九十三 大物取引
ハドザイドとの連絡は、実は繋いだままの魔力の糸を介して行った。いきなりの連絡だったが、相手は嫌な素振りすら見せず、誠意ある対応をしてくれる。
『なるほど、わかった。私には心当たりはないが、なんとか出来そうな人物に心当たりがある。そちらの人物を紹介しよう』
『ありがとうございます』
『そうだな……三日後を目処に、こちらから連絡する』
『了解です』
後は、ヤード達の方だ。彼等には魔力の糸での連絡が出来ないので、直接赴く必要がある。
帝都に戻った時に、定宿を聞いておいたのだ。ティザーベルの下宿からは、ちょうどギルドの本部を挟んで反対側にある安宿にいるのだという。明日辺り行ってみよう。
何のフラグが立ったのか、翌日イェーサとお茶を楽しんでいるところに、ヤードとレモが訪ねてきた。
「どうしたの?」
「先の事で、少しな」
「出られるかい? 嬢ちゃん」
レモの言葉に、ティザーベルは頷く。どのみち朝食を食べる為に出ようと思っていたから、ちょうどいいので一緒に朝食を、という事になった。
行きつけの定食屋で食べてから、例の店の二階に入る。店は開いていなかったが、店主が仕込みの為にいたので、頼み込んで使わせてもらったらしい。
「ギルドの二階を借りれば良かったのに」
「あまり聞かれたくなくてな」
ヤードの言葉に、ギルドの二階の部屋だって、盗聴防止の術式が施されているのになあと思う。意外とギルドの施設は金がかかった設備が多い。
「で? 聞かれたくない話って、何?」
ティザーベルの言葉に、ヤードとレモはお互いに顔を見合わせている。どちらが話すべきか、決めてこなかったのだろうか。
こういう場合はレモが口火を切るのかと思いきや、ヤードが口を開いた。
「しばらく、依頼を受けるのはやめようと思うんだが」
「別に構わないよ。辺境の関連で、大分稼いだから。魔物素材の方も、収入の見込みが期待出来そうだし」
そんな事を改まって話に来たのか。別に聞かれても問題のない内容だと思うのだけれど。
そう思っていると、レモから問われた。
「嬢ちゃんは、何も聞かなくていいのか?」
「何を聞くのさ。依頼受けないで何するつもりだーとか? パーティーのメンバーとはいえ、詮索はしないのが冒険者じゃないの?」
あっけらかんと答えると、ヤードもレモも驚いた様子でいる。そんなにおかしな事を言っただろうか。
「これでパーティー解散、とかなら突っ込んで理由を聞くけど、しばらくお休みしましょうってだけでしょ? ちょうどこっちもやりたい事があるし、いいんじゃない?」
ハドザイドから連絡が来れば、しばらくは帝都で勉強三昧になるだろう。本当は、今日その事を二人に伝えるつもりだったのだけれど、二人も他にやる事があるのなら、ちょうどいい。
二人は肩透かしを食らったようで、なんだか腑に落ちない表情だ。
「あ、そうだ。ゲシインやら他の場所で狩った魔物、引き取り所に出したら競売にかけるってさ」
ついでに昨日引き取りに出した、魔物素材の話をしておく。
「ほう」
「そういや大分珍しいって、嬢ちゃんも言ってたな」
やはり、魔物に関しては値段にも興味がないらしい。移動倉庫内にある全部の魔物を売り払ったら、一生働かなくても食べていけるくらいになるかもしれないのに。
もっとも、三等分したら働かなくてもいい年数が少なくなるだろうけれど。
ハドザイドから連絡が来たのは、二人と話した日の三日後だった。
『今日の午後一時に、ギルドに来てくれ。話は通してある』
「行けばいんですね?」
『ああ』
現在時刻は午前十時。午後一時にはまだ間がある。
「あ、そうだ」
デロル商会に行って、ゴーゼに会いに行こう。まだシンリンオオウシを狩った事を知らせていない。出来ればそのまま、引き取ってもらいたいものだ。
ラザトークスに滞在中、デロル商会の支店を覗いたけれど、ゴーゼの姿は見られなかった。多分、彼はまだ帝都にいる。
もしかしたら、もう別の支店に配属されているかもしれないけれど、その時はその時だ。移動倉庫内なら、素材は腐りもしないのだから。
下宿からデロル商会本店までは、歩いてもそんなにかからない。帝都に出てきたばかりの頃、この道をゴーゼに連れられて歩いたのがもう懐かしく感じられる。今の下宿は、彼に紹介してもらったのだ。
デロル商会は、帝都でも類を見ない高層建築だ。下手をしたら、皇宮よりも高い建物なのではないだろうか。
もっとも、皇宮は小高い丘の上に建つ巨大な建造物なので、あちらの高さを抜くのはかなり難しいだろうけれど。
ティザーベルは一階の案内所に向かった。
「すみません。ゴーゼさんに会いたいんですが」
「はい、何階のゴーゼでしょうか?」
まさか、階数を聞かれるとは思わなかったティザーベルは、一瞬言葉に詰まった。だが、よく考えてみれば、デロル商会の本店はこの大きさだ。同じ名前の人間が複数働いていても不思議はない。
「いや、それはわからないんですけど……えーと、ラザトークスの支店長をしてらしたゴーゼさんです」
「……少々お待ちください。失礼ですが、お名前をよろしいでしょうか?」
「ティザーベルといいます」
そのまま待つ事しばし、先程の案内嬢が慌てている。
「失礼いたしました。支配人がお会いになるそうです。ご案内いたします」
支配人? 聞き慣れない言葉に首を傾げつつも、ティザーベルは案内嬢の後をついて行った。
以前ザハーと会った時同様、エレベーターで上階まで上がる。通されたのは、まさしくあの時入った会頭の部屋だ。
ゴーゼは、あの時同様ザハーと共にソファセットに座っていた。ティザーベルが入っていくと、立ち上がって歓迎してくれる。
「やあ、お久しぶりですね、ティザーベルさん」
「ご無沙汰しています、ゴーゼさん」
にこやかに返すティザーベルは、ゴーゼに促されてソファに腰を下ろした。
「今日はまた、どうなさいましたか?」
「実は、しばらく辺境を巡っていたんですけど」
辺境という一言に、ゴーゼの目が一瞬きらりと輝く。
「何か、珍しい素材を持ち帰られましたか?」
「さすがはゴーゼさん。実は、ギルドを介さないで買い取っていただきたいものが……」
ゴーゼは一瞬ザハーと視線を交わした。ザハーが軽く頷いたのを受けて、ゴーゼがこちらに答える。
「まずは、素材そのものを見せていただいていいですか?」
「ええ。では、広い場所を用意してもらっても構いませんか?」
広い場所という言葉にも、ゴーゼは一瞬で反応した。彼なら、ティザーベルがラザトークスでどんな「大物」を仕留めていたか知っている。反応したのは、大物を仕入れられる事に対する期待だろう。
ゴーゼは、すぐに場所を用意してくれた。この場所は、新設したばかりの大型倉庫だそうだ。
「ここならば問題ありませんか?」
「ええ、十分です」
ギルドの引き取り所など目ではない。だだっ広い空間は、並の公共浴場なら二つくらい丸々収まりそうだ。
ここなら問題あるまい。ティザーベルは移動倉庫からシンリンオオウシを取り出した。出した瞬間、軽い地響きがしたのはご愛敬である。
巨大なシンリンオオウシは、この倉庫の半分近くを占めてしまった。大森林の中でも大きいと思ったけれど、こうした場所で見てもやはりでかい。
振り返ると、ゴーゼだけではなく一緒に来ていたザハーも目を丸くしていた。さすがに高名な商人とはいえ、これだけ大きな魔物を丸ごと見る機会などそうそうなかったのだろう。
「どうです? 買い取ってもらえますか?」
無邪気なティザーベルの言葉に、ゴーゼがやっと再起動した。額から流れる汗を、取り出したハンカチで拭いている。
「いやあ、まさかシンリンオオウシとは……ここまでの大物を出されるとは思っていませんでした」
「ちょっとした偶然で仕留めたんです。本当ならラザトークスの支部に引き取ってもらった方がいいんでしょうけど、ちょっとあそこの人間が苦手で……」
皆まで言わずとも、ゴーゼには通じたらしい。普段から街中で「余り者」の誹りを受けていた事は、彼も知っている。
そういえば、ゴーゼも「外の人」だ。リサント支部長同様、あの街特有の考え方が好きになれなかったのかもしれない。
「そのお気持ち、わかりますとも。ですが、それなら帝都の本部に引き取りに出しても良かったのでは?」
「実は……既に他の珍しい素材も大量に出してまして……」
競売にかけられるのが確実で、しかも高値が予想されている。そこにこのシンリンオオウシを出した日には、ギメント達がパニックを起こしかねない。
その辺りを濁しながら説明すると、ゴーゼも笑い出した。
「なるほど。そういう事ですか。わかりました。ぜひ、我が商会で引き取らせてください。うちにも腕のいい解体職人がたくさんいますからね。いいでしょう? 兄さん」
「当たり前だ。こんな大物、他の商会に持って行かれたら、うちの名が廃る。逆にこちらがお願いして引き取らせてもらう立場じゃないか」
そう言って笑うザハーに、ゴーゼもまた笑う。どうやら、取引は成功のようだ。
解体して価格の査定が出るまでに、時間がかかるという。
「そうですね……四日はもらえますか?」
「わかりました。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よい取引をありがとうございます」
これで無事にシンリンオオウシがはけた。と、そこで唐突に思い出す。
「あ、ゴーゼさん、申し訳ないですが、お肉だけ少し戻してもらっていいですか?」
「もちろん構いませんとも。どの部位をお望みで?」
部位を聞かれるとは思わなかった。ティザーベルは咄嗟に前世の記憶を思い出す。
とはいえ、サーロインだのリブロースだのと言って、こちらで通用するものでもない。
「背骨の両脇の肉で、中程のをください」
「ふむふむ。承知しました。どのくらいご入り用ですか?」
「んー、一塊で」
こちらで言う一塊とは、大物魔物肉に使われる単位で、大体成人男性が両腕で抱えるくらいの大きさを言う。
――そのくらいあれば、セロアと私、それにザミ達と一緒に焼き肉パーティーしたって間に合うでしょ。
間に合わなければ、他の肉を足してもいい。シンリンオオウシは、その肉の旨さでも知られている魔物だ。いい肉を少しでも食べられればいいだろう。
「では、肉の方も四日後の引き渡しで構いませんか?」
「はい」
ゴーゼは手元のメモに何やら書き付けている。その姿を眺めながら、ふと思い出した事があった。菜々美の事である。
「そういえば、ゴーゼさん。菜々美ちゃんに何やら余計な事を言ったそうですね?」
「はて? 余計な事とは? そうそう、彼女とは仲良くなったそうで、良かった事です。何せ、彼女はこちらに知り合いがまるきりいないんですから」
うまくとぼけられた上に、話まで反らされた。さすがはやり手の商売人である。
とはいえ、確かにゴーゼが焚き付けなければ、菜々美とは出会わなかったかもしれない。貴重な同郷人だ。大事にしなくては。
そんな事を思っていると、思わぬ方から声がかかった。
「そうか、君が菜々美の言っていた友達か」
素材確認に同席していたザハーだ。この世界に迷い込んだ菜々美を助け、その後も保護者兼後見役として側にいる。
年齢的にも、どうやら彼にとって菜々美は娘のようなものらしい。
――本当良かった、ロリ的なアレでなくて……
最初に菜々美に話しを聞いた時、一瞬そう考えてしまった自分を恥じたティザーベルだ。ザハーは、どこまでも善意で菜々美を助けただけらしい。
そのザハーが、まるきり父親の顔で言った。
「これからも、菜々美と仲良くしてやってくれ。彼女は、家族も何もかもなくしているんだ」
彼のこの言葉は重い。日本に家族を残していきなり転移してしまった菜々美は、最初のうちは泣き暮らしていたと言っていた。
それでも若さ故の柔軟さか、それとも元来の性格なのか、なってしまったものは仕方がないと割り切り、この国で生きていく術を模索している。
現在はデロル商会で働いているけれど、いつまでもザハー達に甘えるのは良くないとも言っていた。できるだけ早く独り立ちしたいらしい。
だが、ここでそんな彼女の本音を話す訳にもいくまい。ティザーベルはにっこり笑って言った。
「ええ、もちろん。私も私の友達も、彼女が大好きですから」
嘘ではない。同郷人という事を抜いても、これからもいい付き合いが出来そうだと思っている。菜々美の素直な性格なら、まず敵を作る事も少ないのではないだろうか。
それよりも、ティザーベルには一つ懸念があった。
「……ご存じの通り、私は冒険者家業をしています。世間からこの職業がどんな目で見られているかは、知っているつもりです。それでも、大事な菜々美さんの側に置いてもいいと思われますか?」
ある意味、賭けのような言葉だ。だが、ティザーベルの言葉に嘘はない。
ゴーゼの贔屓があるとはいえ、冒険者などならず者の集まりである事に変わりはないし、そう見られている。
そんなティザーベルと一緒にいると、菜々美も偏見の目で見られるようになるのではないか。そう思われてもおかしくはなかった。
さて、ザハーはどう返してくるか。身構えていると、何と彼は腹の底から笑い出したのだ。
ぎょっとしているティザーベルに、ザハーはようやく笑いを収めて言った。
「そんな事を気にしていたのか。いや、申し訳ない。君達当事者にとっては軽いものではないのだな」
ザハーはそう言って、軽い溜息を吐く。
「これでも商売人、人を見る目はあるつもりだよ。その私の目から見て、あなたは信用に足る人間だ。ゴーゼもそう思うだろう?」
「ええ、もちろん」
「確かに偏見の目で見られがちな冒険者だし、事実そうした連中も多いのは知っている。だが、逆に大きな仕事を任せられる、信用の置ける人間も多い職業だと思っているよ。そういう意味での遠慮はいらない。堂々と菜々美と友達でいてやってくれ」
さすがに、ここまで面と向かって「信用に足る」と言われたのは初めてだ。冒険者に対しても、普通の態度で接してくれる人もいるのだと、帝都に来て思い知ったティザーベルだが、ザハー程欲しかった言葉を言ってくれた人もいない。
胸の辺りが温かくなるのを感じながら、小さく「はい」とだけ答えた。
肉の方も四日後に引き取りと決まり、ティザーベルはデロル商会を後にした。
さあ、これからは本日一番の目的、ギルド本部である。
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