百六 懐かしい顔
その日は、実にあっさりとやってきた。
「随分待たせてしまって、ごめんね。やっと諸々が整ったよ」
朝、いつものように工房で待ち合わせをしていたクイトは、来るなり真剣な表情でそう言う。
「……もしかして」
「うん。魔力結晶に関する資料を見せる条件、話すね」
その前に、と鍵を開けて二人で工房へと入った。入ってすぐ、クイトは扉のところで何かをしている。
「何やってるの?」
「うん、この工房の盗聴防止システムを起動させたんだ」
「……そんなの、あったの?」
「あるよ。大抵の魔法薬や魔法道具の工房には設えられているんだ。レシピは工房の命だからね」
知らなかった。今まではたいした事をやっていなかったので、そのシステムを起動させていなかったのだそうだ。
無論術式を使った代物なので、魔力を流す必要がある。先程起動させると同時に、必要な魔力を充填していたらしい。
――それにしても、本当、隠さないよねえ……
先程もごく自然に「システム」と口にしている。こちらのパーティー名からティザーベルが転生者だとはわかっているだろうから、彼女もここでは何も言わないのだ。
お互いに作業台の近くの定位置に座って、話はスタートした。
「実は、条件を話す前段階として、とある場所に来て欲しいんだ」
「とある場所?」
「それと、そこには君の友達も連れてきてくれって言われてて――」
「待って。それ言ってるの、誰?」
クイトの言葉を遮って、確認する。ティザーベルの友達といえば、同じ下宿のザミや彼女の仲間のシャキトゼリナもいるが、やはり一番に名前が挙がるのはセロアだろう。
ギルドでは繋がりを隠していないから関係性を知られているとは思うけれど、何故ここで彼女の事が出てくるのか。
ティザーベルの追求に、クイトはしどろもどろだ。
「ええと、今回の話の中心にいる人で……」
「で? 誰?」
「その、僕も昔から世話になってるんだけど……」
「だから、誰?」
どうあっても誤魔化せないと悟ったのか、クイトはがっくりと肩を落とした。
「前ペジトアン侯爵ネーダロス卿だよ」
「はあ!?」
またとんでもない地位の人が出てきたものだ。いくら隠居した身とはいえ、本来侯爵位にいる人物に庶民が会うなどある事ではない。しかも、ティザーベルは冒険者だし、セロアもギルドの職員という、侯爵家とは縁もゆかりもない職業の人間達だ。
呆然とするティザーベルに、クイトは顔の前で手を合わせて必死に言いつのる。
「本当ごめん! でも、他はどうでも魔力結晶に関してはあの人を外して話を進める事が出来ないんだ。で、ご隠居に話したら、連れてこいって……」
「なんで、そんなものすごい地位の人が私やセロアに会いたがるのよ……」
「うん、それはなんとなくわかるんだけど……」
クイトはこちらをちらちら見ながら言葉を続けた。
「ご隠居、君達が帝都に入る前から、存在を知っていたって言ってたよ? 故郷で何かやったとか、ない?」
「ある訳ないで……あ」
「あるんだ?」
「……私じゃないけど」
セロアが帝都に異動になる元となった提案だ。あれはわかる人間が見れば、ギルド関連だけでなく、政府や軍事での利用を思いつくだろう。
侯爵などという、国の中枢にいる地位の人物から見れば、セロアの提示した情報共有システムはおいしいネタだ。これを機に、ギルドから中央政府へ引き抜かれるという事もあるのではないか。
――でも、それなら正規のルートを使ってセロア一人を呼び出せば済む話なんじゃないの? 何で私とワンセット?
相手が貴族という時点で大分腰が引けているし、引き合わされる理由がわからないのでさらに警戒心は高まる。
とはいえ、これをクリアしなければ、水陸両用車への道は閉ざされるのだ。だとするなら、ここでティザーベルに出せる答えはただ一つ。
「……セロアの予定聞いてからでいい?」
「もちろん! ご隠居の方はしばらく暇にしておくって言ってたから、向こう半年の間ならいつでもいいって!」
「随分長いなおい!」
侯爵とはいえ、前と着くご隠居なら既に家督は次代に譲ったのだろうし、隠居所で暇しているじいさんなのかもしれない。
だが、世の中には年を取ってもパワフルな人間というのはいるものだ。
――イェーサも、ある意味そうだもんねえ……
下宿屋の大家である彼女も、普段はのんびりした時間を過ごす老女だが、いざという時の肝の据わり方はなかなかどうして、相当の修羅場をくぐり抜けたのだなと思わされる。
以前下宿仲間の一人がたちの悪い男につきまとわれた時など、ティザーベルが出るまでもなく、イェーサが槍で追い回し、かすり傷だけとはいえ満身創痍にさせて泣きを入れさせた。
あの時は、通報で駆けつけた警邏の兵士達にやり過ぎだと叱られる羽目になったけれど、お前達警邏がしっかりしていないからこうなるんだ、と逆に兵士達を説教したのだから恐れ入る。
クイトが会ってくれというご隠居が、彼女のようなタイプだったらどうしよう。
とりあえず、実寸で使える術式回路の開発にも時間がかかるので、その日は回路の一部分にかかる術式の計算だけで終わった。
工房の戸締まりを確かめた後、クイトと別れたティザーベルは、その足でギルドへと向かった。
セロアは受付業務を担当する事が多く、カウンターに行けばいるかいないかが一目でわかる。
例の情報共有システムの方は、上の方のどこかで停滞しているらしく、まだ詳しい説明会まで行けていないらしい。そんな愚痴を聞いたのも、随分と前に感じた。
冒険者ギルド帝都本部に入ると、時間が時間だったからか、多くの冒険者の姿があった。おかげで、カウンターは混んでいる。列の隙間から窺うと、セロアの姿があった。忙しそうに動き回っている。
――そりゃこんだけ人が詰めかけりゃ、忙しくもなるわな……
誰もが依頼完了の報告に長蛇の列をなしているので、飲食スペースに行って時間を潰す事にした。
注文を済ませて開いてる席に落ち着くと、誰かがテーブルを叩く。手の持ち主を見上げると、見知った顔があった。
「あ、親切なお兄さん」
「おいおい、名前を忘れんなよ」
帝都本部に初めて来た時に、色々と世話を焼いてくれた冒険者、シギルだ。彼は同じテーブルの椅子を引いて腰を下ろす。
「いやあ、あん時の嬢ちゃんが、まさかオダイカンサマの一人とはなあ」
「ははは」
曖昧に流していく。どうも、ギルド関連ではオダイカンサマの名前は盗賊討伐専門パーティーとして名が売れているというから、その辺りを突っ込まれたくない。
誰も専門だなどと触れ回った覚えはないというのに。ティザーベルに関して言えば、専門は人外だ。
「そういや、今日はお仲間は?」
「今日は一人」
「そうかい。そういや、以前は大分嫌な目にあったってな」
どれの事やら。個人的に酷い目にあったのは強制参加の辺境ツアーだが。無言のまま彼を見ていると、シギルは言いにくそうに話した。
「その、しつこく勧誘を受けたって聞いたから……俺があの時、口を滑らせたのが原因じゃないかって思ってたんだよ」
なるほど、冒険者パーティーメルキドンの件か。あれはどちらかというと、ヤード達が原因ではないだろうか。
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