九十二 藤沢菜々美

 ティザーベルは、今し方聞いた名前に呆然としている。いや、それより目の前の少女の顔立ちにか。


 どこからどう見ても、帝国風の衣装を着た日本人だ。外見から、高校生かいっても大学生と思われる。


 そんな少女、藤沢菜々美がこちらをひたと見つめていた。


「あの――」

「ラザトークスの、ティザーベルさん……ですよね?」


 何と声をかければいいのかわからないティザーベルが声をかける前に、菜々美の方から確認がくる。


 思わず、「はい」と正直に答えてしまった。


「あの……私、ゴーゼさんに聞いたんです。あなたが私の名前を騙った人に、酷い目に遭わされたって。婚約者を奪われたんですよね!? 本当にごめんなさい!!」


 菜々美の言葉に、ティザーベルは瞬時に固まる。何故、こんな場所でそんな黒歴史を暴露されなくてはならないのか。


 案の定、周囲からは興味本位な視線が集中している。ゴーゼも、どうしてそんな個人的な事を彼女に話したのか。


 ――無関係……とも言えないけど、思いっきり遠いし直接は関係してないのに!


 偽ナナミに関しては、本物を前にしてあちらが偽物と知れたんだろう。それに、ラザトークス支店からも情報が来ているだろうし。


 それにしても、この場を何とか納めないと、周囲のピラニアのような連中に食いつかれかねない。他者の過去は詮索しないのが冒険者の流儀だが、こうまで大勢の前でバレた場合はそこらも吹き飛ぶ。


 ティザーベルは何とか愛想笑いを顔に貼り付けて、ナナミに向き直った。


「えーと、とりあえずあなたの責任ではないので」

「でも!」

「本当に、大丈夫です。大体、あなたも自分の名前を騙られた被害者でしょう?」


 ティザーベルの言葉に、菜々美は言葉に詰まる。素直な子だ。それがティザーベルの見た菜々美の印象である。


 それにしても、わざわざそんな事を言いにギルド本部まで来たのだろうか。女性でも冒険者はいるし依頼者もいるから、全く女性が寄りつかないという事はないけれど、やはり彼女くらいの年齢の少女が一人で来る場所ではない。


 現在は菜々美と同年代のティザーベルは、自分の事を棚上げしてそう思った。


「とにかく、あなたからの謝罪は本当にいらないから。安心して。ね? それに、こんなところで騒ぐと周りの迷惑になるから」

「……わかりました」


 菜々美は渋々といた様子だが、了承してくれたらしい。これで終わったと思いきや、次の爆弾が破裂した。


「あの、もう一つ聞きたい事があるんですけど。というか、こっちが本題です」

「何?」

「オダイカンサマって、誰がつけたんですか?」


 前世日本人を簡単に探せるように。そう思ってつけたパーティー名が、思わぬところで威力を発揮したらしい。




 ギルドの二階にある部屋は、申請すれば無料で貸し出してくれる。その二階の一室に、ティザーベルはセロア、菜々美と共にいた。ちなみに、ザミは先に帰している。


「さて、何から話せばいいんだか……」


 いざ同じ日本人……否、ティザーベルとセロアは前世が日本人というだけなので同じとは言えないが、日本からの転生ではない転移者を前に、何から話せばいいのか迷う。


「最初から話せばいいじゃない。転生者でも転移者でも、あんまり変わらないでしょ。ってか、大変な思いをするのって、転移者の方なんじゃないの?」


 隣に座ったセロアの言葉に、それもそうかと思う。改めて向き直ると、目の前の菜々美は目を丸くした。


「てんせいしゃ? てんいしゃ? え? あれ?」


 首を傾げる菜々美に、ティザーベルが苦笑しながら説明する。


「うん、いきなりで混乱するよね。ごめんね。単刀直入に言うけど、うちのパーティー名を決めたの、私なんだ。で、私とこっちのセロアは前世日本人の記憶を持つ転生者です」


 一拍おいて、菜々美が絶叫した。


「え!? 転生? そんな事って本当にあるんですか? 信じられない!!」

「いや、それ言ったら転移だってあり得ないでしょうが」

「あ、そうか」


 一転して納得している菜々美に、ティザーベルもセロアも笑いを隠せない。本当に素直な性格のようだ。


 結局菜々美も笑ってしまったのだが、それは段々と泣き顔に変わっていった。


「菜々美ちゃん」

「ご、ごめんなさい……でも、なんだか……」


 セロアが名前を呼んだのに対し、そう返した途端、菜々美は本格的に泣き出した。セロアがそっと彼女の隣に席を移して肩を抱く。


「辛かったね。大変だったね。今まで、怖い思いもたくさんしたでしょ」


 セロアが使ったのは日本語だ。それを聞いて一度は驚いて涙が止まった菜々美は、だがすぐにまた大泣きしながら頷いていた。


 ティザーベル達も、お互いが日本からの転生者だとカミングアウトし合った後は、お互い日本語で散々おしゃべりしたものだ。


 そうして菜々美が泣き終えるまで待った後、少しずつお互いの事を教え合った。

 ティザーベル達はラザトークスで生まれ育った事、いつ頃前世の記憶を取り戻したのか、記憶はどの辺りまであるのかなどだ。


「私は割と最初から記憶があったなあ……おかげで子供らしくないって気味悪がられたけど。前世の記憶はぼんやりこの辺りに住んでてこのくらいの年齢って事は覚えてる。でも、死因はわからないんだよね。もしかしたら事故か発作でぽっくり逝ったのかも」


 ティザーベルの後に、セロアが語り始める。


「私は年齢と共に徐々に思い出した感じかな。あ、でも両親が火事で亡くなった時に一挙に残りの記憶が蘇った感じ。前世は三十歳くらいまで生きて、病気で亡くなったはず。入院していたのは覚えてるから」


 同じ日本からの転生者といっても、バラつきはあるようだ。感心しながら聞いていた菜々美は、ティザーベル達に促されて自分の境遇を話し始めた。


「私は、気づいたらこっちに来てたんです。学校からの帰り道、気づいたらこっちの道を歩いていて……景色が見た事ない場所でびっくりしました。半泣きで走ってたら、馬車に乗った人に拾われて――」

「大丈夫だったの!?」


 ティザーベルとセロアの声が重なった。勢い込んで聞いてしまったせいか、菜々美が驚いている。


 心配した事はわかっているので、すぐに笑いながら教えてくれた。


「大丈夫です。いい人に拾われたので。今も、その人のところでご厄介になってます」

「誰なの? その出来た人」


 帝国には基本奴隷制度はないが、どこの世界にも悪い人間というのはいるものだ。実際、冒険者をやっているティザーベルは何人もの盗賊を捕まえて報奨金を得ている。


 そんな彼女からの問いに、菜々美はあっけらかんと答えた。


「デロル商会のザハーさんです」

「はあ!? デロルの会頭じゃない!」


 大声を上げたセロア同様、ティザーベルも驚いている。デロル商会のザハーといえば、帝国一の大店を切り盛りするやり手商人だ。


 だが、一方で納得も出来る。デロル商会のモットーは地域社会への貢献だ。むやみやたらな人助けはしないけれど、いわゆる慈善活動には商会をあげて熱心に関わっている。無論、会頭のザハーもそうだ。


 おそらく、菜々美を助けたのもそんな慈善活動の一環なのだろう。あからさまに帝国人ではない彼女の事を、他国からの流民とでも思ったのではなかろうか。


 菜々美の言によると、いきなりの転移だったので、言葉も文字もわからずに苦労したそうだ。今では会話も読み書きも出来るので、デロル商会の裏方で働いているという。


「いつ頃、こっちに来たの?」


 セロアの問いに、菜々美ははっきり答える。


「約二年半前です」

「二年半で、そこまで……」


 セロアの驚きもわかる。菜々美本人が言ったように、相当苦労したのだろう。彼女の話す帝国公用語は、訛りもなくとても綺麗な発音だ。


 謙遜の日本人気質からか、菜々美はセロアの言葉に顔を赤らめて言った。


「でも、発音は割と楽だったから……これで発音が日本人に難しいタイプの言語だったら、もっと時間がかかっていたと思います」

「いやいや、それを抜きにしたって、わずか二年半でそこまで使いこなすのはたいしたものだよ」

「ティザーベルさん達こそ、転生なのに日本語、そのまま発音出来るんですね」


 菜々美の言葉に、ティザーベルとセロアはお互いに顔を見合わせる。


「あー……セロアはどうだった?」

「最初はうまく発音出来なくて、散々練習したわ。お母さんに隠れながらやるの、大変だったー。ベルは?」

「私の場合は先に日本語が出てきちゃって、そっから帝国の言葉にしていくのが大変だった」

「マジか」

「マジだ」


 そんないつものやり取りをしていると、菜々美が笑い出した。


「な、なんか面白い」

「面白いとは何事か」

「失礼だな」


 そんなティザーベルとセロアの返答までがおかしいらしく、菜々美の笑いの発作はしばらく治まらなかった。




「それじゃあ、また」

「うん、いつでも来て。私は大抵カウンターにいるから。いなくても、受付の誰かに言付けてくれればちゃんと伝わるし、ベルへの伝言も受け付けてるからね」


 セロアの言葉に、菜々美は「はい」と笑顔で答えている。確かに、連絡がつきやすいのはセロアの方だ。


「私はいつ本部に行くかわからないし。……また強制参加の辺境ツアーに行かされるかもしれないし」

「そこ、暗くならない」


 無理だと言う代わりに、じとっとした目でセロアをにらむと、軽いチョップで返された。それを見て、また菜々美が笑う。


 それにしても、こういう時携帯電話がないのが恨めしい。それを口にすると、セロアがあっけらかんと言ってきた。


「いっそ作ってよ」

「無茶言うな」

「だって、魔法道具の作り方を教えてもらうんでしょ? 移動倉庫だって、待ってるんだからね」


 そういえば、ハドザイドへの貸しを返してもらう内容として、魔法道具と魔法薬の技術指南をしてくれる人物を探してもらおうと思っていたのだった。菜々美ショックが大きすぎて、すっかり頭から飛んでいたのだ。


 しばらくは新規の依頼を受ける予定も立っていないし、帝都で腰を据えて勉強というのもいいだろう。


 当面の目標が出来たティザーベルは、菜々美を見送りながらこれからの事を考えていた。


 まずは指南役を見つけてもらう。そして、できる限りの魔法道具と魔法薬の技術を身につけるのだ。


 その為にも、はやいうちにハドザイドと連絡を取らなくては。

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