百十九 隠居所の生活

 ネーダロス卿の隠居所は、大変居心地が良かった。心配していたような使用人からの蔑みなどは一切なく、必要な時に必要な手を貸してくれる、まさに行き届いたホスピタリティだ。


「居心地良すぎて怖い……」

「え? 何が?」


 ティザーベルの呟きに、クイトが尋ねてくる。


「ここの居心地良さに慣れちゃったら、下宿屋に戻れないかもって思ってさ」

「ああ、人間、楽に慣れるとどこまでも墜ちていくよね……」

「まあね」


 そんな会話をしているのは、隠居所にある簡易の工房だ。聞けばネーダロス卿は魔法関連の重要職に就いているだけでなく、本人自身が非常に優秀な魔法士だったという。


 なので、隠居所にも工房を作り、気が向いた時に気が向いたものを作るらしい。ちなみに、クイトもここをよく借りるそうだ。


 その工房で、例の魔力結晶の勉強を続けている。この屋敷に滞在し始めて早くも一ヶ月。クイトに本の講義をしてもらっているせいか、魔力結晶の何たるかを、彼女は理解し始めていた。


 魔力結晶も魔法道具と言われる所以は、魔力結晶の核に術式回路を記述するところにある。当然微細な回路なので、これを記述出来る技術者も少ない。クイトからの情報だ。


「単純に、細かい作業が苦手って魔法士は多いからね。ただ、君や俺みたいに魔力量そのものが多いと、割と力業で出来ちゃう面があるからさ」

「術式回路を力業でどうにかするって……」

「出来るでしょ? でっかく書いた回路を、縮小コピーするだけなんだから」

「あー……なんかわかった」


 それで力業という訳か。魔法の術式は、魔力で縮小拡大する事が出来る。術式回路も術式と同じものなので、魔力で縮小拡大が出来る訳だ。


 ただし、使用する魔力量はかなり多いので、通常ではそんな事はしない。最初から細かな回路を記述すればいいのだから。


 魔力結晶の要はこの術式回路かと思っていたが、さすがは帝国が技術を独占するだけはある。もう二つも要があった。


 まずは素材。ただの結晶かと思いきや、厳選された鉱物が使われている。しかも宝石になり得るものばかり。どうりで大きな魔力結晶の値段が上がる訳だ。


 その分小さな魔力結晶に使われているのは、そうした大きな鉱物を切り出した際に出る屑石を使用しているらしい。


 以前はそのまま廃棄していたそうだが、六代前の皇帝の御代に現れた皇宮付き魔法士が提言し、また実用に至る技術を開発した為極小の魔力結晶として利用されるようになったんだとか。エコな事だ。


 次が核。結晶の中に埋め込まれた核に、魔力を保存する為の術式回路が刻まれている。周囲の鉱物部分は、魔力を貯める為の場に過ぎない。


「つまり、核がなければただの石、と」

「高額なものには宝石としての価値があるけどね」


 宝石に価値を見いだすのは、貴婦人と商人だけでいい。ティザーベルとしては、是非とも効率のいい鉱物を見つけてきて、なるべくコストを下げた魔力結晶を作成したいものだ。


「鉱物の採取って、許可がいるよね?」


 唐突なティザーベルからの問いに、クイトは嫌な顔一つせずに答えてくれる。


「そりゃいるよ。国が持ってる鉱山なら国の、地方領主が持ってる鉱山ならその領主のかな。まあ、大体は特産になるので許可は下りないけど」

「……ご隠居の威光を使っても駄目?」

「さすがに無理じゃないかなー。なるべく安く手に入れたければ、産地まで行って買い付けてくるのが一番だよ。それでも割安になる程度だけど」

「どうにか、自分の労力のみで手に入れられないかなあ……」


 買うと高いし、と続けたところで、クイトからの視線を感じる。


「何?」

「今回の依頼料で、望みの石は買えるんじゃない?」

「何言ってんの。今懐温かくても、いつ冷えるかわからないのが冒険者稼業なのよ。お金はいくらあっても困らないんだから」

「あ、そう……」


 それに、本当にあの依頼料で自分の望む石が買えるかどうかは謎だ。全ての術式を魔力結晶に貯めた魔力のみで動かす為には、相当大きなものを用意しなくてはならない。


 ――あ、いっそ並列に繋いで使うってのはどうだ?


 果たして複数個の大型魔力結晶を繋いで使えるかどうかは謎だが。もっとも、香辛料都市メドーで見た古い魔法道具にはそれらしきものがあったのだから、技術的に出来ない訳ではないと思う。


 そうと決まれば、早速繋いで使う技術を探さねば。


「ちょっと書庫に行ってくる!」

「行ってらっしゃい」


 クイトもティザーベルに慣れたのか、彼女が急に行動を起こしても驚かなくなってきた。




 ネーダロス卿の隠居所には広い書庫があり、本人の意向か魔法に関する書籍が多数置いてある。


 ここに滞在する際に、家主から好きに読んでいいと許可をもらっているので、片っ端から読んでいた。


 それでも蔵書の全てを把握出来ている訳ではない。ここで便利なのが検索機能を持った魔法道具だ。ネーダロス卿のお手製だという。


 四角く成形した水晶版に、文字を浮かび上がらせる仕掛けで、タッチパネルにもなっている。


「こういうところに、前世日本人ってのを感じるなあ」


 便利さを追求する人種とでもいうのか。なければ作ればいいの精神は、転生した今でも自分の中に残っている。ネーダロス卿もそうなのではなかろうか。


 蔵書は全てこの検索道具に登録してあると聞いたので、早速検索をかけてみる。


「うーんと、魔力結晶……随分出てくるね。絞り込みで……何て入れればいいんだ?」


 悩んだ末、思いつく単語を片っ端から入力してみた。出てきた結果は、ゼロ。


「マジか……」


 少なくとも、ティザーベルが望む技術を記載した本が、この書庫にはないらしい。


 しばらく考え込んだ後、ないなら他のものを探す事にした。知りたい事は山程ある。そして目の前には知識の宝庫があるのだ。


「んーと……あ、飛行に関する術式がいいか」


 浮遊の術式はあるけれど、未だに飛行の術式にお目にかかった事はない。


 浮遊と飛行の違いは、高度と速度にある。浮遊は接地面からの高度が約十センチ程度と低く、またその術式だけでは移動する事はない。あくまで浮かせるだけなのだ。


 それでも、別の術式と合わせる事で浮いたまま移動する事は可能だった。ティザーベルが作る水陸両用車にも、採用予定の技術である。


 飛行の術式は、高高度まで飛翔し、かつ単体で移動可能な術式を指すらしい。魔法関連の本に理論だけは記載されていた。


 技術的に確立されているものなのかは疑問だが、これだけの蔵書があればもっと進んだ理論が見つかるかも知れない。


 結果はまたしても惨敗。どうにも今日の検索はうまくいかないようだ。


「仕方ない。空間拡張と亜空間関連の本でも読んでようっと」


 これらは移動倉庫の術式確立と、制作予定の水陸両用車に採用する為、きちんと理解しておく必要がある。


 亜空間の方は大分理解が進んでいて、後少しで効率のいい移動倉庫が作れそうだ。空間拡張の方も、以前に比べれば大分進んでいる。


 どちらも触媒に必要な素材が高価だというデメリットはあるものの、必要なものなので帝国中を駆けずり回っても入手しなければ。


 水陸両用車が完成すれば、一番コストがかかる交通費を浮かせる事が出来るのに、それを作る為に交通費をかけてあちこちに行かなければならないとは。本末転倒とはこの事か。


 幸い、どちらも既に確立されている技術だったので、今回の検索はうまくいった。ただし、見つかった冊数には驚かされたが。


「六十冊……」


 画面に出てきた数に一瞬魂が抜けかけたけれど、どうせ次の依頼がいつになるかはわからないのだ、片っ端から読めばいい。


 ティザーベルは示された棚に向かった。

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