四十九 胃を直撃する香り

 香辛料の市場は、街の中央広場で立っているという。中央広場は、街に五つある門からまっすぐに進んだ街の中央にあった。


「おー、広いー、そして香りが凄いー」


 あちこちから香辛料の香りが漂う。それに釣られて、ついふらふらと店先に迷い込みそうだ。


 市場の店舗は全て露店だ。防水加工が施された布を屋根にして、いくつもの店が立ち並ぶ。香辛料をそのまま売っている店、乾燥させたものを売る店、粉末にしたものや、店独自のブレンドを施したものを売っている店もある。それらを見て回るだけでも楽しめた。


 初めて見る香辛料専門の市場に浮かれているティザーベルの耳に、ヤードの呟きが響く。


「気晴らしにはもってこいだな」

「気晴らし? 何の?」


 訳がわからず首を傾げていると、ヤードは短く呟いた。


「メルキドン」

「ああ……」


 そういえば、彼等……正確にはリーダーのエルードだが、彼はまだティザーベル獲得を諦めていないらしい。とはいえ、あの後すぐにメドーに向けて出発してしまったので、小耳に挟んだ程度の事しか知らないのだが。何でも、ギルドに申し立てを起こしたそうだ。


 一体何の申し立てかと思ったが、どうやらヤード達がメルキドンのメンバーを横からかっさらったという内容らしい。当然ながら、その申し立ては受理されず却下を食らったという。


「私は大丈夫だけどね……ザミ達の方が心配」

「そういや、あの抜けた二人はその後どうよ?」


 レモの問いに、ティザーベルはメドーに出発する前の事を思いだして笑ってしまった。


「元気よ。向こうも、パーティーで遠方の依頼を受けたらしくて、しばらく帝都に戻れないみたいな事言ってた」


 その話を聞いた時のザミの様子がおかしかったので少し話を聞いたら、単純に新しいパーティーへの不安と見知らぬ土地へ行く緊張感、それにせっかく仲良くなったティザーベルと離れるのが寂しかったらしい。出がけにも少し元気がなかった。


 驚く事に、シャキトゼリナもあの独特の口調で寂しいと口にしたのだ。お互いに「シャキト」「ベル」と呼び合う事で、その辺りは解消されたようだが。側で聞いていたザミがむくれていたけれど、彼女も「ベル」と呼ぶようにすればいいというシャキトゼリナの提案で、すぐに機嫌が直った。


 ティザーベルの言葉を聞いたレモは、何やら頷いている。


「連中と距離が出来るのはいいこった。その間に、あの坊主どもが頭を冷やしてくれりゃあいいんだがな」


 確かに、ザミ達もティザーベルも、物理的にメルキドンと離れているのはいい状況だ。


 それに、見知らぬ街に来て興奮しているのかと思ったけど、それ以外にも気分が浮かれている理由があったらしい。


「そうか……どうりで何かすっきりしているなあと思ったら、あの鬱陶しい男がいないからだわ」


 ティザーベルの呟きに、ヤードとレモが同時に吹き出した。




 いくつかの店先を周りながら、ついでに香辛料について色々聞いてみる。


「へー、じゃあ、このスッツって香辛料としてだけでなく、薬にも魔法薬にも使うんだ?」

「ああ、煮込み料理なんかにはこのくらいの大きさのものをそのまま使う事が多いな。他の料理にはこっちの粉状のもの。薬に使う場合は、乾燥したままのものを煮出してその煮汁を使うそうだ。魔法薬の場合はこの粉よりもさらに細かくするって聞いたな。やり方は魔法薬師の秘伝だそうで、教えてはもらえなかったけど」


 そういって大声で笑う気のいい店主は、他にもあれこれと教えてくれた。彼の店には常時二十種類以上の香辛料が置いてあるらしい。


「うちの規模だと、取引のある農家は三十が限界だけど、店舗を構えている大店なら五十は越えるって話だな」

「ふーん。やっぱり、香辛料も作る人によって変わる?」

「そりゃ変わるさ。うちは基本料理に使う食用だが、薬に特化した香辛料を作る農家もあるし、魔法薬に特化した農家もあるって言うぜ」

「へえ……」

「まあ、大半はやっぱり食用として作ってるけどな」


 そう言ってまた笑う店主と挨拶して、その場を立ち去る。ヤード達はティザーベルの背後で見事に気配を消していた。


「香辛料も、奥が深いねえ」


 昼を回ってもまだ賑わいを残す市場を巡りながら呟いたティザーベルに、レモが混ぜっ返す。


「何だ? その興味は料理にか? それとも薬か魔法薬か?」

「料理は基本やらないし、薬も魔法薬も習った事ないから作れないよ」


 前世の記憶を掘り起こせば、和食もどきくらいは作れるだろけど、作る場所がない。下宿屋の台所を借りるという手もあるが、一回十万メローでは借りる気も失せるというものだ。


 帝国の都市部では、余程の金持ちでもない限り庶民は家で料理を作らない。全て外食だ。そのせいか、都市部では食べ物系の屋台や安い定食屋などの店が充実している。


 ティザーベルの場合はたまにどうしても自作の和食もどきや洋食、中華もどきが食べたくなるので、魔法であれこれ工夫して作る時がある。それでも、ここで売っているような香辛料を使いこなす腕はない。


 薬や魔法薬にしても、普通はそれぞれ薬師、魔法薬師に弟子入りして師匠の持つ技術やレシピを習う。弟子入りは遅くとも十歳前後と言われているので、十七歳のティザーベルには縁のない話だ。


 ――スパイスといえば、未だに出会えていない日本の国民食があるんだよねえ……


 帝国には過去にも日本からの転生者がいたのでは、と思わされるような事がたくさんある。醤油や味噌などの調味料もその一つだ。おかげで日本食が恋しくてたまらない、とうい事はないが、そんな中でも未だに見つけていない味がある。


 数多くのスパイスで作る、カレーだ。別に本場の味を再現したいとは思わないが、せめて日本で売っていたルーの味は再現したい。欲を言うと、有名店の味を再現して欲しい。


 カレーとは、時として禁断症状が出る魔の食べ物なのだ。


 ――あの食欲をそそる香り、辛さの中に含まれる旨さ、そしてその奥にあるほのかな甘み。やべー、考えてたら食べたくなってきた。


 そろそろ、ティザーベルにも禁断症状が出始める時期なのかもしれない。特にこれだけ香辛料のいい香りに包まれてしまっては、頭から追い出せと言う方が無理だ。


 その時、ふとティザーベルの鼻に、記憶を刺激する香りが届いた。まさか、勘違いではないのか。そんな思いを抱きつつ、彼女はくんくんと辺りの香りを嗅ぎながら、その香りの方へと引き寄せられていった。


「おい」

「嬢ちゃん、どうした?」


 ヤードとレモの心配そうな声が聞こえてくるが、今は彼等に構っている余裕はない。記憶が正しければ、この先にあるのは絶対「あれ」だ。実は少し前に夢にまで見た。食べ物程度でとも思うが、食べるという事は生き物にとってはとても大事な事だと聞く。だから、これは当たり前の事なのだ。ティザーベルはそう勝手に結論づけて香りを辿る。


 やがて辿りついたのは、市場のある広場から道一本裏に入った場所にある小さな店だ。昼の鐘は街に入る前に鳴ったので、今は昼時を過ぎている。なのに、店の前には列が出来ていた。


「行列の出来る店……」

「あの店がどうかしたのか?」


 思わずティザーベルが呟くと、背後からヤードの呆れたような声が聞こえる。振り返れば、声の調子同様の表情をしたヤードとレモがこちらを見ていた。


「お昼、まだ食べてなかったよね!? あの店で食べたい!!」


 勢い込んで言えば、二人はあからさまに引いていたが反対意見は出ない。それを了承と捉えて、ティザーベルは嬉々として列の一番後ろに並んだ。

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