九十九 魔力炉という道具

 今日は朝から珍しく緊張していた。今日から魔法薬の中級に入るからだ。正直、初級までなら本で見てどうにか出来た内容である。でも、中級以上となると、そうはいかない。第一、中級の魔法薬に関する本がないのだ。


 どうも、中級以上は親方から直接習うものらしく、誰も系統立ててまとめてはいないという。


 ――そこが大事なんじゃん! ……まあ、レシピ公開って事になると、売り上げがた落ちする店も出てくるだろうしなあ。


 現状、魔法薬のレシピはどこも店外秘となっている。店オリジナルはそうそう開示出来ないだろうけれど、基本的なものは開示して多くの人間が研究開発に携われるようにした方がいいだろうに。


 そんな事を思いつつ到着した工房の前には、今日もクイトが立っていた。


「おはよー」

「おはようございます。いつも早いね」

「毎日待ちきれなくてさあ」


 わくわくしていると隠さないその顔に、ティザーベルは何も言えずに工房の鍵を開けた。


 先に来るのは彼なのだから、鍵は彼に渡した方がいいのではないか。一度となく言ったのだが、クイトは頑として受け取らなかった。


 彼曰く「工房の責任者は君だから」だそうだ。いつから自分はこの工房の責任者になったのやら。


 そんなあれこれを考えつつも、口には出さずに今日の用意を進める。といっても、昨日までのように鍋をかまどにかけるといった事はしない。


「用意って、これでいいの?」


 ティザーベルの前に置かれているのは、陶板と数種類の素材、それとは別に分けられた三種類の素材だけだ。


「そう。今日からは鍋は使わず、薬の全てはこの魔力炉で作るからね」


 そう言うと、クイトはにこにこと工房に据え付けられた大型の魔力炉を軽く叩いた。


「素材を見ればわかると思うけど、中級以上は中身と一緒に容器も魔力炉で作成する。いっぺんに全部作るんだ」


 ゲームなどで、作成したポーションが瓶に詰まっている状態で出来上がるのを想像すれば良いだろう。それにしても、魔力炉というのはかなり優秀な代物なのだと思わされる。一体、どうやればそんな摩訶不思議なものが作れるのやら。


 ティザーベルがしげしげと魔力炉を眺めていると、クイトがにこりと笑う。


「そのうち、魔力炉も作れるようになるといいね」

「小型のもの?」

「いいや? 大型でもいけるんじゃない?」


 確か、大型で多機能な魔力炉は作成できる人間が限られていて、常に注文でいっぱいだと言っていなかっただろうか。


 そんな大層なものを、駆け出しも駆け出しのティザーベルに、作れるようになるものだろうか。


 首をかしげていると、クイトが苦笑した。


「魔力炉を作る際に一番大事なのはね、長年積んだ経験でも技術でもなく、持ってる魔力量が多い事なんだよ」

「へ?」


 初耳だ。てっきり、出力の調整だの魔力の循環などをきちんと行う為の、素人にはわからない技術的な何かがあると思っていたのに。


 クイトによれば、魔力炉は作成の為の術式が既に確立されていて、それを使えば理論上誰でも作れるものなのだそうだ。


 ただ、小型のものでも作成時に大量の魔力を消費するらしく、大型ならなおさらだという。


 そして、帝国広しといえど、大型魔力炉を作成できるだけの魔力を保持している魔法士は数える程しかいないのだとか。


 大型で高性能な魔力炉程需要が高いのに、供給出来る作成者は両手の指で足りる程度しかいない。よって、需要と供給のバランスがかなり崩れている状態という訳だ。


「だから、常に注文でいっぱい状態なんだ」

「その通り。またどこよりも先んじて大型、最先端の魔力炉を欲しがるところがあるからね。そっちにもっていかれて、なかなか欲しい人の手には行き渡らないって訳」

「欲しがるところ……」

「帝国軍だよ。軍で使う魔法薬や魔法道具作成の為、魔法士部隊の為に、ね」


 なるほど。国が発注元ならば、作成者も誰よりも優先するのは当然だろう。特に軍関係に睨まれたら、いくら魔力量が多くてもその後の生活に支障が出かねない。


 それよりも、意外な事がわかった。


「……魔法士部隊って、軍の一部なんだ」

「一応はね。この国は魔法を使って大きく豊かになった国で、魔法の軍事利用も大陸の他国に先んじて導入している。だから、国防にもがっつり魔法士は組み込んでいるんだ。まあ、現在の魔法士部隊って、どっちかっていうと研究部署っぽいけど」


 つまり、クイトはそうした情報を得る事が出来る立場という訳か。もっとも、貴族なら誰でも知っている事なのかもしれないが。


「さあ、雑談はこれでおしまい。早速中級の魔法薬を作ってみようか」

「はい!」


 今日のレシピは、中級傷薬だ。これは最初に作った傷薬と違い、前世で言うところの縫う必要がある傷に使う。


 これの更に上に上級、特級とあるそうだ。上級はちぎれていなければ大概の傷を治せるそう。特級となると欠損した部位ですら復活させる事が出来るそうだ。


 もっとも、上級からは使う素材も入手が難しいものばかりになるので、特級傷薬は現物はどこにもなく、レシピが残っているだけだという。作成に挑んだ人は数多いけれど、誰も成功させていないのだとか。


「だから、特級傷薬を作成できれば、一躍時の人になれるよ?」

「無理です」


 これからやっと中級に挑戦しようとしている人間に、先程から何を期待しているんだか。


 これから作る予定の中級傷薬、素材は魔法植物が十五種類、魔物素材が八種類となかなかの量だ。このどれもが効果点数と魔力点数の高い素材で、市場価格は目の前にある量でしめて五百九十八万メローになる。


 クイトから値段を聞いたティザーベルは、目をむいた。


「約六百万メロー?」

「そう。中級以上の魔法薬が高い理由、わかった?」


 ティザーベルは無言でこくこくと頷いた。素材の値段だけでそれだけいくのなら、そこに手間賃やら設備費などを上乗せしたら、一個単位でも十万はくだるまい。


 ――いままで魔法薬のお世話になる事はなかったからいいけど……これが必要な生活をしていたら、あっという間に干上がりそうだわ。


 そういえば、冒険者が金をかけるのは、装備と薬だと誰かに聞いた事がある。回復術を持たないパーティーでは、魔法薬は命綱になるのだろう。


 素材の次に、クイトが置かれた陶板を手にする。


「ここに記述されているのが、中級魔法薬の作成に必要な術式。これを魔力炉にセットし素材を入れ、魔力を流す事で望んだ結果が得られる」


 初めて聞いた内容だ。これまでは、魔力炉には単純に魔力を流すばかりだった。入れた素材を成形するだけだったので、魔力を流すだけで良かったのかと思っていたら、既に成形の陶板をセットしていたからだとクイトに言われる。


「セットせずに魔力を流しても、何も起こらないよ。ただ魔力を垂れ流すだけだから、無駄だね」


 魔力炉と陶板はセットで考えなくてはならないらしい。それにしても、確かにそうなのだがはっきり「無駄」とは。しかも半笑いしながら言われたので、なんとなくむかつく結果だ。


 クイトはティザーベルの感情に気づいていないのか、そのまま続けた。


「ちなみに、魔力炉に術式をセットするのは、炉との相性がいい陶板にするのが一般的。これの他に魔法銀を使う場合もあるけど、そっちは費用がかかるからやめておいた方がいいな。陶板に術式を記述するのは、この後やる中級魔法道具で教えるよ」


 どうやら、陶板も自作可能のようだ。そこでふと思いついた事がある。


「陶板の術式を初級魔法薬用に記述すれば、魔力炉で初級の薬も作れる?」

「もちろん。中級からは鍋を使ってる時間的余裕がないから魔力炉を使うってだけだから」


 どういう意味かわからず、首をかしげていると、クイトが苦笑いした。


「三種類の魔法植物からそれぞれの成分を抽出しつつ、同時に五種類、七種類の成分抽出、さらに魔物素材は八種類それぞれで抽出し、それを指定された順に混ぜつつ魔力を加えていく。物理的に出来そう?」


 手でやるのは大変そうだ。でも、魔法で全てを同時進行させれば、出来るのではないだろうか。


「魔法を使えば……あ」


 言ってる最中に気づいた。クイトも、笑顔で頷いている。


「そういう事。魔法使ってあれこれやるくらいなら、魔力炉で自動で出来た方が簡単でしょ?」


 なるほど、魔力炉というのが、とても有益な魔法道具なのだとわかった。納得したところで、早速中級魔法薬に挑戦だ。


 魔力炉は、一見すると据え置き型の大きな金庫だ。頑丈で分厚い扉がついていて、中には可動棚がある。


 扉の脇には陶板をセットするスリットと、魔力を流す為の供給口がある。魔力供給口は、魔法銀が使用されていた。


 中の棚に素材を置き、扉を閉めて陶板をスリットに押し込める。スリットのすぐ上にはボタンがあって、押すとスリットから陶板が押し出される仕組みだ。


 中の棚に素材を置き、扉をしっかり閉めて陶板をスリットにセット。最後に供給口に手を押しつけて魔力を流す。手のひらからぐんぐんと魔力を吸い取られる感覚がする。ちゃんと炉に魔力が供給されている証だ。


 それと同時に、扉にある小さな窓から光が漏れ出てくる。この時に中を覗くと面白い、とクイトが言っていたが、手を押しつけたままでは中は見られない。


「おお、ちゃんと作動しているな」


 そのクイトは、楽しそうに中を覗き込んでいた。ティザーベルも見たいのだが、ここで手を離す訳にいかない。


「あー、なんで魔力を直接供給しなきゃならんの! 結晶で出来るようになればいいのに!」

「なら、君が自分で作る時にはそうすればいいよ。この魔力炉は制作年代が古いものだから、その当時の考え方で設計されているんだ」


 のんびりと答えるクイトに簡単に言われ、かっとなって言い返した。


「そんな簡単に作れるもんでもないでしょうが!」

「出来るよ。というか、出来るようになってもらわないと、僕が教える意味がない」

「え?」


 発言内容に驚くティザーベルをよそに、クイトはこれまで同様、楽しそうに中を覗いている。


 問いただしたいけど、今は中級魔法薬の完成が先だ。ティザーベルは慎重に魔力を注いでいく。必要魔力は陶板の方で制御されているので、理論上過ぎた魔力はカットされるのだけれど、炉に負担がいかないとも限らない。


 足りなくならないよう、かといって入れすぎないように魔力を制御しなくてはならないのだ。


 もっとも、常に魔力の糸であれこれやる癖がついている彼女にとっては、さおして難しいものでもなかったけれど。




 そうして魔力炉を動かす事約三十分。無事中級魔法薬は完成した。


「おお……」

「これが中級魔法薬。初級と違って、中級からは傷薬も液体なんだ。それは何故か」

「傷口にかけられるように?」

「その通り。軟膏だと、塗ってる最中に傷を広げかねないから。だから最初から、中級以上は液体って決められてるんだってさ」


 決めたのは誰かは知らないけど、きっと大昔に初めて中級傷薬を作った人だろう。


 今回出来上がった中級傷薬は、全部で一千本。炉の大きさと、ティザーベルの魔力量がある為に、一度にこれだけの数を仕上げる事が出来たのだという。


「普通の炉で普通の人が作ったら、一回につき二十本が限界じゃないかな」

「そんなもの?」

「まあね。中級からは馬鹿みたいに制作者の魔力を食うから。素材が高い上に魔力も使う。だから中級魔法薬は軒並み高価になるんだよ」

「なるほど……」


 大きな街なら、必ず一軒はある魔法薬屋。ラザトークスにも一軒あったが、冒険者は大体普通の薬屋を使うので、あまり馴染みはなかった。


 それでも、いつもの薬屋では間に合わない場合は、覚悟をして行くと聞いた事がある。あそこも店構えから考えて、魔力炉はあまり大きくなかっただろう。場所柄、素材だけは豊富に揃えられただろうけど。


「とりあえず、中級魔法薬完成おめでとう」

「ありがとう」

「といっても、中級で一番覚えてもらわなきゃならないのは、魔法道具の方だけど」


 そう言うと、いい笑顔のクイトは何故か目だけ笑わず続けた。


「まずは次の魔法薬の陶板、自分で作ってみようね」


 嫌とはいえない雰囲気だ。仕方なく、ティザーベルは無言で頷いた。

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