八十二 提案
「んで、ユッヒが言った訳よ。『俺、結婚するんだ。ナナミって子と』」
「あー……」
「それは、また」
レモとヤードの合いの手に、ティザーベルは言い放つ。
「それはいいのよそれは。結婚の約束だって口約束だけだし。でも、結婚するんなら、前の女に借りた借金はちゃんと清算しろっての。まあ、借用書にギルド側が追加してくれた強制執行権を使って、あいつの預託金口座から全額返済させたけど!」
「ちなみに、その金額は?」
「三百万ちょっと」
ティザーベルの返答に、聞いたヤードも驚いた顔をしている。三百万メローといえば、平均的な家庭の年収だ。
「よくそんなに貸したなあ。幼馴染みで口約束の婚約者とはいえ」
「塵が積もってその金額になったのよ。借用書、全部で三十枚以上あったもん」
レモがげんなりした顔で言ったのに対して、ティザーベルは言い訳のように返す。
本当に、気付いたらそこまでいっていたのだ。あの時、ユッヒが他の女との結婚話を持ち出さなければ、借用書の数はさらに増えていただろう。
「一度も、返済の話が出なかったのか?」
「そうね。本人からはなかったな。ギルド側も、返済についての催促なんかは、していなかったみたい」
おそらく、預託金口座の金を担保にしていたからではないか。いつでもそこから全額返済出来るので、ギルドとしても放って置いたのだと思う。
元々ユッヒに預託金制度を使わせたのは、返済金確保の意味合いが大きい。確実に返済させる事が出来なければ、ティザーベルが貸さないと踏んだのか。
――……違うな。
おそらくだが、ラザトークス支部が「冒険者」として手放したくなかったのは、ティザーベルの方だ。だからこそ、冒険者があまり知らない仲立ちの仕組みまで使って、ティザーベルが決して損をしないようにしてくれたのだろう。
セロアの存在も大きいが、大物を仕留める回数が多かったティザーベルへの配慮だと思う。
その辺りは、冒険者を公平な目で見るリサント支部長のおかげでもあった。
「……だからこそ、おかしい」
「どうした? 嬢ちゃん」
「今回の依頼。リサント支部長が不正を働いているっての、やっぱり変だと思う」
「……どこからどうしてその考えに至ったのか、説明しちゃくんねえかね?」
沈痛な面持ちのレモに言われて、先程まで考えていた内容をかいつまんで説明する。
「なるほど。昔馴染みの借金話からどう飛べば不正は変だに繋がるのかと思いきや、そういう事かい」
「ああ、ごめん。途中経過を抜かしたんだね」
セロアとは通じる為、ちょくちょく会話の途中を抜かす事がある。悪い癖と知りつつも、気を許した相手にはつい出てしまうようだ。
「んで? それはいいとして、その昔の男はどうするよ?」
「ユッヒの事? どうするって言われても」
どうもしない、としか答えようがない。でも、追い詰められたユッヒが、それで諦めるだろうか。
例の悪い仲間とまだつるんでいるのなら、そちらから何か入れ知恵される可能性もある。
追いすがられても振り切るだけなのだが、他にいい手があるのだろうか。
「一つ確認なんだが、嬢ちゃんはもうそのユッヒとやらに、気持ちはないんだよな?」
「もちろん」
「なら、相手を確実に諦めさせた方がいい。その手の野郎ってのは、案外しつこいもんだからな」
レモの言葉に、まさかと笑いそうになって固まる。確かに、しつこくはなかったか。
大体、ユッヒは相手の事を考えるという事が出来ていない。常に自分が気持ちよければそれでいいのだ。
そんな本性が見えたのは、この街を出る少し前だったのだけれど。質の悪い連中とつるむようになったのも、おだてられて気持ちよかったからだ。
もしかしたら、例の偽ナナミと結婚まで考えたのも、彼女におだてられたからかもしれない。
――私は間違ってもおだてるタイプじゃないからなー。
そういう意味では、相性は最悪だったのだろう。ただ何となく、同じ境遇にいたから、他に相手もいなかったから、だから手近な相手ですませようと思っていたのだ。お互いに。
考えるだに、レモの提案が最善に思える。とはいえ、どうやって諦めさせるというのか。
「おじさんの言葉は確かにって思うわ。でも、どうやってあいつを諦めさせるのよ?」
「ユッヒとやらが嬢ちゃんに固執するのは、多分だが嬢ちゃんがまだ自分を思っていると勘違いしているからじゃないかね?」
「はあ!?」
レモの言葉に、ティザーベルは盛大に嫌そうな声を上げてしまった。そんな事実など、これっぽっちもない。何なら、この街にいた頃も恋愛感情があったとは思えないのに。
ティザーベルの反応に、レモが苦笑を漏らす。
「いや、この場合嬢ちゃんの気持ちは関係ないんだよ。奴さんがどう思っているかってだけで」
「ああ、勘違いって奴?」
「まあ、そうとも言うな。だから、奴さんの入る隙なぞどこにもないんだって相手を、でっち上げりゃいい」
つまり、偽の彼氏をユッヒの前に出せばいい、という事か。確かに、ユッヒの剣の腕は大した事がないから、ちょっと腕の立つ冒険者なら、いくらでも彼より上になりそうだ。
だが、問題はその相手をどこで見つけるかにある。確かにここはティザーベルの故郷で、ある意味顔見知りは多くいるが、だからこそ助けてくれそうな相手は見つからないと思われる。
何せ、散々蔑まれた「余り者」だ。そんな彼女の偽彼氏役など、金を積まれても願い下げと言う男の方が多いだろう。
「おじさん、帝都ならいざ知らず、この街でそんな役を請け負ってくれる男なんて見つからないと思うんだけど」
「いるだろうが、身近に」
そう言ってレモが指さしたのは、ヤードである。
「ええ!?」
「そんなに驚くような事かい? こいつはこう見えても、帝都じゃそれなりモテるんだぞ?」
「いや、確かに見てくれだけならそうだけどさあ……」
ティザーベルも、初見は「いい男」だと思った。声もいいし、何より腕が立つ。
だが、香辛料都市メドーであった全裸事件以降、ヤードはティザーベルにとって「キケンブツ」でしかない。
渋るティザーベルに、ヤードは何も言わない。その代わり、レモがさらなるセールストークを展開した。
「そんなに嫌か?」
「嫌っていうか……メドーの一件から、私にとっては『キケンブツ』だしさあ」
「あー……まあほら、今回は奴さんに思い込ませりゃいいんだから、外見と腕前を評価しとけって」
「そうか……そうよね……」
なかなか酷い会話が目の前で繰り広げているのだが、ヤードは「やれやれ」といった様子で文句一つ言わない。
レモはだめ押しとばかりに、続けた。
「ここでしっかり切り捨てておかないと、帝都まで来るかもしれねえぞ?」
「さすがにそれは……ないと思いたい」
ユッヒ一人なら、絶対に無理だ。でも、彼に集っている連中がティザーベルの財布を狙っているとしたら、どうだろう。
どんな手を使ってでも、帝都まで押しかけてくるのではないだろうか。
だったら、連中がいくら焚きつけても無駄なくらい、ユッヒの心をへし折っておくのは必要な事だ。
この先、彼と一緒の道は歩めない。ティザーベル自身、ヤードやレモと一緒に行動してみて、やりやすさ、動きやすさに驚かされる事が多かった。
これは、この街にずっといたらわからない事だっただろう。あのタイミングでセロアが帝都に異動になったのも、きっと縁だったのだ。
一人では二の足を踏んだ帝都行きも、彼女が一緒ならと踏み出す事が出来たのだから。
ならば、今回の「これ」もまた、縁ではないだろうか。
しばらく考え込んだ後、ティザーベルはレモの提案を受け入れる事に決めた。
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