七十九 大森林

 ラザトークスから大森林まで、ティザーベルの足で約三十分、ヤード達なら半分の十五分といったところだ。


「確かに、でけえな」


 そう言って見上げたのは、レモだ。彼の視線の先……というより、街を一歩出れば否応なしに視界に入るのがこの大森林である。


 朝の早い内から精を出す木こり達が、木を切り出す音が響いている。この音も、ラザトークス名物と言えた。


 この大森林から採取出来る木材、植物、鉱物、そして魔物素材がラザトークスの大事な資源だ。


 木材は他の街に出荷するだけでなく、街を作る建材になる。鉱物や植物を使った魔法薬も豊富で、魔物素材の武器防具は他に類を見ない程豊富だった。


 木を切る斧を作る鍛冶屋も多く、そこから派生して刃物でも名が知られているという。


 おかげでデロル商会ラザトークス支部はかなりの規模を誇っていた。帝国全土に支店を持つと言われているデロル商会だが、支店の大きさは街の大きさに比例するらしい。


 現に、オテロップの支店は同じデロル商会の支店とは思えない程小ぶりだったのだ。


 ――そのデロス商会ラザトークス支店を任されているゴーゼさんって、やっぱり凄腕なんだな……


 既に彼はラザトークス支店の支店長を退き、今では本店の副店長を務めている。いずれは彼が、本店長までいくのではと言われているそうだ。


「これだけ大きな木が多いと、森の中は暗そうだな」

「だな。そこんとこ、どうなんだ? 嬢ちゃん」


 ヤード達に聞かれて、ティザーベルは歩きながら答える。


「そうでもないよ? 結構木漏れ日で明るいところもあるくらい」

「ほう」

「しっかし、一体樹齢は何年なんだろうな? この大木は」


 レモの疑問に答えたティザーベルの返答は、驚愕ものだ。


「多分、数ヶ月……もしかしたら数日かもね」

「はあ!?」


 驚く二人の様子に気をよくしたティザーベルは、笑いながら教えた。


「この大森林の木はね、切っても翌日にはもう元に戻っているのよ。だから、毎日のように木を切り倒さないと街が森に呑み込まれるって言われてるんだ。おかげでラザトークスの木材資源は底知らずなんだけど」


 まだショックから立ち直れないでいる二人を置いて、彼女はゆっくり歩く。大森林を知らないものがこの現象を聞くと、大抵二人のように驚くのだ。


 無理もない。普通、こんな大木が切った翌日には元に戻るなどあり得ないのだから。


 そんなあり得ない現象が起こる大森林の事を、外の人間は「魔の森」とも呼ぶそうだ。確かに魔力は豊富だし魔物も豊富にいるので、否定出来ないのが微妙なところだ。


 それにしても、やはりこの風景は懐かしい。そこまで思い入れのある故郷ではないが、やはり生まれ育った場所というのは特別なもののようだ。


 見慣れた木こり達の姿を横目に、ティザーベルは森へと足を踏み入れる。いつの間にかショック状態から抜け出したヤード達も、背後についていた。


 ここからは何があってもいいように、三人まとめて対物対魔完全遮断の結界を張っておく。


 大きく張り出した木の根を乗り越えて進むティザーベルに、ヤードから声がかかった。


「道はないんだな」

「そうよ。商人が森の奥に行く訳でもないし、この先に街がある訳でもないから」


 冒険者が入り込むだけなので、誰も道を作ろうなどと思わないのだ。冒険者ならば、放って置いても道なき道を突き進んでいくからだった。


「木こりは?」

「彼等は森の外縁部の木を切り倒すので精一杯よ。ここだけじゃなく、あっちこっちで斬り倒しても、すぐに復活するから」


 そう言われたヤードが、耳を澄ますような仕草をする。静かにしていると、確かに遠くからも木を切る音が響いていた。森の外縁部は、街に面した場所だけではない。


 大森林は歩きづらい森だった。倒木や低木、丈の高い草などで足下が悪いのに加え、大きな石がごろごろと転がっている。地面も均していないので、あちこちがでこぼこだ。気を抜いていると足を取られる。


「うお!」


 案の定、ヤードが足を取られたようだ。もっとも、結界が張ってあるので怪我だけはしないようになっているけれど。


 意外だが、ヤードとレモだと身体能力はレモの方が上らしい。彼は今もはひょうひょうと岩の上や倒木の上を歩いている。まるで何度もこの森に入った事があるようだ。


「おじさん、確認するけど、大森林に入るのって今日が初めてよね?」

「そりゃもちろん」

「その割には、何だか慣れているように見えるんだけど……」

「ここじゃなくても、森の中に入った事くらいあるさ。森なんざ、大小の違いはあれどそう変わるもんじゃない」


 そうだろうか。でも、比べようにもティザーベルは大森林以外の森を殆ど知らない。ゲシインの森には入ったが、あそこはここに比べるとずっと歩きやすかった。


 そういえば、ゲシインでもレモは軽々と森の中を歩いていなかったか。その時、ヤードがどうだったかまでは覚えていないが。


 もやもやとしたものが胸の中に渦巻くが、うまく言葉に出来ないので無視する事にした。レモが大森林を楽に移動出来るのなら、それでいいではないか。


 大森林も他の森同様、奥に行けば行くほど希少な植物や鉱物、魔物に出会える。だが、希少な魔物はそれだけ手強い存在でもあった。


 いつものように魔力の糸で索敵を行っていたティザーベルが、最初の獲物を見つけた。


「ここからまっすぐ行ったところに、コブイノシシがいるよ」

「了解」


 ヤードとレモは返答すると同時に、自分の武器を構える。ヤードは大剣を、レモは今日は短剣である。彼は時と場合によって武器を切り替えるタイプらしい。


 物理攻撃二人が相手をするらしいので、今回のコブイノシシは見物させてもらおう。そう決め込んだティザーベルは、二人から少し離れて移動し始めた。


 コブイノシシはゲシインの森にもいたが、帝国内に広く分布する魔物である。暑さに弱いと言われ、帝都より北に位置する大きめの森が棲息域だ。


 当然、東の大森林と呼ばれるここにも、数多くいる。


 特にこの大森林にいるのは象程の大きさで、その割に動きが素早い。おかげで余所の地域のコブイノシシよりワンランクかツーランク程高い魔物とされている。


 そんなコブイノシシの素材は毛皮と肉、牙と骨、内臓の一部などだ。


「出来たら、首を一撃で落としてね」

「了解」

「注文が厳しいねえ」


 ティザーベルの言葉に、ヤードとレモが答えた。既に二人とも臨戦態勢だ。


 静かに森の中を進む事数分、コブイノシシの姿が見えた。既に向こうはこちらに突進してきている。


 コブイノシシは、素早いが動きが一直線なので対処しやすい魔物でもあった。この二人なら、楽に首を落としてくれるだろう。


 そのティザーベルの期待通り、レモが挑発した後にヤードが大剣で獲物の首を落とした。すぐに、辺りに濃い血の臭いが広まる。


 この臭いに惹かれて、他の魔物が集まってくるだろう。ティザーベルは倒れたコブイノシシをさっさと移動倉庫にしまい込むと、ヤード達に合図してその場を立ち去った。




 その後も大森林で狩りを続け、コブイノシシ、穴狐、鎧熊、オオヤマヒヒなどの獲物を得た。


 特に鎧熊は討伐難易度が非常に高く、その素材も高額なのでティザーベルはほくほくである。


「いやあ、大猟大猟」

「嬉しそうだなあ、嬢ちゃん」

「もちろん! 今日の換金結果がすっごく楽しみ!」


 鎧熊一頭で、四人家族が普通に半年は暮らせる値段がつく。素材は名の由来である外殻と毛皮、爪、内臓、肉だ。穴狐は毛皮、オオヤマヒヒは肝臓が主な素材になる。どれもかなり高額な素材だった。


「後は、植物系の採集依頼をこなさないと」


 今回受けた依頼は全て採集系で、鎧熊なども魔物討伐というより、その素材が目当ての依頼なのだ。残る植物系も、高価な薬の材料になると聞いた事がある。


「どんなやつだ?」

「うーんとね、高い木の枝につく宿り木の一種なの。ちょっと探してみる」


 ヤードの問いに答えたティザーベルは、索敵用の魔力の糸を木の上へ向かって伸ばした。大森林では鳥の目の改良版は使い勝手が悪いので、糸の方を使う。


 自分を中心に広げていくと、西の方角に目当ての植物が見つかった。


「あった! ここから西の方角。ちょっと歩くね」

「わかった」

「これが最後だな。やれやれ」


 ティザーベルが指さした方角に向かうヤードの後ろから、レモが腰をさすりながらついていく。足場の悪い森を行くのは、さすがのレモでも疲れるらしい。


「あー、行かなくていいよ。こっちでやっちゃうから」


 そう言うと、ティザーベルは伸ばした魔力の糸で宿り木を切り、そのまま持ち上げてこちらまで運んだ。


 木々の間を結構なスピードで飛んで来る宿り木に、ヤード達が固まっていたが気にするつもりはなかった。

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