八十八 引導を渡す

 ハドザイドからしばらく街に滞在するように言われた翌日、三人はギルド支部にいた。


「どうせ待つなら、素材採取でもしようかなって」


 欲しい素材もある事だし、ついでに依頼も受ければ一石二鳥だ。


「ラザトークスじゃあ、植物素材の採取依頼も豊富だしね」

「植物……」

「また、人を食う代物じゃねえだろうなあ? 嬢ちゃんよ」


 ヤードとレモは、昨日森の中で聞いた話を思い出したらしい。少し脅しすぎただろうか。


「やだなあ、大丈夫だって」

「本当か?」

「もし食人植物系に当たっても、ちゃんと私が倒すから」

「そう意味じゃない!」


 ヤードとレモの言葉、綺麗にハモっていた。その様子がおかしくて笑っていると、背後から声がかかる。


「ベル?」


 振り向くと、泣きそうな顔をしたユッヒがいた。頬や腕には治療後のガーゼが貼ってある。傷も魔法薬なら速効で治るが、薬屋の傷薬は治るのに少し時間がかかるのだ。


「あら、おはよう」


 挨拶だけすると、ティザーベルはヤード達に「いこ」と言って掲示板へと向かう。

 ヤードが小声で聞いてきた。


「いいのか?」

「何が?」

「あれ」

「いいも何もないんじゃない?」


 これで向こうが諦めてくれれば上々、まだ諦めないのであれば、もう少し人目のないところでヤードに芝居をしてもらわなくてはならない。


 そこでふと、隣に立つ彼を見上げた。


「……何だ?」

「何でもない」


 レモの言葉に乗せられて「恋人のふり」をしてもらう事になったはいいけれど、果たして彼に「ふりをする」なんて事が出来るのだろうか。


 しばらく考え込んだティザーベルは、何とかなると判断を下した。いざとなったらユッヒの前でヤードに抱きつけばいい。後は向こうが勝手にあれこれ考えてくれる。


 ティザーベルは、再びヤードを見上げた。


「振り払わないでね」

「何がだ?」


 首を傾げるヤードを放置して、ティザーベルは掲示板で良さそうな依頼を探す。後ろからユッヒの視線を感じたが、あえて無視した。




 今日も大森林は鬱蒼としていた。その森を見上げて、レモがぼそりと呟く。


「……本当に、戻ってるんだな」

「木の事? だから言ったじゃない」

「そりゃそうなんだけどよ」


 レモの言いたい気持ちもよくわかる。自分の目で見たことがなければ、ティザーベルだって疑う内容だ。


 樹齢千年越えの大木が、一夜にして元の大きさに戻るなど、誰が信じるか。


 今日の依頼は魔物素材と植物の採集だ。大森林は魔力が豊富なせいか、魔物が多いけれど魔法植物も多い。


 ゲシインとはまた違う魔法植物が多く、この森の固有種も数が豊富だ。今日狙うのは、そんな固有種の採集だった。


 ラザトークスから大森林への道は、多くの冒険者や木こり達が行き来している。その中に紛れて、今日もユッヒがついてきているようだ。


 当然、ヤード達も気付いている。


「ついてきてるぞ」

「そうね。放っておいていいよ」


 ヤードが一応という感じで聞いてきたので、適当に返す。彼も特に背後が気になるという訳ではなく、一応聞いただけらしい。その後は何も言われずに森の中を進む。


 今日は魔物素材狙いではないので、ティザーベル以外の二人が気楽そうだ。


「そんなに魔物討伐は嫌?」

「何となく」

「あの形状その他がなあ……」


 人間は簡単に切り捨てるくせに、と思いつつも口には出さないでおく。ティザーベルにとっての対人戦が、彼等にとっての対魔物戦なのだと思えばいい。


 今日の目当ては森の比較的浅い区域に生えている魔法植物だ。


「この辺りからかな」

「今日採取するのは、どんな植物だ?」

「んっとね、こんなの」


 ヤードからの問いに、ティザーベルは移動倉庫から一枚のカードを取り出した。そこには、植物のイラストが描かれている。


 ギルドで配られている、採取植物の絵と名前が記されたカードだ。


「これ。魔法道具の触媒に使うものだね」

「なるほど」

「これなら、二手に分かれても問題ねえな?」


 ヤードと一緒にカードを覗きこんでいたレモの言葉に、ティザーベルは首を傾げる。


「確かに問題ないけど……」

「今日でケリつけておいた方が良かないか?」


 そうほんの少しだけ視線を向けた先には、木の陰に隠れるようにしてこちらを伺っているユッヒがいた。


 ヤードのあきれた声が耳を打つ。


「……あれで隠れているつもりか?」

「本人的にはね」


 一応、森の中での行動の仕方などは、冒険者になったばかりの頃に講習を受けているのだが、すっかり忘れているらしい。


「背後ががら空きじゃねえか」

「おじさんも、そういう問題じゃないから」


 二人は冒険者観点からユッヒの行動のまずさを指摘しているが、こそこそと後をついてくるその心根が問題なのだ。


 確かに、レモが言う通りとっととケリを付けた方がいいのかもしれない。


「んじゃ、そういう事で」


 ティザーベルが考え込んでいると、レモが軽く手を上げてそう言った。


「へ?」

「俺は向こうで探すわ。そっちは二人で頑張れ」


 二重の意味での「頑張れ」か。確かに、ケリを付けるならレモがいない方がいい。

 さっさと離れてしまったレモの背中を見送ったティザーベルは、ヤードと顔を見合わせた。


「頑張れって」

「……探すか」

「うん」


 まずは依頼だ。そのついでに、自分の欲しい魔法薬草も見つかるといい。丁度依頼で出ていた植物と同じような場所に自生する植物だから、うまくすれば採取出来るだろう。


 二人でレモとは反対の方向へ進んで少し、背後から声がかかった。


「ベル!」


 何かを決心したようなユッヒがそこにいる。とうとう自分から動く気になったらしい。


 ティザーベルは、深いため息を吐いてから振り返った。


「まだ何か用なの? ユッヒ」


 彼に対しては、殊更冷たくするようにしている。フラれた側なのだから当然という面と、二度と関わりたくないと思ってもらうようにという面からだ。


 そんなティザーベルの態度に、ユッヒは腰が引けていた。


「お、俺……」


 言い淀むユッヒを眺めながら、ティザーベルはそっとヤードに寄り添う。相手も心得たもので、ごく自然な様子で彼女の肩を抱き寄せた。


 こちらを見るユッヒの顔が歪む。


「で?」

「俺……やっぱり俺も、帝都に行く!」

「はあ?」

「俺も帝都に行って、ベルと一緒に暮らす! だから、一緒に行こう!」


 ダメだこりゃ。あやうくそう口から出そうになった。ティザーベルの様子にも気付かず、ユッヒは得意満面に続ける。


「ベル、帝都で悪い奴らに目を付けられたんだろ? 俺がいれば、もう大丈夫だよ」


 どう大丈夫なのかという突っ込みはさておき、さすがに引っかかりを覚える言葉だ。確かに厄介な奴に軽く付きまとわれはしたが、あれはあの時期帝都にいなければ知るはずがないのに。


 何故、ユッヒが知っているのか。


「それ、誰から聞いたの?」

「誰って、ノガルだよ」


 当たり前のようにユッヒの口から出てきた名前に、ティザーベルの顔が嫌悪に歪む。


 ――またあいつか。ってか、あの連中、帝都に情報を流してくれる伝手でもあるの?


 ユッヒに集るしか能がないと思っていた連中だったのに、意外な方面で警戒心を煽ってくれる。


 ティザーベルの様子にも気づかず、ユッヒは得意満面で続けた。


「ノガルが言ったんだ。ベルは帝都で捕まった悪い連中から逃げられなくて困ってるんだ、だからお前が助けてやれって」


 そう言うユッヒは、ヤードを睨み付けている。


「お前だろ! ベルを騙した奴は」


 さすがにこの展開には、ティザーベルもヤードも言葉が出ない。正直、そっちかと突っ込みたいところだが、その気力も削がれている。


 まるで異世界にでも迷い込んだような錯覚を覚えるが、そういえば前世から考えればここは立派な異世界だった。


 何だか今更ながらに、目の前の男に対する怒りが再燃する。そういえば、一方的にフラれた時、引っぱたく事すらしていなかった。


 なら、いい機会だからこの場でやろう。


「ユッヒ」

「何? ベル」


 声をかけられたのが余程嬉しいのか、声が弾んでいた。その様子を冷めた目で見ながら、ティザーベルは続ける。


「私達、同じ孤児院で育ったわよね?」

「うん」

「成人して孤児院を出る時、何て約束したか、覚えている?」

「約束?」


 きょとんとしたその顔から、覚えていないのだと悟った。益々彼女の心が冷めていく。


「そう、覚えていないの。残念ね」

「お、覚えてるよ! えっと……そう! ずっと一緒にいようって約束だよな!?」

「違うよ。将来は結婚しよう、よ」

「あれ……?」

「でも、あんたはナナミって子と結婚を決めた」

「いや、でも、あれは」

「ねえユッヒ。どうして心変わりをしたあんたを、私が許すと思うの?」


 感情が高ぶっているせいか、魔力の制御が甘くなっている。立ち上る魔力で長い髪が揺れて浮き上がり、周囲の草木もざわついた。


 ユッヒは逃げ出したいのだろう。でも、目の前のティザーベルが怖くて足がすくんでいるのだ。


 ティザーベルはゆっくりとヤードから離れてユッヒに近づいた。


「あの時、本当はこうしておけば良かったのよね!」


 そう言って、腕に身体強化強を掛けてから思いきりユッヒの頬を殴り飛ばした。


 いくら強化を掛けても女の細腕、そう威力は出ないだろうと思ったのだけれど、意外と威力はあったらしい。


 吹っ飛んだユッヒは近場の木に激突して意識を飛ばしている。


「あー、すっきりした!」

「大丈夫か?」


 背後からヤードが声を掛けてくる。結局、彼の協力はあまり必要ではなかったようだ。


「大丈夫でしょ。多分」

「いや、手の方だ」

「平気。ちゃんと結界張ったままだから」


 そう、ユッヒを殴る時も対物結界は張ったままだったので、顔を殴ったにもかかわらずティザーベルの手には傷一つない。


「さて、じゃあ最後の仕上げといきますか」

「まだやるのか……」


 ヤードの呟きは聞かなかった事にして、ティザーベルは魔力で水を出す。森の中は湿気があるから、水も出しやすい。


 それをユッヒの顔めがけて盛大にかけた。


「ぶひゃあ!」

「目が覚めた?」

「べ……ベル……」


 地べたに倒れたままの体勢のユッヒを上から見下ろし、ティザーベルは静かに伝える。


「私、あんたがナナミって子を選らんだ時からあんたの事はもうどうでもいいの。私にとって、今のあんたはそこらに落ちてる木の葉も同然。これ以上付きまとうなら、もっと痛い目見る事になるかもよ?」

「ひ!」


 焦って後退ろうにも、背後に大木があるので下がることも出来ない。そんなユッヒを放置して、ティザーベルはヤードの元へ戻る。


「あんたには帝都は合わないわよ。一生ラザトークスにいらっしゃい。その方が身のためだから。それに、私にはもう新しい人がいるの」


 そう言って、ヤードの腕をがっしりと抱える。左腕だけれど、思っていた以上に筋肉がついている事に内心驚きつつも、足下で情けない顔をしているユッヒを見下ろした。


 彼は今にも泣き出しそうな顔をしている。昔はそんな彼を叱りつつも、何くれとなく世話を焼いたものだ。


 もしかして、それがいけなかったのだろうか。だが、もうユッヒとはこれ以上関わる事はない。


 最後の情けとばかりに、ヤードの腕を抱えたままティザーベルは告げた。


「あ、それと、悪い事は言わないからノガル達とは手を切りなさい。でないと、一生あいつらに食い物にされるから」


 もっとも、ティザーベルから金を引っ張れないとわかったら、彼等の方から捨ててくるかもしれない。


「じゃあね。はやいとこ森を出た方がいいわよ。この辺りも、魔物は普通に出るから」


 そう言い残して、ティザーベルはヤードの手を引いてその場を後にする。何か言いたげなヤードの気配を、知っていながら知らない振りをした。




 レモとは、その後森を出るまで別行動だった。


「……で? どうだったよ?」

「引導は渡した」

「は?」


 この言い回しがこちらで通じないのはどうかと思うが、それでもこれ以上の言葉が見つからない。


 ユッヒの事は、これで終わりだ。もう向こうから絡んでくる事もないだろうし、心配したノガルの帝都への伝手もないと見ていい。


 最初、帝都の話が出た時には、あちらの情報を得る事が出来る人間がいるのかと警戒したが、単純にヤード達との仲を邪推した結果だった。


 ――ノガル達も辺境辺りで燻ってる連中だってわかったのが、せめてもの救いかな。それにしても、腹の立つ。あいつらのいいように出来ると思われただけでもムカつくわ!


 憮然としたままのティザーベルからはこれ以上聞けないと悟ったのか、レモはヤードの小声で聞いてる。


「結局、決着はついたのか?」

「多分な。豪快に殴ってたから」

「は? 殴る? 嬢ちゃんがか?」

「なかなかいい拳だった」

「言うべき事は、それか?」


 レモの突っ込みに、聞くとはなしに聞いていたティザーベルも内心同意した。他にないのかと言いたいが、当事者なので口にはしない。


 ――今は説明も面倒な感じ。


 これも精神疲労なのだろう。本当に、生まれ故郷の割にはいい事がない場所だ、ラザトークスという街は。


 きっと、唯一のいい事はセロアというお仲間が見つかった事と、リサント支部長と出会えた事くらいだろう。


「後は素材が豊富だった事か」

「何だって?」

「何でもない。そろそろ帰ろうよ」


 独り言をヤードに聞かれたようだ。とりあえず誤魔化して森を出るように促す。


 既に時刻は夕方にかかっている。森が更に危険な場所になる時間だから、街に戻った方がいい。


 依頼の植物も、既に規定数に達している。自分用の素材があまり採取出来なかったのは痛いが、明日にでもまた来ればいいだろう。


 ティザーベルは、森の出口付近で一度振り返った。広大な大森林。この奥には、まだ見ぬ領域が広がっている。


 ラザトークスの街は嫌いだが、この森は不思議と昔から好きだ。冒険者になった時は、いつか未踏破の領域へと絶対に行ってやると思ったものだった。


 今の今まで、すっかり忘れていた。自分もユッヒの事は言えない。彼との因縁もケリは付けたし、今度こそ、前だけを向いて歩いていこう。


 その道は、きっとこの森の奥へと続いている。いつか、この道の向こうへと行くのだ。


 ――その時は、きっと……


 自分の先を行く二人の背中を見ながら、ティザーベルは眩しそうに目を細めた。

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