香辛料、それらを駆使して作られる料理は常に料理人による創意工夫によって進化し続けている。食に関するこだわりは、日本を思い出させた。


 漁村という事で、メイン食材は魚。それを塩と香草で煮付けてある。主食は芋類。これらを指先で一口にまとめて食べるのだ。淡泊でねっとりした芋に、少しパンチの効いた魚の煮付けがよく合う。


 食事後は、片付けの手伝いをジンスト経由で申し出たが、断られてしまった。どうやら、まだ体調が良くないと思われているらしい。


 代わりに、外を歩いてくるといいと放り出されてしまった。ジンストと、彼の息子が同伴してくれている。


「日差しが強い……」

「ここらはこれが普通だよ。帝国でも、南の方はそれなりだと聞いたんだが」

「あまり南には行った事がないんです。生まれはラザトークスで、その後帝都に移り住んだから」

「ラザトークス……確か、東の果てじゃなかったか?」

「そうですね」


 確かに、あの街は果てと呼ぶにふさわしい。その果てのさらに東に広がる大森林の地下から、この村に飛ばされたと知ったら、ジンストはどんな顔をするやら。


 ――言えないけどね。


 地下都市の事は、誰にも言えない。帝都に帰る事が出来れば、ネーダロス卿には報告せざるを得ないが。


 この村は、本当に小規模のものらしい。見える範囲で、家は約二十戸程度。浜には十いくつの船が上がっていた。


 朝早くに漁に出て、昼前には戻り夕刻には寝る。そんなある意味健康的な一日を過ごしているという。


 村を見渡せる高台まで来た。


「へえ……」


 眼下に広がるクピ村は、三日月型の湾の一番奥にある。張り出した岬のおかげで、湾の中は波が穏やかなのだとか。


「そろそろ戻ろうか」

「もう少し、ここにいてもいいですか?」

「だが……」

「お願いします」

「……わかった。帰り方はわかるかい?」

「大丈夫です」


 まだ何か言いたげなジンストと彼の息子を見送り、ティザーベルは崖から再び湾を見下ろす。


「パスティカ」

「やっと終わった。この近くに、何番かはわからないけど、研究実験都市があるわ」

「本当に?」


 今まで自分の意識の底に潜り込んで何をやっていたのかと思えば、一番近場の研究実験都市を探していたらしい。例の、人工衛星を使ったのだろう。


 それにしても、都市の機能は未だ完全ではないのに、よく出来たものだ。


「予備機能を完全稼働させたわよ。おかげで疲れたわー」


 そう言いつつ、パスティカは肩をもむような仕草をする。魔法疑似生命体も、肩がこるのだろうか。


 それはともかく、この近場にあの地下都市と同じような都市が眠っているという。


「ヤード達は?」


「一応、生存と現在地は割り出しているけど、ここからかなり西ね。ちなみに、私達の現在位置はここ」


 パスティカが手を差し出すと、その先に映像が現れた。人工衛星から見た、この土地の姿だ。


「この大陸は六千年前はザーリント大陸と呼ばれていたの。で、クピ村はこの大陸の東の端。ちょっと南よりね。で、二人の落下地点はこことここ」


 映像上に、二つの光の点が現れた。縮尺がどのくらいかはわからないけれど、ここから大分西に離れている。


「どっちがどっちかは、わかる?」

「より南がレモ、北がヤードね」


 光点の位置は、レモの方が若干東よりか。探すならば、彼を先にした方がいいかもしれない。


「今も、この場所?」

「多分ね。予備機能だけだと、どうしても精度が低くて」


 精度が低くとも、この区域に生きているとわかればいい。後は合流するだけだ。


 それにしても、予備機能でこれだけの事が出来るのなら、都市機能の全てを取り戻した際、あの研究実験都市はどんな存在になるのやら。


 そこでふと、思い出した事がある。あの動力炉のある部屋で起こった事だ。そのせいで、今自分達はここにいる。


「パスティカ、あの動力炉にあった床の紋様、何?」


 今更その事に思い至る辺り、自分も十分混乱していたのだなと笑った。本当なら、目覚めて最初の方に確認すべき事なのに。


 ティザーベルの問いに、パスティカは悔しそうな表情で答える。


「……あれは、おそらく自然派の連中が仕掛けた罠よ。動力炉の再起動を感知した時点で、発動するように設定された、転移の罠」


 転移の罠とは恐れ入る。どうやら、その結果飛ばされたのがクピ村だったようだ。


 パスティカの説明では、あの転移陣は不完全な代物で、別の都市で研究中のものだったという。


 都市間転移もあるけれど、あれは明確に転移元と転移先を決めているから出来るのであって、不完全な転移陣では、転移先を特定するまでには至っていなかったのだとか。


 そんな中途半端で危険なものを仕掛けていたのかという思いと共に、一つの疑問が浮かぶ。


「転移も魔法でしょ? どうして魔法を否定する自然派が使う訳?」

「自然派の中には派閥があるって話したわよね? その中でも、自分達が認めたものなら魔法は使ってもいいという派閥があるの。それが過激派。敵にならいくらでも魔法を使っても構わないそうよ」

「何そのダブスタ」


 ティザーベルの中で、自然派に対する評価がゼロからマイナスになった瞬間だった。


「ともかく、二人を探さなきゃ。無事ならいいんだけど」

「多分、怪我なんかはしていないと思うわよ? あなただってそうでしょ? 結界は維持されていたし」


 そういえば、飛ばされた時ほぼ無意識にいつもの結界を張っていた。どうやら放り出された先は、位置こそ違えどかなり高い位置だったらしい。確実に殺しにかかっている罠だ。


 その結果、ティザーベルは海に落ちて浜に流れつき、ヤードとレモは地上に叩き付けられても傷一つなかったという事か。


 ――どこぞで地下に落とされた時も、結界のおかげで傷一つなかったから、今回もそうだと思いたい。


 お互いにかなり離れた位置だけれど、なんとか合流しなくては。おそらく、動くのは自分が一番適している。ヤード達も、そう思って今いる場所から動かないでいてくれるといいのだけれど。


「二人を探す前に、その下準備をした方がいいわ。その為にも、近場の研究実験都市を再起動させましょう」


 パスティカの言葉に、考えに耽っていた事を自覚する。それにしても、この魔法疑似生命体にとって、都市の再起動は何にもまして大事な最優先事項なのだろうか。


「何でそうなるのよ?」


 若干、声にとげが混ざったのは致し方ない。だが、パスティカは気にした様子もなかった。


「都市の力を使った方が、二人を探しやすいし、あなた自身にも利益があるからよ。今は詳しく言えないけど」

「本当に?」

「もちろん。嘘は吐かないって言ったでしょ?」


 内緒にする事はあってもね。そう続けたパスティカに、ティザーベルは苦笑を漏らすしかない。


 何にしても、これからのやるべき事が決まった。まずは、パスティカの薦めに従い近くあるという地下都市を目指す。


 そこを再起動した後に、ヤード達を探しに行こう。土地勘のない場所でどれだけ動けるか謎だけれど、やらないわけにはいかない。


 村に戻って、早速ジンストにここを出る事を伝えなくては。そう思って来た道を戻ろうとしたその時、内陸方面から土埃が上がるのが見えた。


 それと同時に、村の方からけたたましい鐘の音。緊急事態発生らしい。

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