百二 陶板作成
翌日、いつも通りに下宿を出ようとしたところ、意外な人物が訪ねてきた。
「ヤードじゃない」
「おう」
しかも、いつも一緒にいるレモは姿が見えない。
「どうしたの? 一人でここに来るなんて珍しい」
「少し、話がある」
「わかった。朝食食べながらでも、平気?」
「ああ」
本当に珍しい事もあるものだ。ティザーベルはヤードと連れだって、行きつけの定食屋に入った。
「で? 話って?」
朝食を目の前に、ティザーベルから切り出す。一人で来たという事は、パーティーに関する事ではないという事だろうか。
そんな彼女の思いをよそに、ヤードは単刀直入に言ってきた。
「最近、周囲でおかしな事はないか?」
「おかしな事? ……特には」
「そうか……」
そう言ったまま、ヤードは俯いて黙ってしまう。一体、何があるというのか。
目の前の朝食も食べずに黙り込むヤードを眺めつつも、ティザーベルの方は着々と料理を朝食を平らげていく。今日のメニューはすじ肉の煮込みと温野菜、お茶、それに帝都でよく飲まれているハキジのジュースがついている。
どれもおいしくて、あっという間に食べ終わってしまった。だというのに、目の前のヤードはまだ何やら考え込んでいる。
「何があったのよ?」
「……もしかしたら、近々レモも交えて話す事になるかもしれない」
「おじさんも? パーティーの事?」
「に、なる」
なんだか要領を得ない。首を傾げるティザーベルをよそに、ヤードはやっと朝食に手をつけた。と思ったら、あっという間にトレイの上の料理が消える。どれだけ早食いなのか。
これまでも依頼の時に一緒に食事する事はあったけれど、ここまで早かっただろうか。思わずぽかんと口を開けて見ていると、食べ終わったヤードはとっとと席を立ち上がった。
店を出て、てっきりこのまま別れるかと思ったら、工房まで送ると言われた。
「夜じゃないし、大丈夫だよ?」
「一度、場所を把握しておきたい」
なるほど、別れて行動しているので、メンバーがどこで何をしているか、一応は知っておきたいという事か。
そのまま二人で連れ立って歩く。いつも三人で移動しているせいか、二人だけというのは、なんだか妙な感じだ。
そういえば、彼らと組んでそろそろ一年になる。時間が経つのは早いものだ。そして、工房にもあっという間に到着した。
「あ、あそこ」
「あれか……本当に、あれか?」
「うん、なんで?」
眉間にしわを寄せるヤードを見上げながら、ティザーベルは首を傾げる。何かおかしなところでも、あっただろうか。
何がおかしいのか、聞こうとしたティザーベルより先に、ヤードが口を開いた。
「あの工房、用意したのはハドザイドなのか?」
「ううん。あの人からインテリ……じゃない、ギルドの統括長官であるメラック子爵に話がいったらしくて、そっちからの紹介」
どちらかというと、クイトを紹介してもらい、そのおまけがあの工房という感じだ。でも、助かっているので、文句はない。
ティザーベルの話を聞いたヤードは、何かを考える素振りを見せた後、すぐに「じゃあな」と言ってきびすを返してしまった。
「……何だったんだ? あれ」
残されたのは、狐につままれたような思いのティザーベルだけだ。しばらくそのままヤードの消えた方を見ていたが、背後から声をかけられた。
「こんなところで突っ立ってて、どうしたの?」
「え? あ、ああ。おはよう」
「おはよう。早く中に入ろう」
「そうだね」
ティザーベルは鍵を取り出して、工房を開ける。そうだ、今日は昨日までに作成した陶板と記述用インクを使って、陶板とインクの大量生産をするのだ。
陶板への術式回路の記述方法をマスターすれば、レシピのわかる魔法薬は魔力炉で簡単に作成できるようになる。
それに、術式回路は魔法道具になくてはならないものだ。素材の力だけでどうにか出来る単純なものなら魔力炉でも作成可能だが、複雑な動きをさせる時には術式回路を道具そのものに記述する必要がある。
そこまでいって、やっとやりたい事が出来るようになるのだ。拡張鞄もその一つだが、究極は移動手段である。
いつぞや香辛料都市として有名なメドーでの依頼時に見た魔法道具としての「車」。盗賊の持ち物だったから、そのまま所有権は捉えたこちらに来るものとばかり思っていたのに、国に横からかっさらわれた代物だ。
腹立たしいが、確かにあれは一介の冒険者が持つものではないのだろう。だったら、自分が欲しい機能を満載にした魔導車を自作すればいいのだ。
薬もいつ必要になるかわからないし、作れるようになっておいて損はない。そんな思いから、ハドザイドへの貸しを返してもらう内容として、魔法薬と魔法道具の基礎から応用までを教えてくれる人の紹介にしたのだ。
その意味で、クイトは今のところ問題はない。実に丁寧に教えてくれるので、かえって焦れる事がある程だ。
――でも、ここで短気を起こしちゃいけない。
何事も、確実に一歩ずつ進めなくては。魔法薬も魔法道具もどんどん複雑になっていくので、気を抜いているとあっという間にわかならくなってしまいそうだ。
本日は、陶板に術式回路を記述して、魔力炉で中級魔法薬を作るまでを行う。
「まずは、術式回路の基礎からね」
そう言うと、クイトは作業台の近くに黒板を引っ張ってきた。ある事すら知らなかった黒板は、工房の備品の一つだという。
「そんなもの、あったんだ……」
「指示を出す時なんかに使っていたみたいだよ」
にこやかなクイトを見て、ティザーベルは誤解を解くのをやめた。
――黒板そのものが、この世界にあるとは思わなかったんだよね……
少なくとも、ラザトークスでは見た事がない。もっとも、あの街は辺境も辺境だから、黒板は持ち込まれなかっただけかもしれないが。
クイトは黒板に、丸や四角などで形作られた記号を書いた。
「これが魔法薬に使う基本的な術式記号。これらを繋いで回路を作成するんだ。他にもいくつもの記号があるから、わかりやすく書いてある本を渡すね」
黒板に書かれた記号の意味は、「加熱」「粉砕」「攪拌」「成形」「魔力注入」の五つだ。
「記述には、前回作った記述用インクを使う。術式回路を記述するのは一発勝負だから、ちゃんと下書きを書いてからやった方がいいよ」
書き直しは出来ないという事らしい。ちなみに、間違えた場合は陶板を破棄し、新しいものに記述する以外ないのだとか。
それなら確かに下書きが必要だ。自分で作れるとはいえ、陶板の素材も無料ではないのだから。
ティザーベルは、気になった点を手を挙げて聞いた。
「はーい、質問」
「はい、どうぞ」
「どうしてその記号を書くだけで、術式展開出来るようになるの?」
「ああ、それはね。魔力炉の方に、この記号はこの術式に対応しますよ、っていう情報が、あらかじめ登録されているんだ」
「へー」
だから対応する記号を記述するだけで、展開が可能になるという。
「素材も登録済み?」
「そう」
「新しい素材が発見されたり、新しい術式が開発された場合には? どうなるの?」
「その時は、陶板を使って登録用の術式を記述するんだ。それを魔力炉に入れれば、記号の登録完了。素材も同様に、陶板と登録する素材を一種類だけ炉に入れて登録するんだよ」
「なるほど」
アップデートも可能という訳だ。という事は、魔力炉の内部にデータを蓄積しておける、書き換え可能なストレージ部分があるという訳か。
――これ考えた人、随分と現代的だな……もしかして、転生者か転移者が絡んでる?
可能性はゼロではなかろう。とはいえ、今はそれよりも記述を覚える方が先だ。
魔法薬作成に必要な記号を選び出し、決まった順番に記述、その間を繋ぐようにラインを引いて完成だ。
「まずは開始の記号を記述、その次から手順通りの記号を記述していくんだ。記号には動作と素材と両方あるから、素材の記号と動作の記号は並べて記述するように」
「はーい」
まずは紙に下書きだ。今回魔力炉で試作するのは中級魔法薬で最初に作った中級傷薬だ。もっとも、今回試作するのは陶板の方だけれど。
――そういや、またあの高価な素材を使うんだよね……素材代、どっから出てるんだろう?
ちょっと考えると怖い。それを言えば、ここの賃料やこれまでの各素材代も、最後に請求されたりするんだろうか。
考えると止まらなくなりそうなので、頭を切り替える。今大事なのは、目の前の陶板に記述する術式回路の方だ。
記号そのものは単純だし、素材を示す記号も今回使うものに関しては問題ない。問題は記号同士を結ぶラインだ。ただの線かと思いきや、しっかり術式になっている。
「……記号を結ぶ部分が術式になってるんですねー」
「うん。でないと、魔力炉の中できちんと展開してくれないからね」
ただの線に見えるものにどうやって術式を入れるのかと言えば、インクを使って魔法で陶板に記述するのだそうだ。インクにも魔力点数の多い素材ばかりを使うのは、この為か。
納得出来たけれど、下書きにも同様に記述用インクを使って術式を入れていくとは思わなかった。それを愚痴れば、クイトは不思議そうな顔をしている。
「下書きなんだから、本番同様に記述するに決まってるでしょ? 紙だから、陶板みたいに魔力炉にセットする事はないけど」
正論故に、何も言えない。
下書きを一回行い、クイトに見てもらったところ問題はないという事で、いよいよ陶板への記述となる。
陶板への記述は、全て魔力を使って行うのだ。陶板に向かって手を広げて意識を集中する。
陶板の横に置かれたインク壺から、記述用インクが細い蛇のようにうねって持ち上がり、陶板の上で次々と記号や線に変わっていく様は、端から見れば面白いものだろう。集中してやっている身としては、楽しむ余裕もないが。
やがて陶板の上には、幾何学模様のような術式回路が記述された。集中していたからか、終わった途端に大きな息が漏れる。
「うん、問題ないようだね。じゃあ、早速魔力炉にセットして使ってみようか」
ちょっと一息入れたいが、クイトの言う通り、早く魔力炉で試してみたい。ティザーベルは重い体を起こして、今さっき出来上がったばかりの陶板を工房備え付けの魔力炉にセットした。
扉を開けて、中に必要な素材を入れて閉め、魔力供給版に手のひらを当てて魔力を送る。
いつも通り、魔力炉の中が明るくなって術式が展開しているのがわかった。小さなのぞき窓から中を見るクイトが、無言のまま笑みを浮かべている。
やがて、光が収まった頃を見計らって扉を開けると、いつぞや作った中級傷薬が炉の中の棚に綺麗に並んでいた。
陶板作成は、無事成功したらしい。
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