百十三 二人の事情

 ネーダロス卿の屋敷は見た目に違わず、中身は純和風の造りをしている。とはいえ、さすがは元侯爵の屋敷、渡り廊下で繋がった離れには、帝国風の部屋も用意されていた。


 通された離れの部屋に入って腰を下ろしたはいいが、ティザーベルもレモ達も、黙り込んだままだ。重い沈黙が苦しい。


 それに耐えられず、先に口を開いたのはティザーベルだ。


「えーと、話したくないなら、無理に聞かないから」


 向こうが話したなら、こちらの事情も話さざるを得ない。それを避けたいが為の、下心つきの意見だった。


 彼女の言葉を聞いた二人は、一瞬目を見交わすけれど、すぐに二人して深い溜息を吐く。


「いや、話したくないってえ訳じゃねえんだよ。ただなあ……」

「それでも」


 レモの言葉に続けて、珍しくヤードが自己主張した。


「話すべきだ。いや、もっと前に話しておくべきだったんだ」

「ヤード……」

「実際、俺たちの過去が原因で、おま……ティザーベルにも迷惑をかけたというし」


 お前と言いかけた際に、ティザーベルから睨まれたヤードは慌てて名前に切り替えて続ける。


 何度言えば「お前」と言われるのは嫌だと覚えるのか、と思わないでもないが、今はよしとしておこう。


「迷惑と言っても、実害はなかったからねえ。ネーダロス卿が守ってくれたみたいだし。それに、普通の攻撃ならまず効かないしさ」


 半分本当で、半分嘘だ。ネーダロス卿が守ってくれた事に関しては、正直後が怖い。これを貸しとして何を要求されるのかがわからないからだ。


 それに、帝都では気を抜いて結界を張る習慣が鈍っている。もし遠距離で魔法攻撃されていたらと思うと、肝が冷えた。それをここで正直に言うのは、気が引ける。


 ことさら軽く言ったつもりだが、二人は沈痛な面持ちのままだった。やがて、レモが深い溜息を吐いてから口を開く。


「まあ、言えねえ訳じゃねえしな。何聞いても、嬢ちゃんなら驚かねえだろうし」


 そう前置いてから話し始めたレモの昔語りは、なかなかに壮絶なものだった。



◆◆◆◆



 俺とヤードは、出身が東側なんだ。そう、あの魔の森の奥にそびえるマナハッド山脈の向こう側だよ。


 あっちは小国がお互いの領土を巡って戦争ばっかりしていてな、どこの国もひでえもんだった。


 俺達の国も、そんな小国の一つでユラクット王国という。もっとも、もうないはずの国だけどよ。


 何でないかって? とっくの昔に周辺諸国に滅ぼされたからな。別にそれをどうこう思っちゃねえよ。俺は、ユラクットが滅ぶのに、間接的にとはいえ手を貸した側だからな。


 ……それに関しちゃ、これから話す。聞いていて気分のいい話じゃねえが、まあ、よくある話でもあるから、話の種にでも聞いておいてくれ。


 俺はユラクットの貴族の家に生まれた。……おい、何だよその顔は。これでも、国じゃあちょっとは名の知れた家の出なんだぞ。


 もっとも、知れてる理由はろくなもんじゃなかったがな。俺の家は、代々国王から直で請け負う暗殺を生業とした家だったんだ。


 家に生まれた子供は、ガキの頃から人を殺す手段をたたき込まれる。これは男でも、女でもだ。


 俺には年の離れた腹違いの姉がいた。姉の生母って人は、綺麗な人だったらしいが、体の弱い人だったそうで、姉を産んですぐに亡くなったらしい。


 姉はその生母似で、弟の俺から見てもそりゃあ綺麗な人だった。その姉が、いつしか時の国王に見初められてな。後宮入りする事になったんだよ。


 家の者も周囲も、そりゃ反対した。なにせ家格はあっても暗殺者の家系だ。表向きは武門の家として通ってはいたが、上流社会にいる人間なら誰でも知っている。


 それでも、国王は自分の意見を曲げなかった。結局周囲が折れたよ。鬼のような親父が、あん時だけは泣いてたな。


 俺にゃあ、親父の涙が理解出来なかった。確かに姉が家からいなくなりはするが、別に一生会えなくなる訳じゃあるまいにってな。


 でも、親父の涙の理由はすぐにわかったよ。


 後宮ってところは、実の親兄弟でも簡単に入れない場所でな。面会の申請を出して許可を得なけりゃ会いにも行けなかった。


 それだけじゃねえ。子供の俺とは違って、親父にゃ姉が幸せにはなれないってわかっていたんだろう。だから最後まで反対したんだ。


 姉は、国王からの寵愛深い寵姫って事で、後宮でも一番の部屋に住んでいた。当時、国王には国内貴族から娶った王妃も側室もいてな。そこに新参者で入った下位の側室が国王から寵愛される。


 何が起こるかは、嬢ちゃんもわかるよな? 女の嫉妬は恐ろしい。しかも彼女達の背後には、権力を持った実家が控えている。奴らはさらなる力を欲し、しのぎを削って娘を後宮に入れている。


 そんな連中が、自分達の権力を脅かす存在を、許すはずがねえよ。


 とはいえ、国王の手前もある。そんなあからさまな行動には出なかったから、なんとか保てていたんだ。


 姉も暗殺家業の家の出だ、それなりの教育は受けている。そして、後宮で一番使われる「武器」は毒で、姉はその扱いに長けていた。


 無論、後宮入りする際にうちから付けた一族の側仕えがいたからな。うちの一族は、男なら武芸全般、女ならまず毒を仕込む。おかげで、後宮入りしてからの八年間、姉は無事に過ごす事が出来たよ。


 潮目が変わったのは、後宮入りしてから二年後の事だ。姉に子が出来た。しかも後継者たり得る男児だ。それがここにいるヤードだよ。


 そんなに驚く事か? まあ、普段は叔父甥の間柄だなんて言い回っちゃいねえから、驚かれても仕方ねえ。


 ヤードが生まれてからは、攻撃の頻度が上がったと知らせが来た。前にも言ったが、いくら肉親といえども後宮に入った寵姫にはそうそう会えない。


 親父は手を尽くして面会の申請をし、やっと許可されたのはヤードが三歳なってからだ。面会には俺も同行したよ。


 その際に、ヤードだけでも何とか救いたいと姉が親父に言っていたのを覚えてる。それくらい、危険が迫っていたんだろうよ。


 これが姫なら話は簡単だ。何かの理由を付けて、生母の実家で養育するなんて話はよくあるから。


 だが、王子となると話はややこしくなる。しかも国王ご寵愛の寵姫が生んだ男児だ。


 当時、国王には王妃と上位の側室二人との間にそれぞれ一人ずつ計三人の男児がいた。


 だが、皮肉な事に王妃腹の男児は病弱、上位側室が産んだ男児二人も問題を抱えていたらしい。


 ヤードは生まれて間もないとはいえ、何の問題もない男児だ。後宮から引き取るのは難しい。


 それでも、この時点で親父は姉を後宮から引き取る算段を付けたんだと思う。それから水面下でずっと行動を起こしていたんだがな。


 ……ああ、いや。別に疲れた訳じゃねえよ。大丈夫だ。


 親父だがな、何が悪かったのか、姉貴を後宮から連れ戻すよう動き始めてから一年も経たねえうちに死んだんだ。


 まあ、元々が暗殺者の家系だからな。どこでどんな恨みを買っていたかなんて、それこそ思い当たる節があり過ぎるくらいだが。


 夜に出かけてそのまま、帰らなかった。見つかった時には全身滅多刺しでな。色々言われたもんだぜ。


 その後、家督を継いだ俺は親父の遺志を継いで、姉を後宮から連れ戻すべく行動を起こした。


 既に親父がある程度道筋を付けてくれていたから、問題なく動けたんだが、なんと言っても面倒なのが国王でな。


 逆に王妃の実家や他の側室の実家なんぞは、姉を後宮から追い出したい一心でこっちに協力を約束したってのに。


 何せ出産の際の里下がりですら嫌がってさせなかったんだぜ。


 そんな中、とうとうしびれを切らした連中が飛んでもない行動に出やがった。まだ幼いヤードを誘拐して姉を呼び出したんだ。


 姉の側仕えから連絡を受けた俺が駆けつけた時には、もう遅かった。姉はヤードを人質に取られ、こいつの目の前で毒を飲むよう仕向けられたんだ。

 毒の扱いに長けた人に、わざわざ自分で飲めと脅したんだぜ? しかも、飲まなきゃ子供を殺すと脅してな。どのみち、姉を殺した後にヤードも殺すつもりだったくせに。


 その場にいたのは、王妃と側室計七人、それにそいつらの父親や兄、弟が勢揃いだった。


 だから、後始末は楽だったよ。こっちは一族の中でも手練れを連れていったからな。


 あいつら、身分が高い自分達は、卑しい暗殺者の手にはかからないと本気で思っていたよ。馬鹿が。王家が今までどれだけ貴族の当主を暗殺させてきたと思ってるんだ。自分の伯父や兄、弟や従兄弟まで手にかけた国王もいるってのにな。


 その場にいた全員を始末した後、俺は王宮へ向かった。元凶も始末するべきだと思ったからだ。


 もちろん、国王だよ。姉を寵愛するのはいい。だが、奴は後宮政治というものを軽んじすぎた。姉が大事なら、もっとうまく立ち回らなきゃいけなかったんだ。その事を、親父も姉も口を酸っぱくして言い聞かせていたってのによ。


 結局、そのしわ寄せは姉一人にいった。危うくヤードまで殺されるところだったんだ。もしかしたら、親父の死にも連中が関わっているかもしれねえが、親父の場合はそれまでのものが返ってきただけって部分もあるから、恨みはねえよ。


 だが、姉とヤードは違う。ヤードはもちろん、姉も人を殺した事はない。その姉が、国王の寵愛を受けたというだけで殺されるのは納得出来なかったんだよ。


 姉の姿が見えない後宮で、半狂乱でその姿を探していた国王を刺し殺した。その後は、自宅に火をかけて都を出て、姉の亡骸を隠れ里の墓に埋葬し、そのままヤードを抱えて帝国に出てきたんだ。


 昔、さっきのご隠居がまだ現役だった頃、ユラクットに親善大使として来た事があってな。妙にうちの親父と馬が合った。


 帰り際、何か困った事があったらいつでも頼ってこいって言われて、紋章入りのナイフをもらったんだよ。それで、そいつを持って国を捨て、ご隠居を頼ったって訳だ。


 今となっちゃ、いくら弱っていたとはいえ、とんでもねえ御仁を頼ったもんだと後悔してばかりだがな。

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