四十六 初依頼
今日の帝都は、曇り空だ。まるでティザーベルの心中を表すような天気を眺めながら、仕度を終えて居間へと下りる。
約束は午後なので、午前中は自由時間だ。また帝都の散策でもしようかと思ったのだが、この天気では気が滅入るので外に出るのもおっくうに感じる。
「どうするかなー?」
そんな事をぼやきながら居間に入ると、ここ数日おなじみだったザミの姿がない。まだ寝ているのかと思いきや、朝一で飛び出して行ったとイェーサは言う。
「待ちきれないって叫びながらね。何が何やら」
多分、今日モファレナに加入する届けを出すのだろう。加入届けはパーティー全員が揃う必要があるので、ギルドで待ち合わせでもしているのではないか。その時間が待ち遠しいので、先にギルドに向かったのだろう。
「元気が出たなら、いいんじゃないかな?」
「落ち込んでりゃ鬱陶しいし、元気が出りゃ騒がしいし。まったく、極端な子だよ」
そう言うイェーサは、どこか嬉しそうだ。意外と店子に入れ込む大家なのかもしれない。
結局朝食の為に下宿屋を出て、そのまま共同浴場に行ってのんびり湯に浸かり、昼食を取ってからギルドに向かった。日本で生活していた頃を考えると、何とも贅沢な時間の過ごし方だ。
でも、帝国では普通の事である。仕事の時間によっては、今日のティザーベルのような過ごし方をする人は少なくなかった。時間の流れ方まで違うように感じるから不思議だ。
ギルドに入ると、こちらから向かう前に受付から声がかかった。
「ティザーベルさん、こちらへ」
見れば、昨日仲介に立ち会った受付業務主任、キルイドである。今日は彼の案内で三階へ行くらしい。
「まだ他の方々は来ていませんので、少し別室でお待ちください」
午後とは言われたが、そういえば時間指定はされていなかった。ヤード達はおろか、依頼主もまだ来ていないらしい。といっても、貴族相手の依頼の場合、本人が来る事はまずないという。今回もヤサグラン侯本人ではなく、代理の人間が来るのだろう。
三階にある普通の扉の一室に案内されて待つ事しばし、ヤード達がやってきた。
「早いな」
「待たせたか? 嬢ちゃん」
「そんなでもないかな?」
三人揃ったが、ヤード達を案内してきたキルイドによると、先程依頼人に連絡したので、もうじき来るだろうという事だ。さすがは貴族相手、冒険者風情はいくら待たせても問題ないという訳か。
「そういう事なら、もう少し詳細に時間指定してほしいわね」
「すみません、ギルドの方針でして」
ティザーベルの愚痴に、キルイドが眉をへの字にしている。彼のせいでないのはわかっているので、フォローの言葉を続けた。
「わかってるわよ。ギルドも役所みたいなもんだから、上には逆らえないのは知ってるし」
「そう言ってもらえると、助かります」
苦い笑いを浮かべて、キルイドは部屋を後にした。少しして、下の酒場から飲物が届けられたのは、彼の気遣いか。
「あ、嬉しい。ネーシルのジュースだ」
「俺等もかよ……」
「酒の方がましだな」
レモとヤードには不評だが、ティザーベルはこのネーシルのジュースが好きだ。下の酒場では酒以外にも、こうした果実のジュースを出しているのだけれど、幾種類もある中からこれを選んだキルイドは、ティザーベルの好みを知っていたのだろうか。
「受付業務主任、侮り難し」
ティザーベルの呟きに、突っ込みを入れる存在はいなかった。
依頼人到着の報せが来たのは、飲物が届いてから三十分も経っていない頃だった。それまではジュースを飲みつつ三人で雑談をしていたのだ。主に帝都の事やこちらで多い依頼内容、二人がこれまで訪れた事のある街などが話題に上っている。
ちらりとザミ達やメルキドンの事も出たが、前者に関しては余所の問題、後者に関しては完全無視という事ですぐに別の話題に移ったのだ。
待っていた部屋から本部長室まで案内されて入ると、そこには見知った顔がいた。
「やあ、しばらくぶりだな」
オテロップでヤサグラン侯の側にいた魔法士である。あの時とは違い、今日はすっきりとした衣服を身に着けていた。だが、見ただけで上等な衣装だとわかる作りで、さすがは大貴族の下についているだけはある。
彼の隣で、ポッツは不思議そうに尋ねた。
「知り合いだったのかね?」
「例のオテロップ事件の際に少し。そういえば、名乗ってもいなかった。改めて、私はヤサグラン侯配下、ユッツ家のハドザイドという」
御貴族様の配下は御貴族様だった。家名を持つという事は貴族である。とはいえ、爵位を言わなかったのなら下級という事か。
――それでも貴族は貴族。下手な事を言えばこちらの首が飛ぶわ。
とはいえ、既にオテロップでは散々な態度を取った気がする。よもや、その件を咎めに来たのだろうか。
ティザーベルが内心恐々としていると、ポッツと何か小声で話し合っていたハドザイドがこちらに向き直った。
「今回の依頼は、我が主ヤサグラン侯爵閣下直々の依頼だ。心して聞くように」
ハドザイドの言葉に、自分の取り越し苦労だったかと胸をなで下ろしたティザーベルだったが、続く言葉に思いきり顔を顰める。
「依頼したいのは、帝都とメドーの間に出没する盗賊討伐だ」
よりにもよって、オダイカンサマ初依頼がティザーベルの苦手な対人とは。彼女がげんなりした表情になったとしても、仕方ないだろう。
それにしても、メドーという地名には聞き覚えがある。長らく故郷のラザトークスを出なかったティザーベルでも知っている地名とは。軽く首を傾げいていると、レモが正解を口にした。
「メドー……香辛料都市か」
「そうだ。近隣に生産地が集中しているせいで、国内の香辛料は全てメドーに集まると言われている。もちろん、その買い付けに様々な商人が集まるのだが……」
言い淀んだハドザイドに、ヤードが続ける。
「買い付けにくる商人なら金を持っている。そこを盗賊に狙われたのか」
「……そういう事だ」
彼が苦い表情をしているのは、今回の依頼が本来なら軍の仕事だからだろう。香辛料都市として名高いメドーの治安維持など、本来冒険者が請け負うものではない。商人が集まる以上、盗賊被害が横行する事など誰でも予測出来る。街道なり水路なりの警備を厳重にすればいいだけの話だ。
思わずヤード達の方を窺うと、彼等も何やら考え込んでいる。ティザーベル同様、何か裏があると考えているのではないか。
「ぜひ、引き受けてほしい」
言葉は頼んでいるように聞こえるけれど、実際にはこちらが断る余地すらない状態だ。貴族からの依頼などそんなもの、という考えもあるが、どうにもすっきり受けたくない。
そんなティザーベルの思いを見抜いたのか、ポッツ本部長が静かに言った。
「少し、情報が少なすぎやしないかね?」
「それは、依頼を受けた後に伝えようと……」
「まずは、全て開示してもらわないとならないよ。これは、ギルドの規約にもきちんと明記されている。初期の頃には今の君のように、伝えるべき事を伝えずに依頼を出す貴族が多くてね。そのせいで将来有望な若者が数多く命を落とした。だからこそ出来た規約なのだよ」
確かに、依頼を受けるに当たって、情報はとても大事だ。駆け出しの頃はそれがわからずに突っ走って、痛い目を見る者が多いと言っていたのは故郷の支部長だったか。
ラザトークスは大森林が依頼の場になる事が多いので、魔物の分布や出没した痕跡の見つけ方を知らずに森に入って、瀕死の重傷を負う者も多かった。本部長が言っている事は、それと同じだ。
本部長の口調は穏やかだけれど、その裏にハドザイドに対する確実な怒りが見える。ハドザイドにも伝わったようで、ばつが悪そうにしていた。
そんな彼をあくまで穏やかに見つめながら、ポッツ本部長が続ける。
「で? 何故彼等に依頼をする事になったのかな?」
「……盗賊側が、何やら変わった魔法道具を使っているようなのです」
観念したように吐き出したハドザイドの言葉に反応したのは、ティザーベルだった。
「魔法道具?」
「ああ。どういうものなのかはさっぱりわからないのだが、どうもこちらの動きを察知出来る代物らしい。おかげで軍で討伐を行っても毎回空振りになるんだ」
ハドザイドの話では今回の盗賊は拠点を持たない連中で、それも討伐の難易度を上げている原因なのだとか。加えて魔法道具で追っ手の動きを知る事が出来るのなら、確かに軍での討伐は難しいだろう。
――レーダーみたいなものかな? でもそれなら同じ魔法士がいればなんとかなるのでは?
同じ事を本部長も思ったらしく、ハドザイドに尋ねている。
「魔法道具が厄介なら、魔法士部隊を派遣してもらってはどうかね?」
「実は、その魔法士部隊が問題でして……」
どうやら、以前聞いた軍の再編の目くらましにしていた魔法士部隊の再編が、本当に行われているそうだ。しかも、軍とは違う種類の問題が多く出てきて、再編を担当している部署が悲鳴を上げているらしい。
「そんな事もあって、魔法士部隊の派遣は出来ないと突っぱねられたのですよ……」
さすがに身内の恥だからか、ハドザイドの口調は苦かった。確か魔法士部隊も、大きい意味では軍の一部だったはずだ。
「だからといって、冒険者に依頼するとはね」
「それに関しては、以前オテロップで見て、彼女の実力を知っているからです」
そこだけはきっぱり言い切るハドザイドに、褒められているのか微妙な気分である。そんな彼女の内心に気付いているのか、ポッツ本部長は小さく笑いながらオダイカンサマに確認してきた。
「さて、君達はこの依頼、受けるかね?」
問われて答えたのはレモだ。
「俺としちゃあ受けても問題ないと思うですがね。嬢ちゃんがなあ……」
「何か問題でも?」
本部長の聞かれて、ティザーベルははっきりと答えた。
「私、人外専門なんですけど」
「え?」
本部長とハドザイドの声は、綺麗に重なっていた。
「まあ、対人戦闘が出来ない訳じゃねえのは、それこそオテロップの件でわかっている事たあ思いますが」
「問題ないと思う」
レモとヤードに返す言葉がないティザーベルだ。いくら必要に迫られた結果とはいえ、水路賊と街中での襲撃者を撃退したのはほとんど彼女一人の力だった。これで人外専門だと言ったところで、信じてもらえまい。
実際、本部長とハドザイドは信じていないようだ。もっとも、実際自分の目で見ているハドザイドはまだしも、何故本部長まで信じてくれないのか。
目を丸くしていた二人に見つめられる事しばし、咳払い一つで立て直したのは本部長だ。
「ま、まあ、そういう事なら受注という事でいいのかな?」
「構わねえか?」
「いいよ」
どのみち、貴族からの依頼などそうそう断れるものでもない。しかも依頼主はあのヤサグラン侯だという。結局、オテロップの件がスムーズに終結したのは、侯爵の力が大きい。それを考えれば、ちょっとした恩返しとでも思えばいいのだ。
対人は苦手だが、今は仲間がいる。無理なところは二人が助けてくれるだろう。その代わり、二人が苦手とする部分を、自分が補えばいい。
そう考えると、パーティーを組むのもいいものだ。この二人と組めた事はティザーベルにとって幸か不幸か、それはこれからわかる事だった。
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