八十四 シンリンオオウシ

 大森林を進むティザーベル達の背後から、ぴったり付いてくる者がいる。ユッヒだけではない。全部で十人近い人数だ。それらが散開して、つかず離れずこちらを尾行してくる。


 前を向いたまま、ティザーベルがぼやいた。


「気付かれていないとでも思ってんのかな」

「どうだろうな」


 ヤードは関心がなさそうだ。それもそのはず、背後の連中からは殺気らしきものは何も感じない。


 大方、獲物のおこぼれでも求めて付いてきたのかと思ったが、それにしては随分深いところまでついてきている。この辺りは行って帰ってくるだけでも命がけといわれる領域なのだけれど。


「少なくとも、嬢ちゃんの昔馴染みは何も考えていないみてえだぞ」


 レモの言葉に、ティザーベルががっくりと肩を落とす。確かにユッヒは何も考えていないだろう。そうでなければ、もっと浅い領域で引き返すはずだ。


 出てくる魔物は全てオダイカンサマが仕留めてしまうので、ある意味尾行している者達は安全だった。それがまた腹立たしい。


 もっとも、「おこぼれ」など出ないように、片っ端から移動倉庫に収納しているので、追跡者にとっては計算外もいいところだろう。


 冒険者といえど、拡張鞄持ちは意外と少ない。その拡張鞄も、安い物を買うと獲物であっという間に一杯になってしまうのだ。


 背後にいる連中は、獲物を収納仕切れずその場に置き去りにするしかなくなる時を待っているのか。


 ――来ないけどねー、そんな時は。


 何せ、ティザーベルが持っている移動倉庫は容量が無制限だ。しかも時間経過も無効にしているので、狩った獲物が傷む事もない。解体や買い取りの時に状態を褒められるのは、それが原因だ。


 それにしても、これでは彼等の露払いを自分達がしているようではないか。実害がないとはいえ、鬱陶しいのは事実だった。


「……そろそろこっちも入り込むのが限界の領域になってきてるんだけどなあ」


 テヒバンの情報通りなら、そろそろシンリンオオウシの気配くらいは感じられるはずなのだが。


 そう思って周囲を索敵していると、大きな存在が引っかかった。


「いた」

「本当か?」

「目撃情報も、役に立つもんだな」


 レモの言う通り、冒険者の目撃情報は半分近く当てにならない。本人が「見た」と言い張っても、違うものを誤認識している事が多いのだ。


 だが、今回は本当だったらしい。


「まだ少し距離があるか……先に言っておくね。シンリンオオウシの最初の攻撃は『咆哮』だから」

「咆哮?」

「そう。声が大きいってのもあるんだけど、物理と精神両方の攻撃力を持っているから。でも、二人にも対物対魔完全遮断の結界張ってるから、怪我はしないよ。驚くとは思うけど」

「結界……いつの間に」

「ありがたいんだけどよ、張る前に一言欲しかったぜ?」


 やはり、二人とも気付いていなかったようだ。レモの言葉にはもっともだと思ったので、今更ながら謝罪しておく。


「ごめんね」

「いいさ、結局、守りは嬢ちゃん任せになるからな」


 確かに、二人ともそれなりの装備を調えてはいるが、どちらかというと「攻撃を食らわない」事を前提にした装備になっている。


 彼等二人の腕前なら、殆どの場合有効だろう。だが、ここは「大森林」だ。外の常識が通じない場所だし、より大森林らしい領域に入り込みかけてもいる。


 そんな会話を進めている間にも、反応はこちらを目指して進んできていた。


「とりあえず、後ろの連中には逃げるよう言っておいた方がいい」

「だな。おおい!! 後ろの連中! 良く聞けよ! こっちに大型の魔物が近づいてるそうだから、命が惜しかったら森から出な!!」


 レモが背後を振り返ってそう声を張るが、背後にいる連中は誰一人動こうとしていない。ユッヒも動いていないのは、恐怖で腰でも抜かしたか。


「ちっ。連中、あくまで嬢ちゃんの獲物を横取りしようってのか?」

「出来ると思ってる辺りが、まだまだよねえ」


 獲物を「自分達の」と言わず「嬢ちゃんの」と言う辺り、レモも面白い男だ。


 ヤードもそうなのだが、殊更公平を意識している。冒険者パーティーなど、報酬の分け前で解散になる事など珍しくはない。


 大抵は、誰が多く取るかで揉めるのだが、オダイカンサマの場合は報酬は頭割りと決めたにもかかわらず、二人が受け取ろうとしない事が発生する。


 結局、受付を巻き込んで強制的に二人の口座に入金するのだが、後で必ず文句を言われるのだ。決まり通りに分配したにもかかわらず、「受け取る権利はない」などと言い出す。


 魔物討伐であからさまにティザーベル一人で狩った場合は、素材の買い取り代金を独り占めする事もある。だが、依頼は三人で受けるのだから、依頼報酬はちゃんと受け取れとその度に返していた。


 そのおかげか、最近になってようやっと報酬だけは文句言わずに受け取るようになったけれど、未だに素材の買い取りに関してや、盗賊に関する報酬は受け取りたがらない。困ったものだ。


 ――シンリンオオウシの売却金額は、こっそり二人の口座にも分け前入れちゃおうっと。


 金に執着するティザーベルだが、だからこそパーティーで決めた分配方法には固執する。


 大体、金をもらって文句言うとは何事か。段々彼女の思考がずれてきていた。


 その間もシンリンオオウシは、オダイカンサマめがけて進行中である。まだ目視出来る距離ではないが、大木をなぎ倒す音が響いてきた。


 さすがに背後の連中も動揺し始めたようだ。だからレモが忠告したというのに。


「嬢ちゃん、あとどのくらいでデカブツと遭遇する?」

「んー、この速度だと、背後の連中はもう逃げる暇がないかもね。もう向こうには知られてるし、下手に逃げると街にまであれを引っ張っていきかねないから」


 こちらの世界では、故意であろうとなかろうと魔物を引き寄せて街に損害を与えた場合、死刑よりもなお重い隷属刑に処せられる。


 名の通り、隷属魔法を使われて、本来人が入れないような場所の調査や、鉱山での重労働を課せられるのだ。


 後ろの冒険者達も、それは知っているだろう。ここまで来てしまったら、シンリンオオウシに抵抗して死ぬか、こちらの戦闘に巻き込まれないようにうまく逃げるかのどちらかだ。


 ――とはいえ、戦闘にはならないけどねー。


 背後の連中がいなければ、魔法が通じる距離に入った時点で仕留めるのだが。今仕留めてしまっては、背後についてきた冒険者が言いがかりをつけてこないとも限らない。


 というか、あの手の連中は嘘でも必ず「自分達が倒した」と言い出す。なので、出来るだけ連中の前で仕留めたくないのだ。


「うーん……いつも通りに行くかなー」


 シンリンオオウシは超大型ではあるけれど、魔法が通じる相手なのでティザーベルにとってはおいしい魔物だ。


 周囲が森である事、皮も重要な素材になる事を考えると、火や熱は使えない。皮に穴を開けたくないので、石で作る即席の槍も避けたいところだ。


 となれば、呼吸する魔物全般に効く方法がいい。


「さて、そろそろ来るよー」


 小声でヤード達に伝えると、二人は無言で頷いた。シンリンオオウシが近づいているという事は、咆哮を使うという事でもある。


 うまく行けば、背後の連中を一掃してくれるかもしれない。


 ――まかり間違うと命落とすけど、仮にも冒険者なら何とかなるでしょ。


 希に気の弱い人や心臓が弱い人は、咆哮を聞いただけで死んでしまうと言われている。咆哮には物理的な攻撃力のみならず、精神攻撃も含まれているのが原因だそうだ。


 とはいえ、この世界で魔物を研究するような物好きはいないから、本当かどうかは謎である。


 とうとう大きな音と振動と共に、シンリンオオウシが姿を現した。見上げるその体高は、四階建ての建物相当である。


 さすがのオダイカンサマ一行も言葉をなくしていると、シンリンオオウシは予備動作もなく咆哮した。


 空気を切り裂くその大声は、それだけで周囲の木をなぎ倒し岩をも動かす。そっと探ってみると、背後にいた連中は軒並み後方十メートルは吹っ飛ばされていた。意識があるかどうかも怪しい。


 ちなみに、オダイカンサマ一行はティザーベルの結界のおかげで無傷だ。とはいえ、さすがにあの大声は耳に堪える。


「すさまじいな……」

「でけえ声だ」


 二人とも、耳を押さえてしかめ面をしていた。それに少し笑いつつ、ティザーベルは言う。


「まあね。じゃあ、こっから先はもらっていい?」

「ああ」

「気ぃつけろよ。……嬢ちゃんには、必要ないか」

「何それ。んじゃ」


 そう言い残すと、ティザーベルはシンリンオオウシに向かって走り出した。


 まずは敵の周囲に対物結界を張る。これで相手は結界内でしか動けない。範囲を敵から数センチで設定しているので、実質身動きが取れない状態だ。


 シンリンオオウシ相手で危険なのは、咆哮だけではない。その巨躯を生かした突進や踏みつぶしも脅威的な攻撃となるのだ。


 それらを封じる為の、対物結界である。


「ここまでで約半分。さてと」


 次が肝心な所だ。今度はシンリンオオウシの口と鼻、呼吸をする部分をまとめて対物結界で被う。


 結界というものは、その全てが使用魔力と密接な関係を持つ。すなわち、使用魔力が多ければ多いほど、結界の密度が上がるのだ。


 とはいえ、密度を上げると他の問題が発生する。対物結界の場合、密度を上げすぎると空気まで遮断してしまうので、結果窒息するのだ。


 逆にその特性を生かして、毒性のガスが発生する場所を通る場合、ガスを結界で遮断する手法もあるけれど。


 シンリンオオウシに張った二つ目の結界は、密度が非常に高かった。


「しばらくは暴れるだろうけど、時間の問題」


 こうしておけば、酸素を供給する事が出来ずにやがて窒息する。以前ゲシインで見つけた四つ目熊を狩った時の手法だ。


 四つ目熊より大きな体のシンリンオオウシでは、かかる時間は倍以上かもしれない。でも、ここまで来れば後は寝て待ってもいい程だ。


「さて、後は待つだけ。後ろの連中、どうしようか?」


 あっけらかんというティザーベルを見て、ヤードもレモも笑っていた。

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