百十一 条件

 大広間には、現在六人の男女がいる。屋敷の持ち主であるネーダロス卿、ギルド統括長官でもあるメラック子爵、ティザーベルの魔法薬及び魔法道具の師であるクイト、ギルドの職員であり情報共有システムの構築を提案したセロア、おそらく日本から何らかの原因で迷い込んだ藤沢菜々美。


 そして、冒険者をしている魔法士のティザーベル、この六人である。


 あの後、菜々美に言われたからか、ザハーは渋々ながらも大広間を後にした。菜々美はけろっとした様子でティザーベルの隣に座ってキョロキョロと広間内を見回している。


「菜々美ちゃん、さっき、ゴーゼさんも一緒とかなんとか、言ってなかった?」

「一緒ですよ。ザハーさんがどうしても、って言ってついてきてもらったんです。本当はゴーゼさんと一緒にザハーさんも別室にって案内の人に言われたんですけど、強引にここまで来たんですよ」


 過保護ここに極まれり。とはいえ、ザハーはこの国での貴族の怖さを知っているからこそ、同行しようとしたのだろう。


 その怖さを持つ貴族のネーダロス卿は、先程とは打って変わってにこやかな好々爺然とした態度でいる。


「さて、やっと話が出来る。お嬢さん、怖がらせてしまって、すまなかったね」

「いえ、大丈夫です」

「そうか」


 菜々美の元気な返答に、ネーダロス卿はからからと笑った。日本人としての感性しかない菜々美では、いくら貴族は怖いと言っても、理解は出来ないだろう。


 ティザーベルだって、肌身で感じなければわからなかったと思う。幸い、本当に怖い目に遭った事はまだないのだけれど。


 ――権力者ってのは、遠くで見ているに限るよな……


 その権力者……元権力者と言った方がいいのか、ネーダロス卿は脇息から体を起こした。


「さて、改めて自己紹介をしておこうか。私は今の名をネーダロスという。前のペジトアン侯爵で、現在は無位の隠居だ。そして」


 一旦言葉を切ったネーダロス卿が、ティザーベル達を見据える。


「前世での名は、渡辺守わたなべまもるという。転生者というやつだな」


 そうだろうとは思っていたが、目の前ではっきり言われるとやはりそれなりに衝撃があるものだ。しかも、ネーダロス卿は前世の名前も覚えているらしい。


 セロアに確かめた事はないが、ティザーベルは前世日本人だった記憶はあっても、自分の名前や家族、どのようにして死んだかは覚えていないのだ。


 記憶も割と穴が開いている。それでも、どんな家に住んでいてどんな生活を送っていたかは覚えていた。


 ネーダロス卿は、視線でメラック子爵を示す。


「こちらにいるギルドの統括長官、メラック子爵ゼノストも、同じだ」

「私は名前まで覚えてはいませんよ」


 むすっとした様子でそう答える子爵に、同じなのかとちょっとシンパシーを覚える。


 隣を見ると、セロアの視線がこの子爵に釘付けだ。そう言えば、彼女は眼鏡がどうとか言っていなかったか。


 確かめようかと思っていたら、ネーダロス卿がクイトの事にも触れた。


「そしてこちらにいる彼も、同じく前世日本人の記憶を持っている。君らと同じだな」


 楽しそうな卿の視線は、ティザーベル達に向けられている。それはそうだ、菜々美は一目で日本人とわかる外見をしている。ティザーベルとセロアは、典型的な帝国人の容貌だ。


 これでこの場にいるのは、転生者と転移者、そして全て日本人の知識持ちと決定した。帝国の大きさを考えればなくはない数なのか、それともものすごい確率での出会いなのか。


 ――……いやいやいや、どう考えても後者でしょ!


 つい、近場でセロアという存在を見つけてしまったせいか、探せば他にも日本からの転生者がいるかも、と思っていたが、よく考えればセロアが見つかった事すら奇跡に近い。


 よしんば転生していたとしても、前世の記憶を持っていない事だってあるだろう。


 日本人としての記憶を持ち、かつそれを隠してはいても結果的にカミングアウト出来たセロアの存在は、やはり貴重なのだ。


 それにしても、インテリヤクザ様の時は爵位と肩書きを言ったのに、どうしてクイトの時は何も言わないのか。


 ――聞いちゃいけない何かがあるとかかな……


 どのみち、この場で聞くなど出来ないが。いくら楽にしていいと言われていても、身分差がある以上下手な事は出来ない。


「ところで」


 ネーダロス卿は、笑顔を崩さず聞いてきた。


「そちらのお嬢さんは、彼女達が転生者だと聞いても、特に驚いた様子を見せないね。知っていたのかな?」

「え? あ、はい」


 菜々美は素直に答えている。特にそれがまずい訳ではないけれど、何故かティザーベルの背筋に冷たいものが流れた。


「ふむ。あなたは見たところ、転生ではなく転移してきたようだが、違っているかね?」

「い、いいえ。その通りです」

「どうしてこちらに来たか、覚えているかい?」

「いいえ……学校からの帰り道、歩いていて気づいたらこっちに来ていたんです。その時、通りがかったザハーさんに、拾ってもらいました」

「そうか……」


 菜々美の回答を聞いて、ネーダロス卿は考え込んでいる。ティザーベルは、ちらりとクイトとインテリヤクザ様を見た。


 彼等とネーダロス卿の繋がりが、今ひとつわからない。彼等もまた、転生者を身近で探した結果、知り合ったのだろうか。


 ――……ないな。大体、そんな事するメリットって何よ?


 自分の事をすっかり棚に上げて、ティザーベルは自分の考えを否定した。でも、だとすると彼等はいつ、お互いにカミングアウトしたのだろう。


 らちもない事をつらつらと考えていたティザーベルの耳に、ネーダロス卿の言葉が届く。


「さて、今日ここに集まってもらった理由を、まだ言っていなかったね」

「転生者同士で顔合わせ、じゃないんですか?」


 セロアの直球な問いに、卿は苦笑いを浮かべた。


「それだけではないよ。そちらの彼女に、とある事を頼まれていてね。その条件を伝える場でもあるんだ」


 卿の目は、まっすぐティザーベルに向けられている。魔力結晶。その作成方法を教えてもらう代わりに、向こうの出す条件を受け入れなくてはならない。


 その前段階として、セロアを連れてここに来るというものがあった。まさか、待っていたのが武家屋敷で、そこにいるのが転生者ばかりとは思わなかったが。


 ――というか、インテリヤクザ様も転生者とはね……


 他にもあれこれびっくりする事がありすぎて、すっかりその事が頭から飛んでいた。彼なら、ギルドでオダイカンサマの名前を知る事も出来るだろうし、セロアの出した情報共有システムから前世の記憶を持っている可能性も考えられただろう。


 その結果がクイトを紹介する事に繋がっても、不思議はない。だが、最初いい人材がいないかと紹介を頼んだ相手はハドザイドなのだが。


 彼が丸投げしたのか、それともインテリヤクザ様が身分を振りかざして横取りしたのか。なんとなく前者な気がするのは何故だろう。


 どちらでも、今考える事ではない。ティザーベルも、ネーダロス卿を見つめ返した。


「君に、やってもらいたい事がある」

「……何でしょう?」

「ラザトークスの大森林、あの奥地へ行ってもらいたい」


 ティザーベルの背筋に、嫌なものが走る。故郷のあの森の、奥地へ行けと言うのか。何人もの冒険者が命を落とした、あの場所へ。


 では、匿名で怪しい依頼を出したのは、目の前に座るネーダロス卿だったのか。


 五人の視線が自分に集まっているのを感じる。ティザーベルが何と答えるのか、それを待っているのだ。


 答えようと口を開きかけたその時、大広間に闖入者があった。


「その話、詳しく聞かせちゃあもらえませんかねえ?」


 聞き慣れたその声に振り返ると、ここしばらく合っていなかった二人が立っている。ティザーベルの口から、彼等の名が漏れ出た。


「ヤード、おじさん……」


 広間の入り口に立っているのは、オダイカンサマのメンバー、ヤードとレモだ。ティザーベルは、無意識のうちに体に入っていた力が抜けていくのを感じていた。

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