七十八 騒動
ギルドの朝は早い。従って、冒険者の朝も早く、彼等を主な客とする宿屋の朝も早かった。
帝都で考えるとかなり早い朝食を終えた三人は、冒険者協会ラザトークス支部の前に到着している。扉はまだ開かれていないが、その前には既に十数人の冒険者達が集まっていた。
ここにいる彼等も、朝一の依頼を見に来たのだろう。受付に顔が利く冒険者は、この時間帯には来ないのだ。
そんな冒険者の中に、見知った顔があった。
「おやおやおやああ? ユッヒ君に捨てられてついでに街からも出て行っちゃったティザーベルちゃんじゃないかああ?」
以前にもティザーベルに絡んできた、うざいことこの上ない男である。名前はなんだったか、と思って、知らない事に今気付いた。
――まあ、知ったとしてもすぐ忘れるし。
いらない情報など、覚えておくものではない。男は仲間から離れてティザーベルの目の前まで来た。
「お前、ラザトークスから逃げ出したんだろう? 今更何の用だよ?」
「あんたに教える義理はないわね。邪魔だからどいてくれる? 臭くて息も出来ないわ」
ティザーベルの返答に、周囲からくすくすという笑い声が上がる。実際、男は臭かった。口臭なのか体臭なのかは知らないが、鼻をつまみたくなる程である。
言われた方の男は、顔を真っ赤に染めてわなわなと震えている。反撃がないとでも思っていたのだろうか。
――今まで、反撃しなかった事なんて一度もないのに。
やはり、ここでも「女だから」と偏見の目で見られていたのかもしれない。幸い、リサント支部長は公平な人だったから、ラザトークス時代に不利益を被る事がほぼなかっただけで。
もっとも、ティザーベルの場合は「孤児」に加えて「余り者」という偏見にも晒されていたから、今更「女性」という偏見が加わったところであまり痛手はないのだが。
さて、今回はどう反撃してやろうかと思っていると、いきなり目の前が暗くなった。ヤードの背中が、視界いっぱいに広がっていたのだ。
「こいつに何の用だ?」
「ああん? 誰だ? オメエ」
「彼女と同じパーティーにいる者だ」
「な!」
ヤードの言葉に、周囲に驚きの声が広がっていく。
対するティザーベルの方は複雑だ。ヤードが助けてくれた事への嬉しさと、このくらい自分で対処出来るという少しの悔しさと、自分がパーティーを組んだ事への驚きを示す周囲への落胆とがない交ぜになっている。
男の方も、驚き過ぎて言葉が出ないのか、おかしな感じにどもっていた。
「お、そ、な……」
「パーティーの仲間が目の前で侮辱されているのに、黙っている手はないよな?」
そう言うと、ヤードはすらりと大剣を抜いた。さすがに、武器を出すのはヤバい。冒険者同士の私闘は禁じられているのだ。
ただし、見つからなければ問題ないという、かなり適当なものではあるけれど。
そんな適当な規則ではあるけれど、場所が悪い。ギルドの目の前で私闘など、見つけてくださいと言わんばかりだ。
とはいえ、ヤードに大剣を突きつけられた男は、自分も武器を出す事すら忘れて青くなっている。さすがに、目の前にいる男と自分の力量差くらいはわかるようだ。
騒動に気付いた周囲の冒険者達も、こちらに注目していた。
「そろそろ止めるか」
「そだね」
レモののんびりした声に、ティザーベルものんびりと返す。さて、声をかけて収めようとした途端、支部の扉が開かれた。
「……何の騒ぎだ? こりゃ」
出てきたのは、不機嫌面のリサント支部長だ。彼も元冒険者だけあって、朝に弱いという事はない。
なのに朝っぱらから不機嫌という事は、思い当たる原因は一つだけである。
――また夕べ、夫婦喧嘩したな。
支部長夫妻は普段はとても仲がいいのだが、一旦こじれると周囲も驚く程の派手な喧嘩をやらかす。これはラザトークスで知らぬ者はいない程、有名な話だ。
その不機嫌そうな支部長が、騒動の元であるヤード達をぎろりと睨む。
「で? 騒いでるのはお前等か?」
「ち、ちが――」
「こいつが俺の仲間を侮辱したから応戦しただけだ」
「ああ?」
男の言葉を遮る形のヤードの言葉に、リサント支部長は低い声を出して眉間の皺を一層深くさせた。
そもそも、あれは侮辱になるのだろうか。
――『逃げ出した』と言われれば、確かにやましい事があるから故郷を出た、となるか……やっぱり、侮辱でいいのかな?
この街では、虐げられるが当たり前だったせいか、この程度の言葉にはびくともしない。それがいい事ではないのはわかっているのだけれど、今更だ。
ヤードの言い分を聞いたリサント支部長が、男をぎろりと睨む。
「お前、まだそんなくだらねえ事してんのか?」
「く、くだらねえって。支部長! そいつがこの街を逃げ出したのは、本当の事じゃないか!」
「ああん? 逃げ出した訳じゃねえよ。帝都に拠点を移しただけだ」
「て、帝都?」
支部長の「帝都」という言葉に、素っ頓狂な声を上げて驚いたのは、男だけではない。周囲にいる冒険者達も、程度はまちまちだが皆驚いていた。
驚きの余り言葉が続かない男に、リサント支部長はがしがしと頭をかく。
「ったく。いいか! ティザーベルはこの街を逃げ出したんじゃない! 帝都に拠点を移し、ここにいる二人と『オダイカンサマ』ってえパーティーを組んでいる。お前等も、その名前に聞き覚えくらいあるだろ。返り討ちに遭いたくなきゃ、下手な手出しはするんじゃねえぞ!」
そう言い置いた支部長は、何やらぶつくさと文句をいいつつ支部に戻っていった。
残された冒険者達は、口々に囁き会っている。
「今の聞いたか?」
「ああ」
「オダイカンサマって、あの?」
「盗賊団殺しだろ?」
「うへえ。近寄らない方が身のためだな」
「にしても、あの余り者が、大した出世じゃねえか」
「よせよ。下手な事言って相手の耳に入ったりした日にゃあ、どうなるか」
「違いねえ」
相変わらず、この街の連中は身勝手な者ばかりだ。こういった気質は、辺境という土地柄か。
ティザーベルに突っかかってきた男も、驚きすぎて顎がはずれたような顔でこちらを見ている。
これ以上、ここにいる事もないだろう。
「支部も開いたみたいだし、行こっか?」
「そうだな」
ティザーベルはヤード達を促し、支部の中へと入っていった。
支部の中は、開いたばかりだからかがらんとしている。依頼が張り出されている掲示板は、一番奥だ。
「さーて、めぼしいものはないかなー?」
殊更陽気な口調で言いながら、ティザーベルは奥へと向かう。張り出されたばかりの依頼票は多く、一見するとどれがおいしい依頼なのかはわからない。
だが、この支部に二年所属していたティザーベルは、地元っ子だ。この一見乱雑に張られた依頼票にも、一定の法則がある事を知っている。
「ヤード、その上の依頼票、取ってくれる?」
「これか?」
「そう。あ、その隣のやつも。後は……」
オダイカンサマの中で、一番背の高いヤードに、一番高所に張られた依頼票を取ってもらった。後はティザーベルの手が届く範囲内から、期日が長めに設定されている依頼票をいくつか取る。
「こんなもんかな?」
「それでいいのかい?」
「うん。ラザトークスでは、掲示板の上の方が高額依頼なのよ。その分、難易度も上がるけど。で、中段に張られているのが達成期限が長い依頼、一番下段が駆け出し用の簡単な依頼なの」
この掲示板の区分けは、支部によって異なるらしい。実際、帝都の本部では張り出す高さと依頼の内容に関係性はないし、ゲシインでは中段に高難易度の依頼があったようだ。
手にした依頼票を持ってカウンターに向かうと、ようやくショックから冷めた冒険者達がどやどやと入ってきた。視線の先にオダイカンサマ一行を見つけると、彼等は途端に静かになる。
その様子を目の端で見ながら、ティザーベルは依頼票をカウンターに出して受け付けに言った。
「この依頼、受けます」
カウンターに座る受付の職員が目を白黒させている。それもそのはず、今彼女が持ち込んだ依頼は、難易度が高すぎてここ数ヶ月、誰も引き受け手のいなかった依頼だった。
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