八十一 昔馴染み

「ベル……やっぱりベルだあああ」


 叫ぶなりこちらに突進してくるユッヒに、咄嗟にティザーベルは身構えた。そんな彼女にタックルをしようとして、ユッヒは見えない壁に弾かれる。


「いだあああああ」


 派手に転んで泣き叫ぶその姿に、わずかに残っていた情も消え去っていくのを感じた。大森林から戻る時、結界を外すのを忘れていたのだ。


 街中で張ったままでも問題はないし、何ならヤード達にも張ったままだった。その結界に阻まれたユッヒは、地面に手を突いて泣いている。


「ベルううう、どうして帝都なんかに行っちゃったんだよう。俺、追いかけようとしたのに、口座に金も残ってなくてさあ」


 どうしても何も、結婚を約束していたはずのユッヒが他の女と結婚するなどと言い出したからではないか。


 口座に関しても、自分を振った相手にいつまでも金を貸しておく程優しくはない。だからこそ借用書に記載された権利を行使して、ユッヒの預託金口座から貸した分の三百万メローを強制返済してもらったまでだ。


 ――、あ、一応三百万メロー以上だっけ。


 細かい数字までは覚えていないが、彼の預託金口座の残高目一杯の額だったのは覚えている。残金ではあめ玉一個すら買えない事も。


 まだ目の前でべーべー泣いているユッヒに、ティザーベルは呆れた声を出した。


「あんた、結婚するはずだった子はどうしたの?」


 実は、偽ナナミのその後はセロアに聞いて知っている。彼女が捕縛された後、ユッヒが自分を探していた事も。


 セロアの読み通り、ユッヒはまだティザーベルに依存する気満々だったようだ。

 ティザーベルの質問に、ユッヒはばつが悪そうに視線を外す。彼の昔からの癖だ。自分の都合が悪くなると、途端に視線を反らす。


「あいつは、俺を騙してたんだ。名前も別人のものでさ、しかも帝都で犯罪に関わってたっていうんだぜ?」

「へー」


 既にセロアから聞いて知っていたので、ティザーベルの反応は薄い。そんな彼女に気付いているのかいないのか、ユッヒは歪んだ笑みを浮かべて言ってきた。


「だから、俺たちまた一緒にやっていこうぜ」

「やだ」

「え……」


 即答したティザーベルの言葉に、ユッヒは呆然とした顔をした。以前だったら、こんな態度は取らなかっただろう。騙された事には怒り、その後立ち直る手助けもしたと思う。


 でも、今は違った。彼とティザーベルの道は、はっきりと別になっているのだ。今更彼に関わるつもりは毛頭ない。


 ――別の子と結婚すると言われた時は怒りで頭がいっぱいだったけど、今思うとあれはいい機会だったわー。


 一度は本気で一緒になろうと思った相手だというのに、今では近寄る事すら煩わしい。自分の内面の変化に、ティザーベルは驚くと共に納得もしていた。


 結局、自分もこの街同様視野が狭かったのだ。とっとと抜け出せば良かったのに、いつまでもずるずるとラザトークスに居続けたのが、全ての原因かもしれない。


 ――まー、今となってはどうでもいいか。


 自分は帝都に出て仲間を見つけた。故郷に置き去りにしたユッヒが落ちぶれようとどうしようと、それは彼の責任である。


「話はそれだけ? じゃあ、私もう行くから」

「ま、待って!」


 ユッヒは地べたに座り込んだまま、ティザーベルの服の裾を掴んだ。


「まだ何か?」

「金、貸してくれないかな? ほ、ほら! いつもみたいにギルドに仲立ち頼んでさあ」

「お断り」

「え?」


 再び呆然とするユッヒから、服の裾を強引に引っ張って引きはがす。


「返ってくるあてのないお金なんて、誰が貸すの?」

「え……だって、今まで……」

「今まではそれなりにギルドで稼げていたからね。だから預託金も増やせたんでしょ? でも、今あんたに出来るギルドの仕事って、どぶ浚いだけだっていうじゃない。それで、いくら私から借りるつもりだったのよ」

「……三百万」


 俯き加減に告げられた金額に、今度はティザーベルが驚きの表情をする事になった。


「はあ!? あんた、それだけの金額借りて返せる当てがある訳? いっとくけど、その金額ってこれまであんたに貸した分の総額よ?」

「だ、だって! それくらいないといい装備が買えないって、ノガルが」


 ユッヒの口から出た名前には、覚えがある。彼の周囲にいて何かと集っていた集団の一人だ。口はうまいけど、性根は最悪な男だったと記憶している。


 だが、リサント支部長によると、あの連中は姿を消したという事だけれど。支部長が知らないだけで、ノガルはまだラザトークスにいるのだろうか。


「あんた、まだあんな連中と付き合ってるの?」

「ノガルはいいヤツだよ! あいつ、俺の事褒めてくれるし」


 ――自分を褒めるのは全員いい奴扱いかよ。


 のど元まで出掛かった言葉を呑み込む。その代わり、ティザーベルはにっこり笑ってユッヒに言った。


「じゃあ、そのいい奴にお金借りなさいね。彼等には大分奢って上げてたんでしょ? 少しは返してもらいなさいよ」

「え……」

「じゃあね」


 そのまま、ティザーベルは背を向けてその場を立ち去った。まだ背後から名前を呼ぶ声が聞こえてきたが、無視する。これ以上ユッヒと関わると、こちらの運気まで落ちていきそうだ。


 やはりこの街はろくな事がない。そう思うティザーベルだった。




 宿に戻ってしばらく部屋で気を抜いていると、扉の外に見知った気配がやってくる。


「いるか?」


 ヤードだ。鍛冶屋の用事が終わったのだろう。寝転がっていたベッドから立ち上がり、結界を解いて扉を開ける。


「お帰り。用事は済んだの?」

「ああ。レモが呼んでる」

「了解」


 彼等の部屋はティザーベルの隣だ。部屋を出て再び結界を張り直した後、ヤードについて隣の部屋に入る。


 レモはベッド脇の椅子に腰掛けていた。


「嬢ちゃん、いつもの、頼めるか?」

「うん」


 音が外に漏れないよう、他人が入り込めないよう、対応する結界を張る。慣れているのでアクションを必要としないが、「張り終わった」と二人にわかるよう、軽く手を上げて振る動作を見せた。


 開いてるベッドに腰を下ろすと、レモが口を開く。


「さて、レットの旦那とも話し合ったんだがな、どうやらしばらくはここに滞在する事になるらしい。次の指示は追って報せる、だとよ」

「勘弁してよ……」


 嫌そうに吐き出したティザーベルに、ヤードとレモは軽く驚いていた。これまで彼女がこんな反応を見せた事はないからだろう。


 確かに面倒だの対人は嫌だだのは散々言ってきたが、ここまでの拒絶反応は希である。


 だからだろうか、レモが静かに聞いてきた。


「嬢ちゃん、何があったか聞いてもいいか? もちろん、言いたくなきゃそう言ってくれ」


 ティザーベルは一瞬黙る。別に話す事に抵抗はないのだが、不思議な事に自分でもまだ整理しきれていない感情があるのだ。


 ――いっそ、全部話した方がすっきりするかな……


 少し考えた後、そう思い至り、ティザーベルはこの街であった事を話す事に決めた。




「街で私を見た人達が眉を顰めたのは、以前オテロップでゴーゼさんが言っていたこの街特有の考え方である『余り者』ってやつのせい。街を出て行った余り者が、何しに戻ってきたんだ、って思ってたんだと思う」

「どうして、そんなに嫌うんだ?」


 ヤードの疑問に、ティザーベルは首を横に振った。


「わかんない。多分、ずっと前にそういう子が何かやらかしたんじゃないかな。それ以来、余り者は街に災いをもたらす、とかなんとかいう考えが定着したんだと思う」

「ずっと前……」

「多分、十年二十年じゃないと思うよ。こんな田舎じゃあ、それくらいなら『ついこの間』って感覚だから」


 ティザーベルの言葉に、ヤードはレモは驚いた顔で彼女を見ている。時間の感覚が、帝都辺りとは全く違うのだ。


「だから、この街にいる間は私はとっても居心地が悪いって訳。インテリヤクザ様も、なんでわざわざ私をここに送り込むかなあ……」

「インテリヤクザ?」

「こっちの話」


 ヤードの突っ込みに、つい内心で呼んでいたものが出ていた事に気付く。あの見た目からそう思ったのだが、さすがにこれは言えない。それぞれの単語の意味から説明しなくてはならなくなりそうだ。


「んで? 部屋に入ってきた時に暗い顔をしていたのは、それが原因かい?」


 レモの言葉に、ティザーベルは緩く頭を振った。


「違う。二人と別れた後に、同じ孤児院出身で幼馴染みだったヤツに会ってね。ちょっと……」


 全てをぶちまけたい思いと、個人的な愚痴を仲間とはいえ聞かせていいものかと迷う思いとがぶつかり合う。


 言い淀んだティザーベルに、ヤードが言った。


「言いたくないなら無理には聞かないが、話して楽になるなら話せ」


 優しさを感じさせないぶっきらぼうな言い方だが、その方が今のティザーベルにはありがたい。


 確かに、話してしまった方が楽になれそうだ。ティザーベルは、ラザトークスを出る前にあった事を、ぽつぽつと話し始めた。

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