百三十二 罠
ゆっくりと、意識が浮上する。眠りから覚める時の感覚と同じだ。
「お」
「目ぇ覚めたか? 嬢ちゃん」
ヤードとレモの顔が見える。どうやら、あのまま床に転がされていたようだ。二人はティザーベルの両脇に座り込んでいる。
「……私、どのくらい眠ってた?」
「そうだなあ。鐘の音が鳴り終わってしばらくくらいか?」
レモの言葉を信じるなら、十分少々といったところか。半日寝込む事にならなくて良かった。
起き上がって右手の甲を見ると、例のあざはそのままだ。だが、目の前にパスティカが浮かんでいる。
「てっきり、その姿になったらこっちは消えるんだと思ってた」
「まさか。一度同化をしたら、消えないわよ」
だったら同化をしない方が良かったのでは、とは言えない。目の前の機嫌のいいパスティカの機嫌を損ねるのは、得策と思えなかったからだ。
――へそ曲げると、面倒そうだからね……
これから動力炉を再起動させるのだ。彼女の力なしでは出来ない。
動力炉は、都市の中央地下八階にあるという。
「都市全域に動力を送る必要があるから、真ん中が一番良かったのよ」
とはいえ、この研究実験都市は真円ではないので、正確に中央という訳ではないようだ。
動力炉への道は、一本だけだという。
「複数ないんだ?」
「大事な都市の心臓部だから、経路は一つだけに絞られたのよ。偽物の経路はいくつもあるけれど、どれも行き止まり」
やはり、ここでも罠は仕掛けられているらしい。しかも、偽物の道とは、なかなかにアナログだ。
台座のある部屋からエレベーターホールに出て一度地下三階へ上がる。台座のある階は地下七階だった。
ここに来る時は、階数まで見る余裕がなかったなと、少し笑う。警戒しすぎで緊張していたのだろう。
地下三階で下りた後は、ホールから伸びる廊下のうち、左手のものを進む。
「ここから先は、私がいないとたどり着けないのよ」
パスティカは先導するように、三人の前を飛んでいる。彼女は廊下に並んだ扉の一つを開けて中に入った。
「ここ?」
「経路の入り口ね」
「はあ」
普通の部屋の中に、動力炉へ至る道への入り口があるとは。完全に隠しにかかっている。メンテナンスなどは、どうしているのだろうか。
「見ればわかるけれど、手入れ不要よ。全て魔力で成り立っているから」
メンテナンスフリーだった。これはいよいよ、動力炉を見てみたい。パスティカからコピーされた記録の中に、動力炉に関するものはない。どうやら、意図的にコピーする情報を選んでいるようだ。
彼女は自分が魔法疑似生命体だと言っている。では、その取捨選択の根拠は、一体どこから来るものなのか。
「パスティカ、聞きたい事があるんだけど」
「何?」
入った部屋にある大きな木製の棚。その奥から隠し通路に入っている。これが動力炉に続く正解の道らしい。
「あなたって、凄く人間っぽいんだけど、どうして?」
何をどう聞けば一番いいのか悩んだ末、ストレートに聞いてみる事にした。パスティカは、作り物と言うにはどうにも人間臭い。
先頭を飛んでいたパスティカは、一瞬ティザーベルを振り返った後、視線を前に戻して答えた。
「多分、私達に植え付けられた疑似人格に、元にした人が実在しているからじゃないかしら?」
「じゃあ、あなたを作ったのは、誰?」
「それは答えられないわ。答えてはいけない事項だから」
「じゃあもう一つ。疑似人格が搭載されている理由は、自分で思考する必要があるからなの?」
「それも、禁止事項ね」
それは答えているようなものではないのか。違うならば違うと言えばいい。そこにデメリットはないはずだ。
だが、彼女は答えなかった。つまりは、支援型は都市の所有者を支援するだけでなく、自分が支援する部分を選んでいるという事であり、それを可能にするよう最初から設計されているという事だ。
――誰が作ったのか知らないけど、都市の所有者に対する不信感がないか?
最初から、所有者が暴走すると仮定して設計しているように思える。支援型の力を借りなければ、都市の中で出来ない事は多い。
実質都市の所有者を二人にする事で、所有者の独断を止める。支援型は所有者がいなければ、基本何もする事は出来ない。
彼女達が出来るのは、所有者が都市の為になる行動を取るかどうかを見極めるだけだ。それにより、支援する項目を決める。
「セキュリティとしては、有りか……」
「何か言った?」
「こっちの話。で? 動力炉まではまだ遠いの?」
「もう少しあるわね。何か他に、聞きたい事はある?」
聞きたい事など山程あるが、多分半分以上は禁止事項に引っかかりそうだ。それに、彼女にコピーしてもらった記録もある。
不思議なもので、自分で覚えた訳でもないのに、思い出そうとすると脳裏に浮かぶのだ。
パスティカがコピーした記録の大半は、魔法技術に関するもので、都市に関するものは少ない。多分、彼女が選択した結果だ。
ティザーベルは、目の前に迫った事について聞いてみた。
「都市を再起動させると、何が起こるの?」
「都市の全機能を使う事が出来るようになるし、他の凍結されている都市にも、ここが再起動した事を知らせる事が出来るわよ」
「地上に、影響は?」
「まずないでしょうね。前に言ったけど、この上にある森は都市によって作られたものなの。あなたの記憶と照らし合わせて、人が殆ど入れない場所だっていうのはわかっているから、特に問題はないでしょう」
地上に影響がないのなら、それでいい。
――再起動した途端、地下から空に浮かんだ、とかなったら大変だったけど。
考えが筒抜けになっているからか、先頭を飛ぶパスティカがいきなり噴き出した。
事情がわからないヤード達は不思議そうにしているけれど、ティザーベルは不機嫌だ。
「パスティカ、人の考えを読むのはやめてよね」
「読んでるんじゃないわ。流れ込んでくるのよ」
「それも、やめて」
「無理」
短く返しただけで、パスティカは無言のまま進んでいく。その後ろ姿を眺めながら、ティザーベルは短い溜息を吐いた。
棚の奥から入る秘密の通路を抜けて、今は小さなエレベーターに乗っている。
「これで地下八階まで?」
「いいえ? 一度下りて乗り換えるわよ」
「面倒臭い……」
「侵入者も、そう思ってくれるといいんだけど」
面倒な経路も、侵入者よけのようだ。エレベーターは地下五階に到着し、ここからまた歩く。
いくつかの曲がり角をパスティカ主導で通り過ぎ、再びエレベーターへ。これでやっと八階へ行くのかと思いきや、なんと上に上がっている。
「まだ着かないの?」
「文句言わない」
ぴしゃりと言い返されて、何も言えない。うんざりしたまま歩く事少し、また部屋に入り、壁に向かった。
「ここは?」
「まあ、見てて」
パスティカが壁に触れると、横にスライドして向こう側に通路が現れた。
「こんな仕掛け、本当に必要なの?」
「さあ? それはこの都市を設計した当人に言ってほしいわ。もっとも、とっくに死んでるけど」
それはそうだ。都市壊滅の原因がなくとも、人は六千年も生きられるように出来ていない。
通路を右に進み、行き止まりにたどり着いた。何もない、三方が壁に囲まれた場所。右側の壁に、パスティカが触れる。
「うお!」
声を上げたのは、レモだ。三人の足下の床がいきなり消えたのだから、誰だって驚くだろう。
「大丈夫よ。落ちていないでしょ?」
この都市に下りてくる時に使った紋様のようなものが、足下に出ている。これで移動するのだろう。
そのまま紋様は下へと全員を運んでいく。これが最後の仕掛けらしく、横に移動する事はない。
そのまま下りていくと、やっと下についた。目の前に、奥へと続く通路がある。
「この奥よ」
少し狭い通路を進んでいくと、奥に広い空間が見えた。あそこが、動力炉のある場所か。
「うわあ……」
目の前に広がる光景に、思わずティザーベルの口から声が漏れる。
彼女の目の前には、大きな台座の上に置かれた、これまた大きな水晶球があった。
「これが、動力炉?」
「そうよ。これを起動すれば、都市の全てに動力を供給する事が出来て、都市機能を再起動出来るの」
そう言ったパスティカは、ウキウキした様子だ。余程都市を再起動出来るのが嬉しいらしい。
彼女はこの都市の為に作られた存在だから、嬉しいのは当たり前か。
「それで? 私は何をすればいいの?」
「魔力供給してちょうだい。面倒な手続きは全て私がやるから。供給も、繋がっている私がやるから、あなたは動力炉の再起動を承諾するだけ」
パスティカは、動力炉の前まで飛んで、今までは違う声音で問うてきた。
「都市の所有者は、動力炉の再起動に同意しますか?」
少し、予備機能の音声を思い出す。こういう面は「作り物」ぽいのだな思わされた。
ティザーベルは、パスティカを見ながら答える。
「同意します」
「同意を確認しました。これより、動力炉の再起動に入ります」
天井付近まで飛ぶパスティカを見ていたティザーベルの足下が光る。視線を下ろすと、床一杯に紋様のようなものが光として浮かび上がっていた。
「そんな!! どうして――」
パスティカの声が聞こえたのを最後に、ティザーベルの意識は途切れた。
◆◆◆◆
穏やかな夕暮れ。いつものように子供達が遊びから家に帰ろうとしていたちょうどその時、波打ち際に何かがあるのを見つけた。
「あれ、何?」
「何だろう?」
「待て!」
幼い子供達が不思議がる中、年かさの子供が近寄ろうとする小さい子達を止めた。彼にはあれが、浜に打ち上げられた人だというのがわかったのだ。
「行くぞ!」
「でも――」
「大人を呼ばなきゃダメだ!!」
そう怒鳴ると、彼は小さい子供達を連れて家へと走った。途中、彼等を家に送り届ける事は忘れない。お互いの家は隣り合っているので、たいした手間ではない。
勢い込んで家に入ると、母親がいつものように夕飯の仕度をしている。
「母ちゃん!! 浜! 人!」
「ええ? 何だい帰ってくるなり。浜に人がいるのかい?」
「じゃなくて!」
慌てすぎて、うまく説明出来ない。そんな時、背後に人が立った。
「おお、どうしたぼうず。そんなに慌てて」
「父ちゃん! 浜! 来て!!」
彼は、説明するより連れて行った方が早いと判断し、父親の手を取るとぐいぐい引っ張っていく。父親の方も「おいおい」と笑いながらもついてきてくれた。
「あそこ!!」
「あれは!」
夕暮れの赤い光の中、小さな浜辺には倒れている人影があった。父親が近寄って見ると、息はある。
「生きてる……おい! 家に帰って、母さんに知らせろ! 人が浜に打ち上げられたって」
「わ、わかった!」
彼は再び、家へと全力疾走した。残された父親が倒れている人物、見たところ若い女性を抱き起こすと、軽いうめき声を上げた。その顔を見て、父親は愕然とする。
「これは……」
この辺りでは見ない、白い肌、薄い茶色の髪、懐かしい服装は、父親の郷愁を誘う。
父親は彼女を抱き上げると、家へと運ぶ。抱き上げた時に力なくたれた彼女の右手の甲には、奇妙な紋様が刻まれていた。
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