八十三 騙す者、躱す者

 翌日も、ギルドの掲示板でそこそこの依頼を見繕って大森林に入った。


「えーと、今日の獲物は灰色岩猿が中心かな。こいつは少し奥まで行かないといないから、ちょっと危険かも」


 大森林の「少し奥」まで行く依頼をちょっと危険程度に認識している冒険者など、ティザーベルくらいかもしれない。


 事実、ラザトークスにいた頃は少し奥であれこれ狩っていたので、嘘をついている訳ではなかった。


 大森林に入る前には、全員に対物対魔の完全遮断結界を張っているので安心だ。


「灰色岩猿ってえのは、どんな魔物なんだ?」

「名前通り、灰色の毛をした岩みたいにごつごつした体つきの猿。この毛皮がいい防具の素材になるらしいんだ」

「なるほどねえ」


 毛皮目当ての狩りの場合、主に動くのはティザーベルである。呼吸器官に対して攻撃を行えば、少ない労力で毛皮を傷めずに狩る事が出来る。


 今回も対物結界を灰色岩猿の顔に貼り付けて狩っていた。


「奴さん、背後に付いてきてるぞ」


 そう言ったのは、レモだ。ティザーベルも、当然気付いている。ラザトークスを出てから、距離を取ってユッヒがついてきているのだ。


「よくこの領域までついてきたわね」

「殆ど丸腰のようだな」

「そりゃそうでしょ。いい顔したくて装備まで売り払って『お仲間』とやらに奢り続けたそうだから」


 ユッヒのあの癖は、一生治らないだろう。だったら、冒険者として高額の依頼料が手に入らない生活の方が、彼の為かもしれない。


「そんなお仲間とやらは大事かねえ?」


 首を振りながら独りごちるレモに、ティザーベルは内心で同意していた。自分を必要以上に持ち上げる存在がいなければ保てないものなんて、薄っぺらなものでしかないのに。


 それをユッヒに伝えたところで、彼の耳に入らないのはわかっている。そういう性格だ。伊達に長く側にいた訳ではない。


「もう少し、奥まで行こうか」

「……大丈夫か?」

「うん」


 ヤードの言葉に、ティザーベルは力なく頷く。このままユッヒが付いてくるのは、彼の自己責任だ。ティザーベル達が連れ回している訳ではないのだから、こちらが責任を感じる必要はない。


 それが原因で、ユッヒが命を落としたとしても。




 大森林は広大だ。未だかつて、この大森林を踏破した者はいないという。何人かの命知らずが挑戦したが、誰も帰ってはこなかった。


 そんな大森林だが、ラザトークス側の浅い場所は街の人でも気軽に立ち寄る。その辺りなら厄介な魔物は殆ど出ないし、肉食獣もまずお目にかからない。


 森の恵みはそんな浅い場所にもちゃんとあるので、山菜や木の実、果物などを求めて、時期になると賑やかになるのだ。


「ある一定の線があってね。そこを越えると危険な魔物がいきなり出るようになるんだ」

「変わった森だな」

「魔の森なんて呼ばれるくらいだからね」


 ヤードの言葉に返したティザーベルは、手にした薬草の一種を振りまわしながら先頭を歩く。


 その後ろで、背後からついてくるユッヒの気配を感じながら、レモがのんびりと口にした。


「そりゃ一日で大木が復活するくらいだからなあ」

「まあねえ。あれもある意味、ラザトークス名物かも」


 大木が復活するのは人の見ていない時間帯と言われていて、誰も復活の現場を見た事がないそうだ。


 以前木こりか誰かがその現場を見ようと一晩中張り込んだ事があるそうだが、人の目があると切り株はそのままだったらしい。その代わり、別の場所に大木が生えたという。


 本当かどうかは知らないが、ラザトークスではその昔話を持ち出して「深夜の森を見てはいけない」と子供に教えるのだ。森を見ていると、木材となる気が復活しなくなるからという理由だ。


「まあ、本当は子供に夜更かしするなって事なんだろうけど」

「その辺りは、地方によって違ってて面白いもんだ。一時、あちこちで聞き込んで比べてみようかと思ったんだぜ」

「そう? おじさんも物好きねえ」


 こういった話は、民俗学に分類されるのだろうか。帝国でその学問があるというのは聞いた事がないが、何事も人知れず研究している物好きはいるかもしれない。


 そんな事を話ながら進んでいた三人は、大森林でもいっぱしの冒険者が入る領域に来ていた。


「ここら辺りから、魔物も強くなるし植物にも気が抜けなくなるよ。一応、注意しておいてね」

「植物?」

「そう。種を飛ばしてきたり、蔦で絡め取ろうとしてきたりするのがいるから」


 首を傾げるヤードに、ティザーベルは補足の説明を入れる。植物型の魔物は珍しいが、この大森林にはかなりの数が棲息しているのだ。


 またそれらはいい魔法薬の素材になったり、魔法道具の触媒になるので、高額で取引されていた。


 当然見つけたら刈り取るが、向こうの攻撃方法を教えておいた方がいいと思ったから、説明している。


 もっとも、二人にも森に入る前に、対物対魔完全遮断の結界は張ってあるが。


 それを教えていないので、ちょっとした悪戯心から一言付け加えておく。


「植物でも、捕まったら食われるから気を付けてね」


 内容とそぐわないティザーベルの満面の笑みに、二人が引いていた。




 その後も目当ての灰色岩猿を順調に狩り続け、大森林の少し奥が終わる辺りまで来た。


「さーて、テヒバンの話じゃあ、この辺りに出るって事だけど」

「何がだ?」

「シンリンオオウシ」


 ヤードは「何だ? それ」と言っているが、レモの方は覚えていたらしい。


「依頼は断ったんじゃねえのか?」

「うん、ラザトークス支部には卸さないからね」


 さすがのレモも、ティザーベルの返答に首を傾げた。ゲシインの一件があるから、気に入らない相手に卸さないというティザーベルの姿勢は理解出来ていると思う。


 ただ、古巣のラザトークスにわざと卸さない理由がわからないのだろう。二人とも、テヒバンとは今回が初めてだから、彼の性格ややり口を知らないからこその反応だ。


 ティザーベルは、苦笑しつつ続けた。


「テヒバンってさ、調子いい事言うけど、相手を利用しようとするんだよね。今回のシンリンオオウシも、私がラザトークスに戻ったって聞いて、目撃情報を私に流して狩らせようとしてるんだよ。だからギルドの依頼には出さないの。今頃、どこかの商人に高値で売りつける約束でもしてるんだと思う」

「そいつはまた……」


 渋い表情で首を振るレモに、ヤードも同意するような表情をしていた。つまり、あの男は自分の手は汚さずに儲けだけかすめ取ろうという訳か。


「随分とまた、せこい奴だなあ、あの男も」

「まあ、辺境なんていかに相手を出し抜くか、で生き残れるかどうかが決まるような部分もあるから、テヒバンみたいなのも少なくないよ」


 ギルド職員ですら、油断出来ない相手になる。とはいえ、ラザトークス支部はまだ他に比べると気楽な方だというのが、セロアの言だ。


 辺境の支部にまで、余所の支部の噂話は飛び込んでくるらしい。中には眉唾物も含まれるそうだが、半分近くは後に問題となって表に出てくるので、確率は半々だとも言っていた。


「にしても、奴さんはなんで嬢ちゃんに話を振ったんだ?」

「多分だけど、今ラザトークスにいる冒険者で、シンリンオオウシを狩れるようなのが私しかいないからじゃない? 実際、過去に二度ほど仕留めてるし」


 そういう意味では、こちらの腕を買っていると言われそうだが、だからといってテヒバンに利用されるのではたまらない。


「そんなに厄介な魔物なのか……」


 嫌そうに顔を歪めるヤードに、ティザーベルは遠い目をした。


「厄介っていうか……まあ、厄介かな。普通だと、武器が届かないからね」


 昔聞いた話では、シンリンオオウシを相手にするなら攻城兵器を持ってこい、という笑い話があるという。そのくらい、攻撃が届きにくい相手なのだと。


 確かに、あの大きさでは攻撃魔法が使える魔法士がいなければ、苦戦するだろう。


 シンリンオオウシの大きさは、口で説明したところで理解されない。実際目にしない事には、実感がわかないのだそうだ。


 目の前のヤードとレモも、例に漏れず大きさの実感が湧いていない。


「まあ、見ればわかるよ」


 見ればね。そう小声で続けて、ティザーベルは索敵を再開させた。

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