四十二 パーティー脱退
翌朝、居間に下りると既にザミとシャキトゼリナ、イェーサが起きていた。
「おはよう」
「あ、おはよう、ティザーベル」
「おはようさん」
「おはよう」
ザミの目は泣きはらしたせいで腫れぼったいが、表情は明るい。夕べは散々泣いたのだろう。でも、今朝のこの顔を見るに、泣いてすっきりしたといったところか。
ティザーベルは苦笑しながら手招きし、近づいたザミの目元に手を当てる。
「少しは楽になるはずだから」
治療術はあまり使わないが、勉強に使った魔法書に術式があったので使えるのだ。少しして手を放すと、腫れは綺麗に消えていた。泣いた後の目の腫れは血行をよくすれば治ると聞いた事があるので、魔力でほんの血の流れを良くしたのだ。
「鏡、見てご覧よ」
ティザーベルの言葉にザミは訳がわからないという様子だが、素直に居間の壁に掛けてある鏡を覗く。
「え? あれ? 腫れが引いてる」
「凄い」
すっかり元に戻ったザミの顔を見て、シャキトゼリナも驚いている。二人の様子を眺めながら、イェーサが聞いてきた。
「あんた、治癒術も使えるのかい?」
「本で読んだから……ってか、魔法士って全員この程度は出来るんじゃないの?」
ティザーベルの答えに、イェーサは一瞬顔を曇らせる。何か、あるのだろうか。
「……あんたに魔法を教えたのは、誰なんだい?」
「誰も? 辺境に教師を送る必要はないとでも思ったらしくて、魔法書は送ってくれたんだけど」
「確か、生まれはラザトークスだって言っていたね」
「うん、帝都から見ると東北東の端っこ」
ティザーベルの言葉に、イェーサは黙り込んでしまった。ラザトークス生まれだと、何かまずいのだろうか。
治癒術は、高等魔法書の最後の方に記述してあったものだ。魔法書も高等までいくと、既に術式とその構造、何故その要素が必要なのかが書かれている。だからこそ、ティザーベルが好き勝手に術式を変えて使えるのだ。
構成要素と構築方法がわかれば、いくつかの要素を入れ替えるだけでまったく効果の違う術式が出来上がる。十歳になる頃には、あらゆる術式の応用に夢中になったものだ。
今となっては懐かしい事柄をティザーベルが思い出していると、ザミが声を掛けてきた。
「ねえ、私達、これから朝ご飯食べてギルドに行こうと思ってるんだけど、一緒に来てくれない?」
「ギルドに?」
「うん。パーティー脱退の届け、出してこようと思って」
ザミはシャキトゼリナと顔を合わせて微笑んでいる。解散の場合はメンバー全員が揃う必要があるけれど、脱退なら個人の意思で届けを出せる。
でも、少し引っかかりを感じるので、ティザーベルは一つ提案をしておいた。
「脱退の件、まだ他のメンバーには話していないんだよね?」
「え? うん」
「届けを出した後で教える」
いわゆる事後承諾というやつだ。確かに先に脱退届けを出されてしまえば、エルード達もそれ以上文句は言えない。彼女達二人はモファレナに入る予定だし、それをメルキドンが妨害する事はあっても成功しないだろう。
でも、ごたごたはなるべくなくした方がいい。
「それだともめるかも知れないから、ギルドに仲立ちしてもらって男子メンバーの前で届けを出した方がいいよ。確実にエルード達が文句を言ってくるだろうけど、その時もギルド側で対処してくれるから」
「え? そうなの?」
「ギルドの仲立ちなんて、聞いた事ない」
「知らない人、多いんだってね……」
セロアが嘆いていた事だ。だが、きちんと確認すれば、規約にも記載されているという。もっとも、登録時に渡される規約を端から端まできちんと読んでいる冒険者など、ほとんどいないのだが。
ティザーベルは、だめ押ししておいた。
「とにかく、使えるものは何でも使わなきゃ。人と人との間って、割とごたごたしやすいから、第三者としてギルドに仲介してもらうと後々面倒がないのよ」
「ティザーベルも、そういう経験があるの?」
「あるよ」
シャキトゼリナの質問に、ティザーベルは苦笑しながら答える。彼女自身、ユッヒとの一件で初めてギルドの仲介業務を知ったのだ。
詳しく言わなかった事に何かを感じ取ったのか、シャキトゼリナはそれ以上聞いてこない。彼女も冒険者なのだ。冒険者同士は相手の過去を詮索しない、という不文律がある。ヤクザな商売をしている人間は、探られたくない事の一つや二つは持っているものだ。
結局そのまま三人で下宿屋を出て、ザミ一押しの朝食屋で食べる。ここは午前中は朝食屋、夕方からは飲み屋になるのだという。
――居酒屋のランチ開店みたいなもんかね。
出された朝食はワンプレートで、スープと主菜、副菜、主食と彩りよく盛られている。主食は米だけど、日本のもののように粘りけはなく粒感が残っていた。主催が白身魚のスパイスグリル、副菜に芋と鶏肉に似た食感の肉をハーブで炒めたもの、生野菜のサラダにスープは色々な野菜がたっぷり入ったボリュームのあるもので大変おいしい。
朝からしっかり食べた三人は、朝の混雑するギルドに入った。
「やっぱりこの時間は混んでるね」
辺りを見回して、ザミがうんざり気味に言う。帝国各地に散らばるギルドを総括する帝都の本部だけあって、建物は大きいし一階のカウンター前も広いのだが、そこに筋骨隆々な男がひしめき合っている図は朝っぱらから見たいものではなかった。
ヤクザな商売とはいうが、冒険者の朝は意外にも早い。朝一で出される割のいい仕事は、先着順だからだ。子供の頃は、夜中まで酒を呑んでくだを巻く冒険者達は、昼まで寝ているものだと思っていたが、実際は大分違っていた。
今日は脱退の届けとそれに関する仲介の依頼だけで、仕事を探している訳ではないティザーベル達は、このままでは他の冒険者の邪魔にしかならない。
「カウンターが空くまでどこかで待つ?」
「なら、向こう」
ティザーベルの提案に、シャキトゼリナが奥を指さした。カウンターが並ぶフロアの奥には、飲食スペースがあって誰でも自由に利用出来る。ここでパーティー内の打ち合わせをしたり、勧誘や脱退、時には受けた依頼の内容について依頼主との話し合いにも使うという。
そちらも結構混んでいたが、カウンター前程ではない。三人は移動してそれぞれ飲物を注文した。ティザーベルがネーシルという果物のジュース、ザミとシャキトゼリナはこちらも果物のモーネを使った清涼飲料だ。ネーシルよりモーネの方が酸味が強い。
ジュースに浮かぶ氷を見て、こんな所にも魔法士の仕事があるんだなと少し笑う。ラザトークスでは魔法薬屋が夏場に氷を扱っていたが、帝都では氷屋という氷を専門に扱う店があるそうだ。
腕のいい魔法士が作った氷は溶ける速度が遅い。カップの中の氷は既に溶け出しているので、それなりの腕前という訳だ。
そのまま飲物を楽しみつつ、雑談をしているとやっとカウンター前が空いてきた。そろそろか、と視線で促すと、ザミとシャキトゼリナは頷いて立ち上がる。
空いてるカウンターに行くと、前回前々回世話になった男性職員だ。
「いらっしゃいませ。……珍しい組み合わせですね」
「えっと、届け出を――」
「その前に、パーティー脱退について、ギルドの仲介をお願いしたい」
何故かしどろもどろになっているザミを押しのけて、シャキトゼリナが用件を簡潔に伝える。男性職員は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに立ち上がると二階へどうぞと案内してくれた。
ギルドの二階は個室が並んでいて、個別に話し合いや打ち合わせが必要な依頼に使われるという。部屋には六人掛けの大きめのテーブルと木製の椅子があるだけで、結構殺風景である。
案内してくれた職員は三人に部屋で待っていてくれと言い置いて、そのままどこかに行ってしまった。室内には、張り詰めた空気が漂っている。
――そういえば、ラザトークスでギルドの仲介を頼んだ時も、二階の個室に通されたっけ……
ちょっと嫌な過去を思い出し、思わず遠い目になりかけたティザーベルだったが、部屋に入ってきた職員の言葉で我に返った。職員は二人、先程の男性職員ともう一人、四十路絡みの女性職員だ。
「お待たせしました。ギルドの仲介をご希望だとか。用件は、パーティー脱退、でよろしいですね?」
「はい」
ザミとシャキトゼリナが声を揃えて返事をする。
仲介は必ず資格を持った職員が二人以上立ち会う事になっているという。資格試験は大変だったとセロアが言っていたから、この二人も資格を持つ、いわばエリートという事か。
ティザーベル達が並んで座る側と、テーブルを挟んだ向かい側の座席に並んで腰を下ろした職員はテーブルの上に何枚かの書類を広げる。これから、仲介に関する説明と用件に関しての条件その他の打ち合わせが始まるのだ。
そういえば、流れでここまでついてきてしまったが、部外者のティザーベルがここにいていいのだろうか。
「あのう……私、ここにいない方がいいのでは」
「と、いう事ですが、どうしますか? お二方」
男性職員の声に、ザミとシャキトゼリナは凄い勢いで首を横に振った。
「いてほしいです!」
「パーティー外の人がいたらだめ?」
「いいえ、特にそうした規則はありませんよ」
男性職員の優しい声に、二人とも端で見ていてわかる程ほっとしている。考えてみれば、慣れ親しんだパーティーから円満とは言い難い形で抜けるのだから、不安も大きいだろう。
役に立つかどうかはわからないけれど、自分がいる事で二人が少しでも安心するのならいいのか。
そのまま同席する事になったティザーベルは、職員の説明を聞きながら、大筋は自分の時と同じだなあと感じた。ティザーベルの場合、パーティーというよりペアと行った方が良かったが。
そういえば、結局ユッヒには何も言わずに脱退届けをセロア経由で出したのだった。一瞬だけ彼が何か言ってこないか心配したが、すぐに問題ないと断じる。あのユッヒが自分からギルドに文句を言うとも思えないし、一人で帝都に来る事もないだろう。
そんな事を考えていると、説明をし終えたギルド職員が最後に締めの言葉を口にした。
「という事ですから、一度他のメンバーを呼んで我々立ち会いの下、脱退を宣言しておいた方がいいと思います。もちろん、このまま届けを出してもらっても、我々二人が正式なものだと証言しますので問題はありませんが」
パーティーからの脱退自体誰の許可も必要ないけれど、円満脱退でない場合は次のパーティーに参加する際に問題が生じる事が少なくないとは職員の言だ。
確かに、簡単に入ったり抜けたりを繰り返す人物では信用出来ない。特に冒険者など命がけの仕事も多いのだ、信頼出来ない相手と行動は出来ないのも頷ける。
ただ、ザミ達の場合はメルキドンのの焦りが既に他の冒険者の間でも噂になり始めているし、ザミ達の次のパーティーは既に決まっているのだ。後はエルード達が騒がなければ何の問題もない。騒いだところで、ギルドを仲介にいれているので文句を言ってきても退ける事が出来る。
ザミとシャキトゼリナは、お互いに顔を見合わせた。
「少し、お二人で相談なさいますか?」
「……お願いします」
男性職員の申し出に、二人は小さな声で頼んだ。このまま部屋を使っていい事になったので、ティザーベルも職員と一緒に外に出る事にした。
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