百四 資料

 朝目が覚めると、窓の外はあいにくの天気である。帝都は完全に雨期に突入したらしい。


「まあ、どうでもいっか」


 ティザーベルの故郷、ラザトークスはすぐ傍にある魔の森の影響からか、一年を通して雨の多い街だった。だからか、ティザーベルにとって雨は身近な存在だ。


 傘はなくとも対物結界で濡れる事はない。足下も、泥はねを心配する事がないから楽だ。


 支度をして一階に降りると、既に起きていたイェーサが憂鬱そうにお茶を飲んでいる。


「おはよう、イェーサ」

「ああ、おはようさん」

「浮かない顔ね」

「そりゃ、こんな天気じゃあねえ。もっとも、帝都もしばらくはこんな鬱陶しい天気の日が続くけど」


 そう言って彼女は窓の向こうを見る。通りには人の姿が殆どない。帝都の雨期は一日中雨が降るらしく、この時期は外に出る人間もまばらだそうだ。


「ふーん。買い物とか、どうしてるんだろうね?」

「雨脚が弱まった頃を見計らって出るんだろうよ。これだけ降ってちゃあ、しばらくは誰も外には出ないんじゃないかねえ」

「そうなんだ。じゃあ、行ってきます」

「この雨の中、物好きだよ、本当」


 イェーサの呆れたような声を聞きながら、ティザーベルは外に出た。人通りが少ないという事は、もしかして店も休みのところが多いのだろうか。


「朝ご飯、食べるところあるかな……」


 とりあえず、彼女の心配ごとはそれだった。




 無事朝食にありつけたティザーベルは、雨天にもかかわらず浮かれた様子で工房を目指す。壁にぶつかってばかりの魔法道具作成だが、結果が形になって動くのが楽しく、思い切りのめり込んでいた。


 昨日までに車輪をうまく動かすよう試行錯誤していたが、途中で車輪をなくす方向にシフトチェンジし、今では浮遊の術式に没頭している。


 浮遊自体は割と古くからある術式だが、必要魔力が膨大な為実用性はないと言われている。


 だが、クイトからは面白い話を聞いたのだ。


『魔法士部隊では、複数人による浮遊術式を使った空を行く船、風船かざふねというものがあるよ』


 まるで見てきたような言い方だが、あえて突っ込むのはやめておいた。確かに、クイト程の実力と知識があるのなら、魔法士部隊に入っていても不思議はない。


 でも、あの部隊に入っている魔法士は、忙しい人間ばかりではないのか。こうも毎日工房まであれこれ教えに来る程、暇があるのかが気になる。


「……ま、いっか」


 今はクイトのあれこれよりも、作りたいものに関する興味の方が優先だ。


 ティザーベルが夢中になっているもの、それは車だ。帝国内を移動するなら、使う移動手段は水路が一番多い。


 だが、少し前まで巡っていた辺境ツアーでは意外と水路が整備されていないところも多かった。大きな街ならまず帝都からの水路が延びているけれど、少しそこから離れると途端に移動手段が徒歩になる。


 運良く乗り合い馬車が通っていればまだいいが、大体は歩きだ。ラザトークスでは魔の森までの移動は歩きだし、森の中でも当然足を使った移動をしていたので体力的に問題はないが、やはり速度という点では問題があった。


 それに、水路を使うにも乗合馬車を使うにも、金がかかるのだ。いざ欲しい素材を狩りに行こうと思っても、往復で百万メロー近い金を出すのは、さすがに懐的に厳しい。


 それだけの交通費を出すと、帝都で売られている素材を買うのと、かかるコストは大差なくなる。


 せっかく自分で素材を用意出来る腕があるのに、交通費という壁があっては薬も道具も自由に作れないではないか。これからの自由な制作の為にも、車は必須である。


 色々ともっともらしい理屈を並べてはいるけれど、要はティザーベルが車を作りたいだけなのだ。しかも、水陸両用車を。


 色気のない望みではあるけれど、幸いクイトは応援してくれている。自分が探せる範囲で、浮遊の術式に関する文献を見つけてくるとまで言ってくれたのだ。


 彼の伝手で、いい文献が見つかればいい。浮かれたまま工房に到着すると、すでにクイトが入り口で待っていた。


「おはよう。またずぶ濡れで……」

「うん、ちょっと寒いかも」

「早く入って。水滴も飛ばさなきゃ」


 ティザーベルはまたしても相手の了解を得ずに、魔法でクイトから水滴を飛ばし、温風をまとわせた。


「あー、暖かい……」

「あなたも魔法が使えるんだから、濡れないようにしなさいよ」

「いやあ、僕、細かい術は苦手で……」

「だったら、防水効果のある外套使うとかしないと、本当に命落としかねないよ?」


 冒険者御用達の店なら、魔物素材の防水外套も売っている。水辺に生息するカワウシの革を加工したもので、防水効果は抜群だという話だ。


 ティザーベルの言葉を聞いたクイトは、照れたように頭をかきながら呟いた。


「うーん、でも、濡れるのはここに来る時くらいだからさあ」


 彼の言葉で、心配して損した事に気づく。貴族なら、一人で外出する事などほぼないし、雨の日でも濡れないように周囲が気遣ってあれこれ対策を立てるものだ。


 つい忘れがちになるけれど、彼はそういうご身分の人だった。


 ――おのれ貴族……いや、別に彼が悪い訳ではないし……でも、おのれ貴族。

 暗黒面に落ちそうなティザーベルの耳に、クイトの明るい声が響く。


「あ、そうだ。これ」


 そう言って懐から取り出したのは、きちんと防水の革に包まれた代物だ。


「これは?」

「言っていたでしょ? 浮遊に関する文献を見つけてくるって。これ、数十年前に書かれたものだけど、浮遊の術式の詳しい解説と、将来性について書かれているんだ」


 包みから出てきたのは、一冊の本だった。クイトが言うとおり、浮遊術に関する文献である。彼は約束を守ってくれたのだ。


「……ありがと」


 礼を言うと同時に、内心で「ごめんなさい」と付け加えておく。彼は話しに聞く横暴な貴族とは違う。それはわかっていても、生活の質の違いを見せつけられたように感じて、勝手にこちらが卑屈になっていただけだ。


 上には上がいるけれど、下も限りがない。底辺職と言われる冒険者だが、その中でもティザーベルは成功している方だ。


 ゲシインの支部長の言葉を思い出す。あの地では、駆け出しの冒険者達が寒さ対策が出来ずに、多数の若者が凍死したと聞いている。


 故郷のラザトークスだって、魔の森に入ったいいが帰ってこなかった者達は多い。


 ――軽く行き来していたけれど、あの森だってかなり危険な場所だもんね……


 そこに入って生きて帰ってきただけでなく、しっかり魔物を狩ったり植物採集をしたり出来るティザーベルは、恵まれている方なのだ。たとえあの街では正当な評価を得られなかったとしても。


「偏見許すまじ」

「え? 何か言った?」

「何でもない。じゃあ、これ、遠慮なく見せてもらうね」

「うん、その為に持ってきたんだから」


 屈託なく笑うクイトに、少しだけ後ろめたさを感じながら、ティザーベルは定位置になりつつある作業台脇の椅子に腰掛けて本を開いた。




 本を読んだ結果として、浮遊術を使った車は作成可能だ。でも、そのためにはいくつもの問題を解決しなくてはならない。


 まずは必要魔力量は削れないので、そこを補う何かを作る必要がある。一番簡単なのは、充電器のように魔力を一定量貯めておけるシステムだ。これは魔力結晶という形で既にある技術である。


 次は推進力とブレーキの開発だ。浮遊の術式は、その場で浮くだけなので前進後進をさせる仕組みが必要だった。


 他にも車大のものを浮かばせるのに必要な浮遊の力の計算だの何だの、少し書き出しただけでも一覧が出来上がった。


 動かすだけでこれだ。居住性能を上げるために内部の空間を拡張する事まで考えたら、どれだけになるのやら。


 だが、これを超えなくては望むものが作れない。


「クイト、お願いがあるんだけど」

「何?」

「空間拡張に関する文献と、魔力結晶に関する資料があったら読みたい」


 ティザーベルの言葉を聞いたクイトは、一瞬驚いた顔をした後に、困った表情を見せた。


「うーん。拡張技術に関しては大丈夫だけど、結晶の方はどうかな……あるにはあるんだよ。でも、あれは閲覧に許可がいる代物だから」


 そういえば、魔力結晶は政府が完全管理をしているものだ。制作から流通まで睨みを利かせているので、粗悪品が出回らず痛い目を見る庶民もいないと聞いている。


 ――金になるものだから、中央政府が神経質になるのはわかるんだけど……


 そこが解決しない事には、先に進めない。


「見るだけでも、ダメかな?」

「うーん……そもそも、どうしてそんなものが見たいの?」

「え? 作りたいから」

「あー、やっぱり……」


 魔法薬やら魔法道具に関して、売るのはダメだが自分で使うのは大丈夫なら、魔力結晶も売らなきゃいいだろう、というのがティザーベルの考えだ。


 しばらく悩んでいたクイトが、確認するように聞いてきた。


「売ってるのじゃ、ダメなんだよね?」

「私の望みの形のものが売っていればいいんだけどねー」

「高額になっても?」

「多分、今ならなんとか払えると思う」


 シンリンオオウシを売却した金があるし、何なら競売にかけている素材の売り上げも期待出来る。移動倉庫にはゲシインの地下で狩ってきた希少魔物の素材がまだ山程あるのだし、一般に売り出されているものなら買えるはずだ。


 ティザーベルの答えを聞いて、クイトは何やら考え込んでいる。


「……交換条件付きなら、なんとかなるかも」

「本当!?」

「うん、交渉してみる。ただ、見返りは怖いよ?」

「え……そんなに高額なの?」

「いや、金じゃないと思う」


 彼の真剣な様子に、背筋が寒くなった。本来なら見られない本を見る見返りとは、一体何なのか。


 それでも、ここで躓く訳にはいかない。ティザーベルは無言のまま、頷いて了承した。

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