百 陶板焼成

 翌朝は、ティザーベルの心を写し取ったような曇天模様だった。


「そろそろ雨の季節かねえ?」


 窓から外を眺めながら、下宿の大家であるイェーサはそう呟く。故郷のラザトークスと帝都では、気候も大分違うらしい。あちらは晴れの日の方が少ないくらいだ。


 もっとも、雨が多かったのは森に近い一部だけだったようで、街の周辺に点在する村では晴天が多く作物の実りもいいのだとか。つくづくあの森は「魔の森」と呼ばれるにふさわしい存在のようだ。


 普段通りに下宿屋を出て、行きつけの定食屋で朝食を取り、今日はそこで水筒に入ったお茶を買う。あの工房、水場はあるけれど茶葉も何も置いてないので、飲み物は買って持ち込む以外に手がないのだ。


 そのままいつも通りに歩いて工房にたどり着くと、ぽつりと額に水滴が落ちる。雨だ。


 工房の前にはいつものようにクイトがいるかと思ったが、今日に限ってくるのが遅いようだ。雨に濡れる前に、と工房の鍵を開けて中に入る。


 窓際にあるテーブルに水筒を置き、ふと左手奥を見た。鍛冶スペースがあるそちらは、使っていないせいか心持ち汚れている気がする。鍛冶用の炉も、ここに来てから一度も火を入れていない。


 仕方がない。自分は魔法士であって鍛冶師ではないのだから。それでも同じ工房内の汚れは見捨てられないと思い、魔法で軽く埃を掃除しておいた。


 終わってテーブル付近においてある椅子に腰掛け、工房内を見回す。なんだか、いつもと雰囲気が違ってみえるのは何故だろう。


 ――ああ、クイトがいないからか。


 いつもいる賑やかな人間がいないだけで、こうも沈んで見えるとは。大分彼に毒されてきているのかもしれない。


 そうこうしていると、いつもの時間から一時間近く遅れてクイトがやってきた。


「ひゃあー、濡れた濡れた」


 そう言って入ってきた彼は、確かに全身ずぶ濡れだ。ティザーベルは、その様子を不思議そうに見ていた。


 その視線に気づいたのか、クイトが聞いてくる。


「何?」

「なんで、魔法で雨をよけないの?」

「へ?」


 素直に聞いてみたら、どうやら意外な言葉だったらしく、クイトが固まった。そのままでは風邪を引きかねない。それでなくとも、体を冷やすのはよくないのだ。


 そう思って、ティザーベルは本人に了承を得ないまま魔法で水滴を飛ばした。その様子に、クイトは目を丸くしている。


 その様子が妙に感じて、ティザーベルは首を傾げた。


「どうかした? あ、勝手に乾かしたのが気に入らない?」

「そうじゃなくて! い、いいいい今の術式、どうやったの!?」


 すがりつかんばかりのクイトに若干引きながらも、ティザーベルは術式の内容を語る。


「水を扱うのと同じ要領で、範囲を指定した後に範囲内の水を呼び寄せただけ」


 嘘は言っていないが、全てでもない。この場合、細かいのは範囲の指定方法だ。ざっくりクイトの周辺を指定してしまうと、彼が干からびてしまう。


 なので、体表面と髪の毛一本一本をコーティングするように一度範囲指定して保護、その周囲の水分を飛ばせば乾燥終了だ。


 本来これだけ細かい指定をするのは骨が折れる事なのだが、魔力操作に関しては自信があるティザーベルにとって、面倒でも何でもない。


「そうなんだ……」


 クイトは何やらブツブツと呟きながら自分の世界に入ってしまっている。どうしたものか。今日は中級の魔法道具をやる予定なのだが。


「ま、いっか」


 一人で浸るクイトを放って、ティザーベルはテーブルの傍に戻り買ってきたお茶を啜った。


 ひとしきり呟いて気が済んだのか、クイトがやっと復帰した。


「やー、ごめんごめん。僕が思いつかなかった使い方だったからさあ」


 からからと笑う彼を、ティザーベルは幾分冷めた目で見る。前世の記憶があるのだから、いくらでも思いつくだろうに。でも、それは口にはしない。彼から聞かれるまで、カミングアウトはしないと決めている。


 ティザーベルの態度には頓着せず、クイトは早速今日やる内容の説明を始めた。


「今日やるのは中級魔法道具。やっとここから魔法道具らしくなっていくから、楽しみにしていて」

「へー」


 既に、やる気が半分くらい目減りしているのを感じるが、確かに魔法道具らしい魔法道具を作れるように、と思って今回のあれこれをハドザイドに頼んだのだから、文句はない。


 そう、教えてくれる人を手配してくれるよう、頼んだ相手はハドザイドだったのだ。それが何故かインテリヤクザ様の手に移り、彼から目の前のクイトを紹介されたのだから、なんだかたらい回しにされた感がある。


 ――いやいや、あの人の心当たりがインテリヤクザ様だったけ。多分きっとおそらく。


 そうでも思わないと、ちょっと色々とやりきれない。放っておいたらどん底まで落ち込みそうだったので、なんとか意識を目の前に向ける。


 本日やるのは、昨日言っていた通り魔力炉にセットする陶板の作成だ。目の前には素材が山になって積まれているのだが、陶板そのもが見当たらないのは気のせいだろうか。


「……ひょっとして、陶板そのものから作る……とか?」

「うん、もちろん」


 クイトはとてもいい笑顔で答えてくれた。反対に、ティザーベルの目は果てしなく遠くなっている。


 ――そうかー、陶板から作るのかー……あれ? でも、それも全部魔力炉で作れるんじゃね?


 一瞬果てしない作業を思い浮かべてしまったけれど、魔力炉があるのだから、陶板作成の為の術式さえあれば、いくらでも量産出来るのではなかろうか。


 だが、クイトの口からは予想とは違う言葉が出てくる。


「あ、陶板は魔力炉では作らず、最初は手作りでいくから。一回作ったら、その陶板に術式を記述して、量産用の陶板を作ろうね」


 最初は手作業での作成が決まった瞬間だった。




 確かに、何でもかんでも自動で作ると細かいところの技術がわからず、流してしまいがちだから最初は手作業で、というのもうなずける。


 わかってはいるのだが、面倒なものは面倒なのだ。ちなみに、陶板作成の素材は魔物の骨が八種類と、魔法植物が七種類。全て効果点数なしの魔力点数のみという、ある意味少し変わった素材だそうだ。


 クイト曰く、陶板には効果点数は必要なく、むしろ邪魔になるのだとか。陶板は魔力炉にセットするものなので、素材とかち合わないようにする為だという。


 まずは竈で魔物の骨を焼いて粉にし、魔法植物の全てを鍋で煮込んで成分を抽出する。その後骨の粉に抽出液を入れて手でこねるのだ。その際に魔力を込めるのも忘れてはいけない。


「よーく練ってね。ここでの練りが甘いと、出来上がりに影響するから」

「はーい」


 どんな影響が出るのかは知らないが、同じ作るならなるべくいいものを作りたい。そんな事を思いつつ、手で材料をこね回していた。


 ある程度こねると粘り気が強くなってくるので、そうなったら作業台に出し打って伸ばしてを繰り返す。本当に両手で持って作業台に思い切りぶつけるので、これはいいストレス発散になりそうだ。


 塊を持ち上げ、気合いと供に作業台に打ち付ける。親指の付け根辺りを使って思い切り伸ばし、引き戻してまた伸ばす。この作業でも当然、魔力を込めている。


 どれだけ打ち付けただろうか、表面がつやつやとしてきた。


「お、そろそろだな」


 魔力を込めているからか、それとも散々作業台に打ち付けたからか。ともかく、これで次の作業に移れそうだ。


 次は長い棒で均一に伸ばし、決められた形に切断していく。陶板は大きさに規格があるそうで、どの魔力炉でも使えるように揃える必要があるそうだ。


「焼き縮みとか、しないの?」

「その分も計算してあるから、大丈夫」

「なるほど」


 クイトから教えられた通りに切り分けて成形し、いよいよ仕上げに入る。いつもなら魔力炉で成形するのだけれど、今回は炉を使わず魔法で仕上げる方法を使うのだ。


「術式はこれね。結構簡単でしょ」

「あ、本当だ」


 込める魔力量は多めだが、使う術式自体は簡単なものだ。熱を使って焼き上げる、いわゆる焼成で、その温度管理だけ間違わなければいいらしい。


「熱を使うから、向こうの普通の炉を使うといいよ」

「いや、このくらいならこの場でも平気」

「え?」


 驚くクイトを尻目に、ティザーベルはその場で対物対魔の完全遮断結界を作業台上に張り、その中で先程教えられた術式を展開させた。


 結界で熱も魔法も遮断されるので、周囲に影響はない。その様子を、クイトが驚いた様子で見ているのがわかったが、今は意識を他に向ける訳にもいかなかった。


 そうして焼成する事約二時間。やっと陶板が出来上がる。粘土を使った焼き物なら、焼成温度も時間もこれよりもっとかかるだろうが、そこは魔物素材と魔法植物、温度は最高一千百度とどっこいだが、焼成時間はとても短い。


 また、素材が素材の為か焼いてる最中に割れにくく、温度上昇にも強い為焼成温度は一気に上げるのも、この陶板の特徴か。


 後は、結界内でゆっくりと冷めるのをまつばかりである。


「これ、熱が冷めるのにどれくらいかかるの?」

「え? 冷却しちゃえばいいんじゃない? 魔力炉で作る場合は、術式で冷却まで入れちゃうし」

「……さっきの術式、冷却は入ってなかったよね?」

「あれ?」


 クイトは慌てた様子で術式を記述した紙を見返し、青い顔をしてこちらを振り返った。


「……ごめん、抜けてた」

「他に抜けてるとこ、ないよね?」

「ないです……」


 何故か涙目で敬語だ。おかしい、ティザーベルは彼の失態を責めないよう、笑顔でいるというのに。


 ふるふると震え出した彼から冷却用の術式を聞き、知っているものだったので追加で結界内に展開させる。一瞬、結界内が白く濁ったが、次の瞬間には作業台の上に並ぶ陶板が見えた。ここで結界を解除、出来上がった陶板を一枚手に取ってみる。


 見た感じ、これまで魔力炉にセットした陶板と何ら変わるところはない。違いと言えば、模様が何もないところか。


 しげしげと手の中の出来立て陶板を眺めていると、クイトが明るく言ってきた。


「じゃあ、次はインクを作ろうか」

「はい?」

「インクだよインク。陶板に術式回路を記述する為の、インク。これも魔法道具だから、自作可能だよ」


 どうやら、魔力炉用の陶板一つ取っても、なかなかに奥深いものらしい。魔法道具の全てを習得するには、一体どれだけかかるのだろう。

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