九十七 初日

 十日など、あっという間に過ぎるのだと改めて思い知らされる。この十日の間に、約束通りザミ達を交えて食事会を行ったり、これまで訪れていなかった帝都のエリアを探索したり、一日下宿の部屋から出ないで惰眠を貪ったりしていた。


 食事会に関しては、ザミとシャキトゼリナに加え、初参加の菜々美も楽しんでいたようで何よりである。


 場所はいつもの店だったので、残念ながらシンリンオオウシの出番はなかった。セロアと相談した結果、街の外で焼き肉を出来る場所が確保出来るまで、ティザーベルの移動倉庫に保管しておこうという話になっている。


 それにしても、戻ってきた肉は多かった。てっきり一塊程度だと思っていたのに、戻ってきたのはティザーベルの体重と同程度くらいの塊だ。さぞ食べ応えがあるだろう。


 そしてシンリンオオウシはその値段も大物だった。滅多に出ない代物なので、そこそこいくとは思っていたけれど、こちらも予想以上の買い取り金額になっている。ティザーベルは、生まれて初めて金貨の実物を見た。


 それがなくともしばらくは依頼を受けない予定だが、シンリンオオウシのおかげで向こう数年は遊んで暮らせそうだ。


 そんなティザーベルとは違い、ザミ達モファレナはつい昨日長期の依頼を受けて帝都を後にした。期間は三ヶ月というから、相当大がかりな仕事だ。ザミ曰く「トロシアナが凄く楽しみにしている依頼」なんだとか。


 ――あのトロシアナが楽しみにしているって……どんだけよ。


 モファレナの中心人物であるトロシアナは、三度の飯より盗賊討伐が好きという人だ。ある意味、ティザーベルの対極にいる人物である。そんな彼女が楽しみにしているのだから、さぞかし名のある盗賊団討伐なのだろう。


 下宿を出て朝食を食べた後、のんびりと歩きながら工房へ向かう。時刻はもうじき九時、鐘の音が鳴り響く頃だ。


 角を曲がれば工房、というところで、人影を目にする。工房の前に立っているクイトだった。


「おはようございます。早いですね」

「あ、おはよう! なんだか、待ちきれなくてさ」


 遠足前の子供か、と言いたいのをぐっと我慢して作り笑いを浮かべる。こういうところは、前世日本人の悲しい習性だ。


 にこにこと笑う彼は悪い人ではないようだが、さすがに会うのが二回目の相手を全面的に信用する気にはなれない。


 ――さらにお貴族様だろうしねー。


 庶民の中でも孤児として育ったティザーベルにとって、貴族社会などそれこそ別世界だ。これまで出会った貴族達は、いい人も悪い人もいた。依頼の関係で知る貴族は悪い方に振りすぎな気はするけれど。


 でも、帝国軍監察官のヤサグラン侯や、オテロップの件で名前を知ったヘナゼイ子爵、海賊の件で知り合ったハドレイ辺境伯……は少々癖が強かったけれど、皆普通に善人だ。


 クイトに関しても、あまり気負わずにいた方がいいのかもしれない。


 ティザーベルは昨日渡された鍵で工房を開けると、クイトを招き入れた。


「今日からよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」


 さあ、本格的に修行の始まりだ。




 初日の今日は、座学だった。


「面倒くさいと感じるかもしれないけど、まずは基本の理論を押さえておいた方が、後々便利だから」


 そう言って、クイトは荷物の中からノートを何冊か取り出す。


「実は、魔法道具や魔法薬の基礎って、しっかりした本がないんだよね。なので、悪いんだけど、僕が使っていたノートを教材にしてほしいんだ。おかしな事は書いてないから」

「わかりました」


 クイトが持ち込んだノートのうち、二冊はまっさらな新品だ。


「これは?」

「ああ、それは君にあげるよ。勉強に使って」

「ありがとうございます」


 帝国では紙は貴重品ではないが、綴じられているノートや本はそこそこの値段がする。このノートも、紙や綴じ方から見て高価なものだろう。


 それを、いくら教え子になるからといって、ぽんと渡すとは。価値を知らないお坊ちゃんなのか、それともものに執着しない質なのか。どちらもありそうだ。


 工房には移動型の黒板もあるので、それを使って授業を行うらしい。


「では、始めます」


 そう言ってクイトが話し始めた内容は、ラザトークス時代に読んだ魔法書にあったものだ。


 魔法道具と魔法薬は考え方が似ていて、どちらも魔力を媒体にして作成者の意図通りの結果を導く事を目的としている。


 魔法薬なら魔力を媒体に対象の状態を変化させる。魔法道具ならば魔力を媒体にして対象に効果を現す。結果は様々だが、この考え方はどれも同じだという。


「そこを押さえておけば、迷った時の突破口になるから」


 そう言うと、クイトは話を続けた。半分は既に知識として持っていたが、残りは初めて聞く内容ばかりだ。


 素材と呼ばれるものがどうして必要なのか、その種類と利用方法、代替方法、成分の抽出方法などが次々と語られていく。


 初めて知ったが、魔法道具であれ魔法薬であれ、素材の代替がほとんど利く事だ。同じ傷薬を作るのでも、素材の組み合わせが幾通りもあるという。


 てっきり、この薬にはこれこれこういう素材を使う、というレシピが厳密に決まっているのかと思ったが、違うらしい。


「後で一覧を渡すけど、素材そのものに点数があって、望む効果を得られる点数まで素材を使えば、おおよそどの素材を使っても望んだ効果を出せるんだ。点数には効果点数と魔力点数があるから、両方を満たせるよう計算するのが大事だよ。これ、意外と知らない人が多くてね……」

「じゃあ、点数の低い素材でも、量を集めて必要点数を満たしたら、大丈夫って事ですか?」

「理論上はね。ただ、効果の低いものならいいけど、高い効果を狙うと集める量が半端ないから、結局は高い点数の素材を集めた方が効率的だよ」


 なるほど。つまり、同じ傷を治す魔法薬と魔法道具を作る場合、似たような点数の素材を集める必要があるという事か。


 クイトに確認すると、満面の笑みで頷かれた。


「その通り! いやあ、物わかりのいい生徒で助かるなあ。それに比べてあの連中は……」


 最後は溜息交じりだったが、しっかり聞こえた。どうやら、彼はティザーベル以外にも生徒がいるらしい。それも、彼曰くあまり物わかりがよろしくないようだ。


 クイトの話を総合すると、結局素材が持つそれぞれの点数を合計して、求める効果を得られる点数にするのが基本らしい。


 ただし、それぞれの点数が違うので、効果点数が規定に達していていも、魔力点数が達しない場合がある。


 その場合、別の効果点数を持つ素材を足して、魔力点数を底上げするのだそうだ。効果点数が規定に満たなければ、その効果を得る事はないので、実質効果点数のみ捨てている状態ではあるが。


 こうした手を使うのも、効果点数は低くとも魔力点数の高い、低料金の素材があるからだ。


 ティザーベルは素朴な疑問をクイトにぶつけた。


「魔力点数が規定に達していて、効果点数が達しない場合は?」

「その場合は同じ効果点数を持つ素材を使えばいいよ。基準にするのは効果点数の方。これは魔法薬、魔法道具どちらでも同じ」

「なるほど」


 確かに、望む効果を得られるように作る訳だから、魔力が足りていても、効果が足りていなければ意味がない。


 それにしても、点数とは……


 ――多分、計算出来る数式とかあるんだろうけど、前世では数学苦手だったからなあ……


 地道に手で計算する以外にあるまい。その事を今から嘆いていると、クイトが満面の笑顔でこちらを見た。


「じゃあ、まずは簡単な傷薬から作ってみようか」

「……はい」


 早速、実地で訓練をするようだ。ちなみに、魔法薬の一番スタンダードなものは、この傷薬である。


 ただの傷薬と侮るなかれ。優れた魔法薬師の作る傷薬は、切られた腕や足でさえ元の状態に戻すと言われている。もっとも、そこまでになるともはや伝説クラスの薬師ではあるが。


 用意されたのは、シュゾフとヒーズバル。北のゲシインで見た魔法植物だ。それがそれぞれ一山程用意されていた。


「素材はこれね。作るのは切り傷用の薬で、魔法薬の中でも安価だから、誰でも買える」


 いわゆる、家庭の薬箱に一つは入っているというやつだ。冒険者でも、携帯している人が多い。


 シュゾフの効果は化膿止めで効果点数は二、魔力点数は一。ヒーズバルの効果は自己治癒能力上昇(極小)で効果点数は一、魔力点数は二。


 これを、化膿止めの点数を四十八、自己治癒能力上昇(極小)の点数を六十五、傷薬としての魔力点数を百二十八にしなければならない。


 計算すると、シュゾフは二十四本、ヒーズバルは計算の必要がないので六十五本。必要魔力点数は既に百二十八を超えているので、他に入れる必要もない。


 まずはシュゾフを乾燥させて粉砕する。この工程は魔力で行う方が間違いがなくていいらしい。


 次にヒーズバルは大鍋に湯を沸かし、沸騰してから全量を入れて煮出す。ヒーズバルは煮すぎても効果が薄れる事はないので、遠慮なく煮る。むしろ煮溶かす勢いだ。


 工房には竈も大鍋もあったので、こちらも遠慮なく使わせてもらう。ティザーベルが鍋をかき混ぜていると、クイトがのぞき込んできた。


「ああ、いい感じだね。ここを手抜きする人もいるけど、本当にどろどろにしていいから」

「わかりましたー」


 教師の許可が出たのだ。張り切って煮溶かそうではないか。何やら悪い笑みを浮かべつつ、ティザーベルはゆっくりと鍋をかき混ぜる。なんだか、古くさい魔女にでもなった気分だ。


 中身がどろどろになったあたりで、一度煮汁をこす。さすがに専用の布がないので、今回は魔力で代用だ。


 大体布と同程度に魔力の糸を編み、そこに鍋の中身を空ける。目には見えない網で細かい繊維などがこし取られ、下の鍋には液体部分のみが落ちた。


 その下の鍋に、先に粉砕しておいたシュゾフを混ぜる。そして、ここからが本番だ。


「混ぜたら、今度は君の魔力を加えていく。少しずつね。加えるたびに変化していくから、そこら辺も観察するように」


 クイトに言われて、鍋に向かって魔力を注いでいく。普段の糸を伸ばす時と同様に、細く長く。


 すると、本当に中身の表面が変わった。質感が液体からジェル状になるのだ。ただ、変化するのは魔力に触れた部分だけらしく、混ぜるとすぐに液体の質感に戻っていた。


 そんな事を繰り返していくと、やがて鍋の中身はすべてジェル状になる。


「あ、そこでストップ。こうやって、全体が軟膏の状態になったら終わり。簡単でしょ?」

「作業自体は」


 これだけ見た目で変化が現れるのなら、確かにやりやすい。だが、すべての魔法薬がこうなるという訳でもあるまい。


 ちらりと見たクイトは、相変わらずにこやかだ。


「この傷薬、魔法薬の基礎的な部分を全部持ってるから。他の魔法薬も、それぞれ完成すると見た目が変わっていくんだ。特徴なんかは作りながら教えるよ」

「それ、作るのは私なんですよね?」

「うん、もちろん。だって、君が覚えるんでしょ?」


 思わず心の中だけで「ですよねー」と答えておいた。




 出来上がった傷薬は、このままティザーベルが持っていていいという。


「君は薬師協会に登録していないから、売っちゃだめだからね。ただ、自分で使う分には問題ないよ」

「薬師協会……登録って、出来るんですか?」

「うーん、難しいかな……今の協会って、推薦を受けないと登録出来ないんだよ。で、推薦出来るのは協会に登録済みの親方だけ。大抵はその親方のところで修行して、一人前として認められたら推薦してもらえるって形なんだ」


 という事は、この先魔法薬師として生きていく道はないという事か。もっとも、最初からそれは考えていないので問題ない。


 それよりも、何か入れ物を用意しないと、鍋のまま下宿先まで持って行く訳にもいくまい。


 クイトによれば、魔法薬を入れる器は何でもいい訳ではないようだ。


「保存期間を考えると、魔法道具を使った方がいいから……あ!」


 いきなり大声を上げたクイトを驚いて見ると、彼はいかにもやってしまったといわんばかりの表情をしている。


「先に入れ物を作ればよかった……」


 そう言ってくずおれるクイトに、ティザーベルは微妙な視線を投げかけていた。

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