七十六 故郷

 北の街ゲシインから東の街ラザトークスまでは直通の水路はない。一度帝都に戻るか、途中の街で船を乗り換える必要があった。


「どうせ直通で行けないんだから、帝都に一度戻ってもいいと思うのに」


 水路を行く船の縁で、いつまでもぶつくさと文句を言っているのはティザーベルだ。彼女は相変わらず、魔力の糸で進路の索敵を行っている。


 この場で「敵」が見つかったら、相手が人であれ人外であれ容赦はしないとその背中が語っていた。


「相当怒ってるな……」

「そんなに故郷にゃ帰りたくないのかね?」

「それを俺たちが言うか?」

「……まあな」


 背後でそんな事を言い合うヤード達に気付いてはいるが、ティザーベルは自分の感情に折り合いを付けるのに精一杯で、構っている余裕がない。


 正直、ラザトークスにいい思い出はない。孤児院出身の「余り者」。しかも冒険者という職に就いた彼女に対する街の人達の視線は、どこまでも冷たかった。


 そうした偏見の目で見ない人達もいたにはいたが、やはり少数派だ。何せ、同じ冒険者の中にもこちらを偏見の目で見てきた者が多かったのだから。


 そんな街に、戻らなくてはならない。しかも仕事の内容を考えると、余計気が滅入るというものだ。


 ――リサント支部長が不正をしているなんて、本当なのかな……


 今回はゲシインでのような横領ではなく、不当に冒険者の評価を書き換えている疑惑が持ち上がっているのだとか。


 あの支部長に限って、と懐疑的な部分があるのと同時に、人は見かけではわからないとも思う。


 ティザーベルにとって、リサント支部長は普通に接してくれる人だったのでいい印象しかないのだ。


 その支部長を疑ってかからなくてはならないとは。


「そろそろ乗り換えの街ですよ」


 背後から声をかけてきたのは、インテリヤクザことギルド統括長官メラック子爵の配下であるレットだ。今回も表向き商人である彼の護衛という形で、ラザトークスに入る。


 東の端であるラザトークスは、すぐ近くに大森林を擁する魔物素材の宝庫だ。帝都からも多くの商人が訪れる地である。


 それにしても、やはり今回のパーティー選択は間違っているとティザーベルは思う。商人の護衛として入れば不審には思われないが、ラザトークス出身のティザーベルがいる事で余計な視線を集めてしまうだろう。


 そんな中、果たして不正を見つける事など出来るのだろうか。


 ――……あれ?


 そういえば、今回の不正に関して、特に指示を受けていない。ゲシインの時は不正を見るだけでいいという話だったが、ラザトークスではどうなのか。


 リサント支部長が不正をしていたとしても、ティザーベルの前でボロを出すとは思えない。その辺り、あの統括長官はどう思っているのだろう。


 そんな事を思いつつも、到着した街に降り立つ。このままこの街で一泊して明日ラザトークス行きの船に乗るのだ。


 ここクストは特に何がある街でもないが、主要水路が三本入っている街なので、こうして乗り換えの地として使われる。


 ラザトークスから帝都へ向かう水路の途中にあり、もう七つ先が目的地だ。


 逃げるつもりは最初からないけれど、ここまで来るともう「逃げられない」と感じる。


 不思議なものだ。あれ程二度と帰らないと思った故郷が、もうすぐそこまで迫っているのだから。


 翌日の出発は昼少し前になる。ゆっくりの出発なのは、乗る船が各停だからか。途中で乗り換える船には、どこであれ直通はない。


 各停は全ての街に立ち寄るので、ラザトークスに到着するのは七日後になる。遠いような近いような、微妙な距離だった。


 道中はずっと船の縁にいて、索敵を忘れない。水路での魔物の出現率は低いが、その分盗賊である水路賊が出る確率が上がる。


 そういえば、ラザトークスから帝都へ向かう途中でも、水路賊が出た。とはいえ、あの時は巡回衛兵隊の隊長が部下に水路賊をさせていたのだが。


 そうして順調な旅の果て、とうとうラザトークスに到着した。相変わらず、船着き場は賑わいを見せている。


 そんな中を、レットと共に歩く。そこかしこから視線を感じるが、全て無視した。


「嬢ちゃんよ」

「言いたい事はわかるけど、後でね」


 レモから声をかけられたが、今は一刻も早く支部に向かいたかった。いっそ、この街での仕事はレモ達に全て任せられないだろうか。


 ――……無理か。


 ハドザイドが記憶を引き出すのが前提なら、ティザーベルが不正を「見る」必要がある。


 そういえば、ゲシインでは結局記憶を引き出す事はなかった。ホワックが全て話したからだろうか。


 オダイカンサマに対しては、ハドザイドから軽く質問を受けた程度だ。記憶の引き出しは、プライバシーの侵害も甚だしいのでなければないでいいのだが、後でやっぱり、と言われるのは嫌だ。


 ――いっそカメラとかレコーダーとか、作れないかな……


 ハドザイドには貸しがあるので、腕のいい魔法道具の職人に教わる機会を作ってもらえないだろうか。


 侯爵家ならば、お抱えの道具職人がいる可能性がある。あくまで欲しいのは技術であり、一度や二度魔法道具をオーダーメイドで作ってもらうのとは違う。


 腕のいい職人であればある程、弟子以外の人間に己の技術を見せる事を嫌うと聞いている。だからこそ、ハドザイドへの貸した恩の返却に使おうと思っているのだ。


 セロアも移動倉庫を欲しがっているし、何より任意の術式を道具に付与出来るようになれば、一々ヤード達に結界を張る面倒がなくなる。対物対魔の結界を術式として魔法道具に付与すればいいのだから。


 そんな事を考えながら街中を歩いていると、とうとうギルド支部に到着した。


「では、私はこれで」


 レットはサインの入った依頼票をティザーベルに渡し、そのまま商業組合の方へ向かう。ギルドでの手続きは、冒険者パーティーだけで問題ないのだ。


 夕方までにはまだ間がある時間帯だからか、支部の中は閑散としている。カウンターにも職員の姿は殆どなく、見覚えのない若い職員が一人座っている程度だ。皆、忙しくなる時間帯の前に裏で休憩しているのだろう。


「すいませーん」


 若干声がぶっきらぼうになるのは仕方ない。約半年ぶりの故郷なのだ。カウンターに座る職員は、ティザーベルの声に顔を上げた。


「はい」

「これ、お願いします」


 依頼完了のサインが入った依頼票だ。これで依頼票に記載された料金を受け取る事が出来る。


 依頼票を受け取った職員は必要事項を確認し、完了の印を押した。


「依頼料は口座に入金しますか?」

「現金で。それと、三分割するので、その事も証明書に記載してください」

「わかりました」


 必要最低限のやり取りで、手続きが終わる。ここにいた頃は、よくセロアが手続きを行ってくれた。


 彼女と知り合う前は、どうやっていたのか。今となっては、もう思い出す事も出来ないでいる。


 ゲシインからの護衛料金は宿泊費交通費別で三十万メロー。一人頭十万メローだ。


 商人にとっての護衛とは一種の保険なので、これを高いと取る商人ならば護衛を付けないし、安いと取る商人は街の外に出る際には必ず護衛を付けるという。


 あっさりと手続きが終了し、カウンターに三分割された現金と支払い証明書が置かれる。両方にサインしてギルド保管分を戻すと、これで全て終わりだ。


 何だか、肩すかしを食らった気分だ。気負っていた分、何もなかった事に違和感を感じているのはわかるのだが、本来はこれが正しい在り方なのだ。


 そのまま支部を出て行こうとした三人の背後から、声がかかる。


「ベル! ベルじゃないか!?」


 ティザーベルの肩が、びくりと揺れた。

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