百十八 奥地の魔力 二

 一行はそのまま船着き場に戻り、その日のうちにラザトークスを後にした。とんだ弾丸ツアーである。


 といっても、船に乗ってしまえば寝ているうちに帝都に着く。あのまま街に残ったところで、不快な思いしかしないとわかっているのだから、とっとと帝都に帰る方がいい。


 そのまま来た時同様二日で帝都に戻る。船を下りると、船着き場にクイトが待っていた。


「お帰りー。早かったね」

「ただいまー。何であんたがここにいるの?」

「何でって、出迎えに来たんじゃないか。じいさんに頼まれてさー。このまま、街中の水路であそこに行こうよ」


 どうやら、船に乗った時点で帝都への連絡が入れられていたらしい。どのみち依頼品を届けにいかなくてはならないし、あの屋敷には水路で行ったので歩いて到達出来るとも思えないので迎えはありがたかった。


「ありがとう。助かったわ」

「あの屋敷、歩いて行くと大変だからさ」

「……どう大変かは、聞かない事にする」


 貴族の屋敷が建ち並ぶエリアは、一般人立ち入り禁止くらいになっているかもしれない。


 クイトに先導されて船を乗り換え、帝都の中を走る運河を行く。街と街を繋ぐ水路程ではないが、ここも人や物資を運ぶ為に整備されているので結構な幅があった。


 帝都の運河を東へと進む。ネーダロス卿の屋敷は帝都の極東地域にあるので、ラザトークスから伸びる七号水路の船着き場がある西地区からは大分距離がある。


 確かに、これだけの距離を歩くと大変だ。帝都は大きく、今も西側に大きくなっている最中なのだとか。


 運河を進む事しばし。見覚えのある船着き場に到着した。ネーダロス卿の隠居所直結の船着き場だ。


 そこから下りて、立派な武家屋敷である隠居所に入る。さすがに今回はあの大広間ではなく、その後に案内されたこぢんまりした部屋に通された。


 部屋には、既にネーダロス卿が待っている。


「おお! 無事に戻ったか!」


 嬉しそうなネーダロス卿に、少し引きそうになった。


「ささ、入りなさい。それで、例のものはどうなった?」

「……お預かりしたものは、こちらです」


 ティザーベルは、移動倉庫からメナシソラウオのひれを加工した板が入った箱を出す。


 テーブルの上に置かれたそれを、ネーダロス卿はひったくるようにして手に取った。箱を開けて中身を見た彼の表情は、待ち望んでいた宝物を見た子供のようである。


「おお、おお! これだ、これだよ!」


 その興奮ぶりは、傍目から見るとかなり危ないものに見えた。


 ――いい年したじいさんが、色の変わった魔物のひれを見て狂喜するとか……


 先程の比ではない程のドン引きぶりだ。ネーダロス卿の隣に座ったクイトも、呆れた様子である。


「ちょっとじいさん、気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着きなよ。もういい年なんだから」

「年など関係ないだろう! 見ろ、この色を! おお……やはり、あの場所は違うんだ……」

「わかった、わかったから! それ以上は研究所でやろう、な! まずは彼等に依頼料を払わないと!」


 クイトの言葉で理性が戻ったのか、ネーダロス卿がはっとして顔を上げた。


「これは、私とした事が。とんだ醜態を見せてしまったね」

「いえ……」


 さすがに肯定も否定も出来ない。口ごもるティザーベル達に何も言わず、ネーダロス卿は手を叩いて使用人を呼んだ。


「例のものを」

「はい」


 使用人は短いやり取りだけで部屋を後にし、すぐに別の使用人が飲み物の仕度を持って入ってきた。


 出されたものはコーヒーである。帝都の気候から考えて、もう少し南なら自生していても不思議はないと思っていたが、既に飲料用にしていたとは。


「君には懐かしい味ではないかな? そちらの二人も、豆茶といえばわかるかい?」

「そりゃ、まあ……」


 レモが苦い顔でいる隣で、ヤードも眉間にしわを寄せていた。


「二人とも、コーヒー嫌い?」

「どうにも、この色がな」


 嫌そうな顔でコーヒーの入ったカップを指さすヤードがおかしくて、つい笑いがこみ上げた。子供のように見えたのだ。


「じゃあ、ミルク入れれば?」

「みるく?」

「ああ、えーと、牛乳」

「獣の乳を飲むのか!?」


 ヤードだけでなく、レモも驚いていた。はて、帝国では牛乳どころか山羊ミルクや羊ミルクも飲めるのだが。もっとも、あれを日本人の感覚で牛や山羊、羊と言っていいのかは悩むところだ。


 牛はシンリンオオウシ程ではないが、かなりでかい。ホルスタインより二回りは大きいのではないか。当然この牛や山羊、羊は家畜化された元魔物だ。


「牛乳くらい普通に飲むでしょ? 店でも売ってるよ。コーヒーの苦みが嫌いな人は、砂糖とミルクを入れると飲みやすくなるから。色も変わるし」


 それでも、ヤード達は嫌そうに顔をしかめている。おいしいのに、と呟きながら、ティザーベルは使用人が追加で持ってきてくれたミルクと砂糖を入れた。


 もう少しミルクを多めに入れて、カフェオレにするのもいい。今度クイト辺りにコーヒー豆を融通してもらえないだろうか。


 そうこうしているうちに、最初の使用人が部屋に戻ってきた。手にした盆には、布がかけられている。


「さて、ではこちらが今回の依頼の報酬だよ」

「あれ? 依頼の報酬って、情報だったり助力だったりじゃなかったんですか?」

「それとは別に、ちゃんと依頼としての報酬だよ。情報と助力はまあ、おまけとでも思っておくといい」


 ティザーベルとしては、金の方がおまけなのだけれど。魔力結晶の作成方法など、普通ならいくら金を積んでも教えてもらえないのだから。


 テーブルに置かれた盆の上の布を取り払い、ネーダロス卿が三人の前に押し出す。

 盆の上には燦然と輝く金貨が乗っていた。


「いや待って! 行って帰ってくるだけで三千万とか、どういう事!?」

「命がけで行ってもらったんだ。これくらいは支払わないと」

「いやいやいや、交通費もそっち持ちだし、何なら滞在費もそれに含まれるのにこの金額!? おかしくね!?」


 思わずここがどこか、相手が誰かが頭から飛んでいる。椅子から立ち上がって叫ぶティザーベルを、ネーダロス卿は面白いものを見るような目で見ていた。


「はっはっは。金額が少ないと文句をいう相手は多く見てきたが、多い事に文句を言うとは恐れ入る」


 からからと笑うネーダロス卿に、やっと頭が冷えたティザーベルはばつが悪そうに腰を下ろす。何もここで激高する内容ではなかった。


 でも、やはり大森林とはいえ行って帰ってくるだけで三千万、それも一人頭の計算となると、もらいすぎと思ってしまう。


 それを口にすれば、ネーダロス卿にまたもや笑われた。


「本当に、君はあの森を正確に把握していないな。ラザトークスで生まれ育ったとは思えない程だよ」

「……どういう事ですか?」

「帝都にいてあの森に行く依頼を受ける冒険者というのは、余程の凄腕か余程の世間知らずかのどちらかだと言われている。それ程、危険な場所という事だ」


 そんな事を言われても、ピンとこない。本当に手前なら誰でも、何なら子供でも入るような森だ。それに、外縁部に至っては年中木こり達が木を切り倒している。


 ティザーベルも、手伝いが出来る年齢になってからは、森に木の実や果実、キノコ類を取りに入っていた。


 冒険者になってからも、一番近い狩り場だったので毎日入っていたのだし、今更「高額な報酬がもらえる程危険な場所」だと言われたところでうなずけるものではない。


 顔に「納得していない」とでも書いてあったのか、ネーダロス卿が苦笑している。


「ならば、これは次の依頼への手付けのようなものだとでも思いなさい」

「次の依頼?」

「もちろん、これだけで終わるとは思っていないだろう? 次の依頼を出すまで、今回採取してきてもらった魔力を調べなくてはならないから、待機していてほしい。これは、その補償のようなものだな」


 つまり、次の依頼を受けるまでは帝都で待機しておけという事か。生活費として一人頭三千万もぽんと出すとは。一体どれだけオダイカンサマを帝都に縛り付けておくつもりなのか。


「待ってる間、他の依頼は受けるなと?」

「そうなる。もっとも、君は依頼を受けている暇はないのではないかな?」

「へ?」

「クイト」


 ネーダロス卿に声をかけられたクイトは、何冊かの分厚い本をテーブルに置いた。今まで足下に置いていたらしい。


「これ、知りたがっていた魔力結晶に関する本」

「おお! これが!?」


 一挙に興奮度が上がった。何せ目の前には、知る事が出来ないと思っていた技術が詰まった本が置かれているのだ。


 ティザーベルは、自身が魔法士であるからか魔法が好きだ。便利だし、何より面白い。だからこそ、子供の頃から独学で覚えていったのだ。


 もちろん、魔法を使えれば生活が楽になるという面もある。だが、やはり好きでなければ上達はしなかったと思う。


 転生者の彼女にとって、魔法は夢だ。今はまだ開発に至っていないが、そのうち空を飛ぶ術式も開発したいと願っていた。


 一時など、生前航空力学を勉強しなかった事を悔やんだ程だ。その知識があれば、術式開発も少しは楽になったかもしれない。


 それはともかく、今は目の前の本だ。全部で五冊。その全てに、魔力結晶の技術解説が載っているという。


「実はこれ、外に出しちゃいけないものだから、読む時は悪いけどここまで来て」

「え?」


 クイトの申し訳なさそうな言葉に、思わず声が出る。彼の隣で、ネーダロス卿は鷹揚に笑った。


「何なら、しばらくここに滞在するかね?」

「え……」


 確かにここに通う手間は省けるけれど、自分の精神がもつかどうかがわからない。

 答えに迷っていると、意外なところから助け船が出た。


「いいんじゃねえか。ついでに、俺らも厄介になるか」

「え?」

「そうだな」

「ええ?」


 レモとヤードだ。彼等の言葉に、ネーダロス卿は頷いている。


「それがいい。何、私はしばらく例の魔力の件で屋敷を留守にするから、その間にはクイトと一緒に好きに使いなさい。使用人達にも伝えておこう」


 結局、ティザーベルの意見は聞かれずに、ネーダロス卿の隠居所に居候する事が決定してしまった。


 しかもティザーベルの下宿屋には、屋敷の者が知らせに行くのでこのまま滞在するといいと勧められる始末である。


 ヤード達の荷物はいいのかと聞けば、元々あまり物を持たないようにしていて、定宿もギルドと提携している木賃宿に泊まっていたそうだ。


「大事な物は持ち歩けるようにしてあるんだよ」

「いつどこで何があるかわからないからな」


 レモとヤードの言葉に重みを感じるのは、彼等の過去を聞いてしまったからか。


 とにもかくにも、こうして奇妙な同居生活は始まった。

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