五十三 キケンブツ

 ハドザイドを見送った後、レモは下の酒場で呑んでくると言って部屋を後にした。ヤードは現在入浴中だ。


 ティザーベルはやることがないので、一台空いている寝台に腰を下ろして窓からの景色を眺めていた。といっても、窓ガラスに室内の明かりが反射して、外は見えないが。


 窓にガラスははまっているが、面がなめらかでないせいか、明かりの具合で表面が歪んで見える。こういうところでも、日本とは違うんだなと思わされた。


 ふと、窓を開けてみたくて立ち上がる。観音開きの窓を開けると、日中同様スパイスの香りと共に、何やら陽気な音楽やら人の声やらが聞こえてきた。


 ラザトークスでも夜遅くまでやっている店はあったけど、帝都やここのように街全体が遅くまで起きている事はない。辺境の街は朝が早いのだ。


 ――あ、そういえば……


 そろそろ、セロアが帝都に来る頃だった。ザミ達の件でギルドに行った時に、立ち会ってくれた職員の一人がもうじき来ると言っていたのだ。


 セロアに再会したら、ぜひともパッツのカレーを一緒に食べよう。きっと喜んでくれる。どこで見つけたのか、質問攻めに遭いそうだ。


 そんな事を考えながら、窓枠に肘を突いて何となく外を眺めていると、背後から声がかかる。


「空いたぞ」

「ああ、そ――」


 振り返った先にいたヤードを見て、ティザーベルは無言で部屋を飛び出した。




「ちょっとおじさん!! あのキケンブツどうにかして!」


 叫びながら酒場に入ったティザーベルを、周囲の人達がぎょっとした顔で見ている。その中にはレモもいた。


「い、いきなりどうした?」

「いきなりでも何でもいいから、ちょっと来て!」

「お、おい。まだ酒が――」

「いいから!」


 軽く魔力を使ってあちこちを強化し、レモを完全に引きずって部屋まで戻る。背後から「ちょっと待て」など「ぐえ」だのと聞こえた気がするが、放って置いた。


 扉の前で、レモを解放して言い放つ。


「あのキケンブツ、ちゃんと躾けておいてよ!」

「はあ? 何だってんだまったく……」


 ぶつぶつぼやきながら部屋に入ったレモを確かめてから、ティザーベルは宿を出る為階段に向かった。メドーにも共同浴場はあるので、今日はそちらで入浴する事にしたのだ。


「本当にもう、女と一緒に行動している自覚、なさすぎ」


 まだ怒りが収まらない。あの時、振り返った先にいたヤードは一糸まとわぬ姿だったのだ。いや、頭にタオルは被っていたか。隠す場所を間違えているとしか思えない。気分は露出狂に出くわした被害者だ。


 メドーの共同浴場は、香辛料の市場が立っていた広場のすぐ脇にある。さすがに帝都の浴場と比べると規模が小さいが、十分立派な建物だ。


 広い浴槽に浸かって、ようやく感情が落ち着いてきた。


「ふう……」


 浴槽に浸かりながら、高い天井を見上げる。ここの浴場は天井にも飾り彫りがしてあり、湯気を通して見ても美しい。


 幾何学模様のように、同じパターンを何回も繰り返したり、かと思えば大きな模様をところどころに差し込んでいて飽きさせない工夫がある。


 帝国でも南に位置するメドーは、文化圏的に帝都とも少し違うようだ。


 ――そういや、孤児院で教えられた帝国の歴史で、昔は各地方で小王国が群雄割拠した時代があったんだっけ……


 それら小国をまとめ上げたのが、初代パズパシャ帝国皇帝となっている。もっとも、どこまで正しいのかは知らない。歴史は勝者が作り上げるものだ。


 ゆっくり入浴した後、冷たい飲物を飲んで宿に戻ったら既に深夜に近い時間帯だった。


 部屋に戻って扉を叩きながら、中の二人に確認する。


「ただいまー。入っても大丈夫?」

「おう」

「随分遅いご帰還じゃねえか」


 部屋に入ると、相変わらず涼しい顔のヤードと、苦虫を噛みつぶしたようなレモがいた。二人はそれぞれ、自分が使う予定の寝台に腰を下ろしている。ティザーベルはレモの隣に腰を下ろした。


「で? 反省はしたかしら?」

「何をだ?」


 ヤードの返答に、ティザーベルは隣のレモをじろりと睨んだ。躾けとけと言ったでしょうが! とその目は物語っている。


 彼女の視線を受けて、レモはそれはそれは深いため息を吐いた。


「あのなあ、さっきも言っただろうが。嬢ちゃんと一緒に活動する以上、今までのようにはいかねえ。少なくとも、風呂上がったら何か着ろ」

「別に見られたところで問題ない」

「大ありだ!!」


 しれっと答えるヤードに、立ち上がって叫んだのはティザーベルだ。


「ちったあ気遣いくらいしろっつうの!」

「俺は気にしない」

「見せられるこっちは気にするんだよ! ぶっちゃけて言えば嫌なの! 男が女の裸見せられてもラッキーなんだろうけど、逆は違うのよ! この痴漢!!」


 鼻息荒く言い切ったティザーベルに、ヤードだけでなくレモも引いている。だが、こればかりは譲れない。


「とにかく! 部屋が一つしか取れない時は裸禁止! あんたが良くてもダメ! わかった!?」

「あ、ああ」


 勢いで了承させたが、言わせたもの勝ちだ。これで今後同様の事は起きないだろう。


「もしまたやったら……」


 ティザーベルは目を細めて、声を一段低くした。


「その時は不審人物として対処するから。具体的に言うと、水路の賊とかオテロップの宿屋を襲撃してきた連中と同じ目にあうと思って」


 それだけ言うと、彼女は自分の寝台に向かう。衝立の向こうに消える前に、軽く振り返って忠告した。


「わかってると思うけど、覗いたりしたら容赦しないからね」


 それだけ言うと、二人の反応を見ずにとっとと衝立の奥に入る。防御用の結界は張っていないが、音が漏れないような結界は張っておいた。


 移動倉庫から寝間着を出して着替え、寝台に潜り込む。先程の最後の言葉はただの嫌がらせだ。


 ――これまで一緒に行動していて、それらしい視線を感じた事はないからねー。


 二人にとって、ティザーベルは範疇外なのだろう。それに関して特に傷つく事はない。仕事で組む以上、色事が絡むのはあまり好ましくなかった。ユッヒとの事があったから、余計そう感じるのかもしれない。


 何はともあれ、明日はカレーが手に入る。つい顔が緩んでしまうが、衝立の向こうから見られる心配もない。


 ティザーベルは明日のカレーを夢見ながら、眠りに就いた。




 翌朝、すっきり目覚めたティザーベルは寝台から下りた。衝立の中で寝間着からいつもの服に着替える。基本、ティザーベルは普通の服で依頼を受けていた。防御に関しては魔法を使うので、これまで仕事で怪我らしい怪我はした事がない。


 衝立の向こうにのレモは、寝台に腰掛けた状態で新聞を読んでいた。帝国では朝刊だけ、しかもかなり薄いが新聞が発行されている。これで昨日の大まかな出来事がわかるのだ。


「おはよう」

「おはようさん。洗面台は今ヤードが使ってるぜ」

「そう」


 なら浴室には近寄らないようにしよう。まさか夕べのようにすっぽんぽんで顔を洗っているとも思わないが、何となくだ。


 ティザーベルは空いている寝台に腰を下ろして、新聞を読むレモを見た。そんなに見つめた覚えはないのだが、気配に敏感だからか、新聞から目を上げてレモがこちらを見る。


「何だ?」

「……ヤードって、いっつもああなの?」

「ああなのって……ああ、夕べのか」


 ティザーベルが言わんとする事に見当がついたのか、レモは溜息を吐きつつ新聞を脇に置いた。ヤードの過去を詮索する訳ではないが、夕べの様子を考えると、かなり特殊な育ちをしていないだろうか。


 普通、自分の裸体を見られて恥ずかしいと思うでなく、見せびらかすでなく、ごく普通にしていられるものだろうか。


 しかも、見た相手はまだ付き合いの浅い仕事仲間で異性だ。いくら年齢的に成人して間もないとはいえ、これでも立派に結婚だって出来るのだ。


「……本当に見られて嬉しい人とか?」

「いや、違うから!」


 レモからの速攻の否定で、その線はなくなった。だとするなら、見られる事に抵抗がない、という事だろうか。


 冒険者同士は、相手の過去を詮索してはならない。別にギルド規約に記載されている訳ではないが、誰もが知っているルールだ。いわゆる、不文律というやつである。


 冒険者などという最底辺職に就くような人間は、多かれ少なかれすねに傷を持つ身だ。ごくまれに勘違いした若者がなろうとするそうだが、そうした連中は大体一月ともたずに辞めていく。


 ――嘘か本当か、没落貴族のお坊ちゃまとかお嬢様とかもいるっていうしね。貴族なら、着替えを手伝わせるのは当たり前だから、自分の裸を見られる事に抵抗がないって聞いた事があるし。


 一瞬頭の中で貴族然とした格好をしたヤードを思い浮かべたが、あまりの似合わなさに吹き出してしまってレモから不審な目で見られた。


「気になるか?」

「へ?」

「俺等の過去だよ」

「……」


 これは、どう捉えればいいのだろう。ヤードの過去ではなく、「俺等の」ときた。つまり、二人は過去を共有する間柄という事か。


 ――親子……というには年齢が離れていない。年の離れた片親だけ繋がる兄弟とか?


 だが、それを聞くのはそれこそルール違反だ。罰則がある訳ではないけれど、周囲に知られたら総スカンを食らう。以外と冒険者の横の繋がりは強いので、そんな事になったら冒険者を続けるのは難しくなるだろう。


 なので、ティザーベルの答えは決まっていた。


「やめておく。まだこの仕事辞める訳にはいかないから」

「そうか……」


 レモはほっとしたような、残念なような複雑な表情をしている。もしかして、聞いて欲しかったのだろうか。


 そんな事を考えていると、話題の張本人が浴室から出てきた。上半身は何も着ていないが、下はきちんとはいているので問題ない。


 レモと二人して見てしまったからか、ヤードが不思議そうに聞いてきた。


「どうかしたか?」


 一瞬レモと顔を見合わせたが、夕べのむかつきがほんの少し戻ってきたので、ティザーベルはちょっとした意地悪を口にする。


「あんたがどんな格好で出てくるかと心配だったのよ」

「はあ?」

「はあ? じゃないわよ、このキケンブツ」


 ティザーベルの言葉に、ヤードはレモと顔を見合わせた。


「嬢ちゃん、昨日も言っていたが、なんでヤードが危険物なんだ?」

「モロ出しするような露出狂は、十分キケンブツでしょ?」


 それだけ言い置くと、彼女はするりとヤードの脇を通って浴室へと入る。背後から「露出狂じゃない」という言い訳が聞こえてきたが、聞かなかった事にした。

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