百十六 実験

 ティザーベル、セロア、菜々美の三人が異口同音で声を上げた後、一瞬室内は静まりかえったが、すぐにティザーベルが叫んだ。


「嘘でしょ!? 皇族? これが? ちょっと待ってよ! どこの世界に魔法薬や魔法道具に精通した皇子がいるのよ!!」

「いや、ここに――」

「あんたは黙っとれ! 大体、そんな身分の人間がほいほい街に降りてくんな! 庶民の迷惑だ!」

「酷い!」

「酷くない! 騙されたこっちの方が酷いって言いたいわ!」


 場所も状況も忘れて怒鳴るティザーベルの頭を冷やしたのは、ネーダロス卿の笑い声だった。


「はっはっは! 坊主にここまで言う人間がいるとは! いや、愉快愉快」

「ちょ! 愉快とか言ってないで、加勢してよ!」

「自業自得だ。身分を偽るなら最後まで偽り続けよ。それが出来ないなら、最初から明かしておけと、そう言っただろうが」

「う……」


 どうやら、クイトは事前にネーダロス卿から言われていたようだ。それにしては、身分を隠す素振りは見られなかったけれど。


 まさか、明言しなければ誤魔化せるともで思っていたのだろうか。


 ――まさかね。


 そこまで馬鹿ではあるまい。


「だって、聞かれなかったから、バレていないって思ったんだよ……」


 馬鹿だったらしい。頭を抱えたくなるのを必死で押さえ、どうしたものかと考える。


 さすがに皇子相手にこの先もあれこれ教えてもらう訳にはいかない。幸い魔法薬も魔法道具も、一通りのものは作れるようになった。この先は、自身のアイデアと創意工夫で何とかしていくしかない。


 技術関連も、うまくすればネーダロス卿経由で入手出来ないだろうか。その分借りが増えていくので、怖いといえば怖いが背に腹は代えられない。


 一人決意していると、ネーダロス卿の呆れた声が聞こえる。


「相変わらず詰めの甘い……そんな風に育てた覚えはないのだけれどねえ」

「べ、別にじいちゃんに育てられた覚えはないよ」

「私はお前の養育係兼教育係だよ、まったく……亡き母君が草葉の陰で泣いているんじゃないのかい?」

「母さんの事を出すのは、卑怯だよ……」


 二人の言い合いは、ネーダロス卿の勝利に終わったらしい。


「さて、詰めの甘い坊主は放っておいて、本題に入ろうかの」


 ネーダロス卿の視線が、ティザーベルに向いた。


「先程も言ったが、こちらの条件を呑んでもらえれば、東側からの刺客も押さえるし、魔力結晶の作成方法も開示しよう。それに、君達の後見に私の名も連ねる。どうかね?」


 後見云々は置いておいても、刺客と作成方法に関してはぜひともお願いしたい。だが、その為にはネーダロス卿の依頼を受けなくてはならないのだ。


 レモが口を開く。


「……条件って、本当に大森林の奥地に行く事ですかい?」

「そうだ」


 ティザーベルの故郷、ラザトークスのすぐ東に広がるラザトークス大森林。マナハッド山脈の裾野から広がる広大な森林地帯で、豊富な資源と魔物であふれかえっている。


 そして、人々はこの大森林を「魔の森」と呼ぶのだ。入ったが最後、決して戻れない森。


 とはいえ、地元民はそれなりに入っているし、余所から来た冒険者達も入っては魔物や植物などを採取している。


 彼等が入るのは、手前と呼ばれる一番浅い区域だ。魔物や魔法植物もそこそこ生息している為、それなりに実入りがいい。


「嬢ちゃん、俺らで奥地とやらに入れると思うか?」

「難しい。奥地って、私でも入った事がない区域だし。あそこは、それこそ入ったが最後って言われてる」


 ティザーベルの返答に、レモが天井を仰ぎ見た。彼が考える時の癖である。


 レモもわかっているのだ。刺客を一掃するには、個人の能力ではどうにもならず、ネーダロス卿のような権力者の力を借りる必要があると。


 だからといって、あの魔の森の奥地へ行くのはどうかと思うけれど。


 そういえば、まだ奥地へ行って何をするのかを聞いていなかった。物にもよるが、奥地まで行かずとも中間の奥地よりで入手出来る素材もある。


「奥地で、何を取ってくるんですか?」


 ティザーベルの問いに、ネーダロス卿は部屋の隅に待機していた使用人に合図を送ってから答えた。


「採取ではないのだよ」

「え?」


 大森林に人をやって、採取をする訳ではないとは。では、一体何の為に自分達を危険極まりない森の奥へとやろうというのか。


 首を傾げていると、先程部屋を後にした使用人が戻ってきた。手には小さな木製の箱を持っている。


 彼女はそれをネーダロス卿に渡し、受け取った当人は蓋を開けてからテーブルの真ん中に置いた。


 箱の中にあるのは、箱より一回り小さい長方形をした物体だ。青黒く鈍い光沢をしていて、一見しただけではどういったものなのかわからない。


「これは?」


 テーブルの皆が覗き込んでいる中、レモが問うた。


「これは、ある希少素材を使って作った装置でね。これを持って奥地に行ってほしいんだ」

「どういう事で?」

「それはこれから説明するよ」


 ネーダロス卿は、悪戯が成功した子供のような目で、こちらを見ている。


「これはメナシソラウオと呼ばれる希少な魔物の胸びれを使って作ったものなんだ。メナシソラウオは、ソラウオの上位版のような存在だよ」


 ネーダロス卿の口から語られる名前に、大変覚えがある。聞き間違いでなければ、北の地ゲシインで罠に嵌められて落とされた地下にて大量採取した魔物だ。


 確かに帝都のギルド本部の引き取り所でも、珍しい魔物だとは言っていた。おかげで現金での引き取りではなく、オークションにかけられたのだから。


「いやあ、まさかこれが手に入るとはねえ。幻の魔物と言われているから、生きているうちに拝めるとは思わなかった」

「そんな貴重なもの、どこで手に入れたの?」

「先日行われたオークションだよ。たった一匹だったけれど、知っている人は知っているからね。入札額がどんどん上がっていったのは見物だった」


 そう言って笑うネーダロス卿に、ティザーベルは背中に嫌な汗が流れるのを感じていた。


 やはり、あれは彼女が引き取り所に預けたメナシソラウオの加工品らしい。そういえば、オークションに出した品の総額は聞いたけれど、内訳は聞いていなかった。


 ――もしかして、メナシソラウオが一番の高額商品だったかも?


 何せ生息地もよくわかっていないらしいから、狩りに行けない。行けたとしても、あの地底の暗闇の中では、普通の冒険者では難儀するだろう。


「これはね、その場の魔力を封じておける装置なんだよ」

「魔力を封じる?」

「そう。実は大森林の奥地に関して、一つの仮説を立てた人間がいる。その仮説では、奥地にある魔力は外のものとは異質なものだという事だ」

「異質……」

「さすがに私自身は行った事がないので、どう質が違うのかはわからないけれどね。君は、奥地までは行った事がないようだけれど」


 魔力が異質、という言葉を聞いて、実はティザーベルには思い当たる節がある。


 ラザトークス時代にも、シンリンオオウシを狩った事がある。あの時の個体は辺境ツアーの際に狩ったのより小ぶりだったが、あれを狩った場所は中間の奥地よりだった。目指して入り込んだのではなく、気づいたら足を踏み入れてしまっていたのだ。


 あの場の異様さは、今でも覚えている。なんともいえない感覚と共に、普段傍に感じていたものを感じられない、不安感もあった。


 おそらく、あの場で感じたものが「魔力の異質さ」なのだろう。


「私の依頼はね、この装置に奥地の魔力を封じてきてほしいという事だよ」


 だから、採取ではないと言ったのか。とはいえ、これはある意味「魔力の採取」になるのでは。


 言葉遊びをする場でもないので、ティザーベルは口を閉じていた。


 ――ん? でも待って。おかしくない?


 メナシソラウオを出したのは、辺境ツアーから戻ってからだ。そして、大森林でメルキドンが全滅したのは、ツアー真っ最中の事である。


 では、例の匿名依頼はネーダロス卿が出したものではなかったのだろうか。


「あの、一つ聞いてもいいですか?」


 気になったので、確かめておく事にした。手を挙げて質問するティザーベルに、ネーダロス卿は鷹揚に返す。


「何かね?」

「以前、ギルドに匿名で大森林へ向かう依頼が出されたと聞きました。それを出したのは、ネーダロス卿ですか?」

「場を弁えたまえ」


 横から口を挟んだのは、インテリヤクザ様だ。ギルドの統括長官である彼にとって、匿名依頼の依頼主を特定するような行動は、見過ごせないらしい。


 だが、ネーダロス卿が手でインテリヤクザ様を制した。


「構わんよ、ゼノ。その答えは否だ。私ではない。だが、どの辺りが依頼主かは、心当たりがあるよ。私がやろうとしている事を嗅ぎつけて、先んじてやろうと焦った連中だ」


 おそらく、ネーダロス卿の頭の中には、具体的な顔と名前が浮かんでいる事だろう。なんとなく、彼の目が冷たく光った気がした。


「もっとも、彼等は私が奥地で何をしたいか、本当の意味ではわかっていないがね」

「……それは、聞いてもいい事ですか?」

「君が依頼を達成してくれたら、ぜひとも話したい内容だ。今はちょっとした実験をしたい、とだけ言っておこう」


 つまり、何が何でもテーブルの上に乗った小さな箱に、大森林奥地の異質な魔力を封じてこいという事か。


 まさか、ゲシインで仕入れた珍しい魔物素材が、巡り巡ってこんな状況を引き起こすとは。思わずテーブルの上の箱を見つめていると、ネーダロス卿の声が耳に入る。


「まだ言えないが、今回の依頼が完了すれば、きっと君の為にもなるだろう」

「え?」


 一体、どういう事なのか。問い返そうとしたが、ネーダロス卿は既に話題を次に進めていた。


「さて、今回の依頼を受けてくれれば、君達が抱えている問題を解決する手助けをしよう。ティザーベルさん、君には秘匿されている魔力結晶に関する技術の全ての開示を、レモディフット、君達には国を通じてあちら側に圧力をかける。何、東側は帝国からの輸入品でもっているようなところがあるからね。その辺りをちらつかせれば、向こうで内々に終わらせてくれるさ」


 今、さらりと怖い事を言わなかっただろうか。そろりとレモの顔を見ると、渋い表情のままだ。


 聞き流しそうになったけれど、ネーダロス卿はレモの事を「レモディフット」と呼んでいた。


 ――それが正式な名前なのかな。って事は、ヤードも正式名称があるんだろう。なにせおーじさまだし。


 どうにもあのがたいで王子と言われても、ピンとこない。イメージの中の王子様とは、童話に出てくる綺麗な存在だ。泥まみれ傷だらけどっしり筋肉のついた広い肩幅の持ち主は、王子というより剣闘士のイメージだ。


「後見も、私が付いていれば彼女が魔法士部隊に取り込まれる事もない」

「え!?」


 意外な一言が続いて、思わず声が出た。魔法士部隊に取り込まれるとは、どういう事なのか。


 驚くティザーベルに、クイトが残念そうな顔をする。


「悲しいけどね、現実問題、君は現時点でかなり目立ってしまってる。もう部隊の連中が裏で動いてるんだ」

「何それ!? 聞いてない!」

「うん……」

「クイトは立場上言えない事も多いのだよ。許してやってくれないかい?」

「はあ……」


 一旦上がったボルテージも、ネーダロス卿にそう言われては爆発させる訳にもいかない。


 クイトはひたすら申し訳なさそうに縮こまっている。


「魔法士部隊の事は、聞いた事はあるかね?」


「えーと、帝都に出てくる時にオテロップで不正事件に巻き込まれた際、小耳に挟んだ記憶が……」


 確か、貴族出身の魔法士が幅を利かせていて、平民出身の魔法士達から搾取しているとかなんとか。そういえば、それを教えてくれたのはヤード達だったか。今思えば、彼等のあの情報源は、目の前のネーダロス卿だったのだろう。


 魔法士部隊の再編自体は、外に出しても問題ない内容だったと思われる。でなければ、いくらよしみがあるとはいえ元東側の王侯貴族で現冒険者の二人に話す訳がない。


「知っているのなら話は早い。彼等は未だに選民意識をなくそうとしていなくてね。君の事も『平民の冒険者ならば、力尽くで連れてくればいい』と言っていたそうだよ。全く、連中は反省という言葉を知らんようだ」


 ネーダロス卿が重い溜息を吐いた。彼にとっても、魔法士部隊の腐敗は頭の痛い問題らしい。


「とにかく、私が後見に就く事で、彼等の暴走を抑えられる。ヤサグラン侯ともよしみを結んでいるようだが、彼は軍には顔が利くけれど、魔法士部隊にはさっぱりだからね」


 別段、ヤサグラン侯ともそんなに繋がりがある訳ではないのだけれど。


 でも、これでネーダロス卿のバックアップの恩恵がわかった。いい事があるというよりは、悪い事を排除出来るという訳だ。お札のようなものだろうか。


「さて、こちらの条件は全て出した。君達の答えを聞かせてもらおうか」


 ネーダロス卿に問われて、ティザーベルはちらりとヤード達を見る。かすかに頷いたのを確認して、ネーダロス卿に向き直った。


「その依頼、承ります」

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