五十 カレー

 食事をするのに店の前で並ぶなど、前世ならまだしもこの世界に生まれてからは一度もした事がない。食べるだけなら店や屋台はいくらでもあるし、ラザトークスではそこまで各店ごとに差がある訳でもなかった。


 さすがに帝都はそうはいかないようで、店毎に味の差があるが、それでも並んでまで食べようとは思わなかったのだ。


 だが、今は違う。この香りに間違いがなければ、並んででも食べる価値があるはずだ。


 列に並んでから、体感で三十分くらい経っただろうか。やっとティザーベル達の番が回ってきた。


「三名様お待ちー」

「はあ……」


 店員に案内されて一歩店に入った途端、鼻孔をくすぐる香りに思わず頬が緩む。店内は狭い上に客が多いからか混んでいた。通された席は奥の角で、テーブルが小ぶりだから大柄なヤードには窮屈そうだ。


「大丈夫?」

「ああ」


 そう言いつつも、居心地が悪そうに肩をすくめている。店内を回しているのは、まだ若い女性従業員一人だ。席に着いてしばらくすると、その従業員が注文を取りに来た。


「お客さん達、うちは初めて?」

「ええ」


 何だか、妙な勘ぐりをしたくなる言葉だが、ティザーベルは諸々を押し込め、笑顔で答える。


「そっか。うちは出してる料理は一種類のみ。辛い料理だから、辛さだけが選べるようになってるんだ。初めてなら、普通にしておいた方がいいよ」


 聞くと、辛さの種類は普通、大辛、激辛の三種類だそうだ。ティザーベルは無難に普通、ヤードとレモはチャレンジ精神なのか大辛を選んでいた。


「大丈夫なの?」

「平気だろう」

「まあ、周りを見るに食えない程ではないと思うぜ」


 そう言いつつ周囲を見る二人だが、彼等はわかっていない。この店にいるのはどう見ても地元民で、この店の常連客だ。店の辛さに慣れているのだろう。


 ――……まあ、二人は辛党かもしれないし。


 とはいえ、香辛料の辛さはまた別だと思うのだけれど、それも含めてティザーベルが口を出す事ではない。彼女は黙っている事にした。


 そっと周囲を見回すと、さすがにカレーライスではないらしい。厚めのクレープのようなものと一緒に食べるようだ。


 米やナンでないのが少し残念だが、これはこれで楽しみでもある。店内は程よくざわついていて、耳を澄まさなくても隣の話し声がよく聞こえる。


「そういや聞いたか? フェンザ街道に盗賊が出たってよ」

「フェンザ? あれはキュムガンまで通っていたっけな。それにしても、また盗賊かよ……」

「まあな。今回は発見が比較的早かったから、まだ遺体も割と綺麗だったっていうぜ」

「盗賊なんぞ、早いとこ捕まって欲しいぜ」


 ティザーベルはヤード達と視線を交わした。どうやら、盗賊はこちらに釣られず別の街道に出没したらしい。これで犠牲者がまた増えた形だ。


 それにしても、何故盗賊達はこちらに釣られなかったのか。後でハドザイドに連絡を取らなくては。


 あちらとは、メドーに入ってから連絡を取る手筈になっていた。方法は後でわかると言われたが、手紙か何かだろうか。この世界、魔法による通信手段がまだ確立されていないのだ。


 一時期セロアから作ってくれと頼まれた事があるけれど、魔法道具は基礎を本で勉強した程度なので、まず無理なのだ。あれも親方に弟子入りして技術を習う徒弟制度ががっちりしているせいで、技術が外に漏れないと言われている。


 ――拡張鞄については、帝国お抱えの魔法士が大分昔に開発したものだから、勉強用の本にも載っていたけどね。


 おかげで移動倉庫を作れたのだ。あれも、ラザトークスという魔法植物や魔物の素材が豊富に採れる土地だったからこそ作れたようなものだ。移動倉庫に使っている触媒を全部買おうと思ったら、億の金が飛ぶ。ちなみに魔法植物というのは、魔法道具などに使う触媒用の魔力を豊富に含んだ植物の事だ。


 そんな事を考えていたら、とうとうティザーベル達のテーブルにも頼んだ品がきた。目の前にあるのは、どこからどう見てもカレーである。


「ああ、夢にまで見たカレー……」


 スプーンですくって一口。普通でも十分辛かったが、とてもおいしい。付いてきたクレープもどきに甘さはなく、ぱりっとした表面の食感が楽しかった。


 あっという間に平らげてしまい、ふとヤード達の方を見ると、二人とも汗を流しながらふうふう言いつつ食べている。やはり辛かったのだろう。


 それにしても、この店のカレーは本当においしい。帝都に戻っても食べたいのだが、さすがに思い立ってすぐ行き来出来る程メドーは近くないのだ。


 ティザーベルは、忙しく立ち働く従業員の少女を呼び止めた。


「すいません」

「はい」

「この店って、帝都には出店していないんですか?」

「え? うちはここだけですよ?」


 支店は持っていないらしい。やはり、食べたければこの街まで来るしかないのか。


 そこでふと、一つの案が浮かんだ。忙しい従業員を再び呼び止めるのはどうかと思ったが、昼時を過ぎて大分経つからか、店内はティザーベル達が入った時よりも混んでいない。従業員を捕まえるなら今だ。


「あの、すみません」

「はい」

「カレー、鍋ごと買うって出来ますか?」

「はい?」


 思ってもいない事を聞かれたからか、ぽかんとする従業員の少女に、ティザーベルは微笑む。


「鍋一個分、売って欲しいんです。出来れば鍋ごと。やってもらえるなら、鍋は調達してきます」

「す、少し待ってください!」


 聞かれた内容をやっと理解したようで、少女は慌てた様子で店の奥へと走っていった。


 これで鍋ごと買えれば、いつでも好きな時にここのカレーが食べられる。しかもアレンジは思いのままだ。まずはオーソドックスにハンバーグを作ってハンバーグカレーといこうではないか。出来ればうずらの卵がほしいが、普通の卵でもいい。ゆで卵にしてトッピングするのもおつなものだ。


 さらに、カツを作る事が出来れば、カツカレーも夢じゃない。カレーうどんは少し難しいかもしれないが、カレーパスタならいける。


 そんな夢想をしつつぐふぐふとおかしな音を立てて笑っていると、ヤード達からの呆れた視線を感じた。


「……何?」

「いや、そこまでする事か?」

「当たり前よ! カレーよカレー。帝都じゃ見つからなかったんだから」


 思わずといった様子で聞いてくるヤードに、ティザーベルは食って掛かった。帝都でカレーの店が見つかれば、自分だってあんな事を口にしたりしない。


 鼻息を荒くする彼女に、レモが溜息を付いた。


「確かにうまかったがな。まさか、嬢ちゃんが食い物にここまでこだわるとはねえ」

「何度も言うけど、帝都で手に入るならこだわらないわよ。でも、さっき聞いたら帝都に店は出していないって言ってたでしょ? 現に、帝都でカレーを出してる店なんて知らないし。もしかして、二人は知ってる?」


 ティザーベルの質問に、二人ともが首を横に振った。彼女より帝都に長くいる二人が知らないのだ、やはりカレー店は帝都にないのだろう。


 いくらスパイスが帝国中に流通しているとはいえ、ここメドー程多種類のスパイスが一度に手に入る場所も珍しい。そう考えると、他の街にカレー店がないのは当たり前なのかもしれない。


 それならそれでいい。鍋ごと買って少しずつ楽しむから。なくなったら、また自費でメドーまで買いにくればいい。


 そんな彼女の思惑が外れたのは、戻ってきた従業員の返答によってだ。


「ごめんなさい、無理だそうです」

「え!?」


 まさかの言葉だった。先程まであれこれと楽しく妄想していた分、落差によって受けたショックは大きい。


 がっくり落ち込んだティザーベルの様子に、悪いと思ったのか従業員がさらに謝ってきた。 


「本当にごめんなさい! うちの店、今店内で出す分を作るのが精一杯で……」

「あー……いや、あなたが悪い訳じゃないから」


 大丈夫、と続けようとしたティザーベルの言葉を遮るように、従業員が言い放つ。


「みんな、盗賊達のせいで!」

「……え?」


 思いもしなかった言葉に驚くティザーベル達に、従業員ははっとした様子でまた謝った。


「ご、ごめんなさい! お客さんにこんな事――」

「ねえ、良かったら、詳しく話を聞かせてもらえないかな?」

「え?」


 ティザーベルの申し出に、今度は従業員の方が驚いている。どうして盗賊がいるとカレーを買えないのか、因果関係がよくわからないが、ここは話を聞かないといけないと彼女の勘が告げている。


「もしかしたら、力になれるかもしれないから」


 そう言ってにっこり笑うティザーベルに、ヤード達はともかく、何故か従業員の少女まで顔を引きつらせたのは納得がいかないが。

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